生き方や働き方を考える事業を数多く行い、求人サイト『日本仕事百貨』を立ち上げたナカムラケンタさんが推薦するのは、新島で居酒屋〈和み処サンシャイン〉を営み、〈しおさいの塩〉をつくる斉木佑介さんです。
推薦人
ナカムラケンタ
日本仕事百貨代表
Q. その方を知ったきっかけは?
16年前から伊豆諸島の新島に通っています。佑介さんは、新島の居酒屋〈和み処サンシャイン〉で働きはじめて、お店を引き継いだこともあって、よく訪問するようになりました。
Q. 推薦の理由は?
居酒屋を引き継いだあとに「自分にしかできないことは何か?」を考えていたように感じます。そこで思いついたのが、新島での塩づくりだったようです。実は新島の海は水の汚れを示す化学的酸素要求量=CODが低く、透明度の高い海として知られています。山口県長門市の〈百姓庵〉で塩づくりを学び、新島で塩小屋をつくります。最初は掘っ建て小屋をつくろうと思ったら、先輩のみなさんに手伝ってもらって、立派なものができたそうです。塩はサンシャインのメニューにも活かされています。自分のオススメは塩レモンサワーです。
「まさか10年後に自分がこうなっているなんて、新島へ来たときはまったく想像していなかったんですよ」
斉木佑介さんは、開口一番そう言った。東京から南へ約160キロの洋上に浮かぶ離島、新島。そこで斉木さんは〈和み処サンシャイン〉という小さな居酒屋を営むかたわら、自宅横の工房で海水を釜炊きして塩づくりを行っている。昨夏には島内外の仲間と会社を設立し、島での農業をスタート。今年は宿の開業も控えている。
新島へ移住して10年。彼がたどってきた道は、どれも新島にはなかったものばかりだ。
斉木さんが営む居酒屋〈和み処サンシャイン〉。
埼玉県出身の斉木さんが、初めて新島を訪れたのは2014年9月のこと。島に来た理由はシンプルで「大事な先輩がいたから」。学生時代のバイト先だった居酒屋チェーンの店長が、新島に移住して自分の店を持つことになったという。「手伝わないか?」という短い連絡に、ふたつ返事でOKしたのがはじまりだった。
「当時、僕は4年間暮らしたニューヨークから引き上げるタイミングだったんですよ。新島ってどこ? というくらい何も知らなかったんですが、ニューヨークから帰って離島にいるって、なんかおもしろいんじゃないと思って。半分ノリでしたけど、先輩とはいつか一緒に店をやりたいねとずっと話していたんです。先輩が店を開くなら自分も行くのが当然という感覚でした」
2015年2月に新島へ移住し、ナカムラケンタさんに出会ったのも、その頃だ。
「新島に来たときは必ず店に来てくれますね。僕のあれこれをずっといい距離感で見守ってくれているのを感じています。『自分にしかできないことを考えていたように感じる』と思ってくれていたのはうれしいですが、僕はケンタさんと同じように新島がただただ好きで、島から離脱しないためにはどうすればいいだろう? って感じ。たいしたことは考えていなかったと思います(笑)」
その年の夏に先輩とともに〈和み処サンシャイン〉をオープン。当時の新島で移住者が飲食店をオープンするのは稀なケースで、大きな注目を浴びたという。住民はみな誰かの親戚、というほど人間関係が濃密な離島。右も左もわからない状態で、先輩と一からつくっていった。
推薦人のナカムラケンタさんがおすすめだという塩レモンサワー。
塩レモンサワーの店内POP。
「サンシャインにいる若い子」として、のんびりと新島暮らしを楽しんでいた日々が、急展開を見せたのは3年後のことだ。突然、先輩が家庭の事情で島を出ることになったのだ。この人の後をついていけば何の問題もない、と思っていたその人が島からいなくなる。しかも先輩から告げられたのは「サンシャインを継いでくれないか」という言葉だった。
「信頼していた先輩から『一緒に島を出よう』じゃなくて、『俺は出ていくから店を継がないか』と言われたことが驚きでした。何が驚いたかって、置いていかれて悲しいということよりも、テンション上がっている自分がいたことです。先輩のサポート役が天職だと思っていた自分が、まさか店長になるなんて、どうなるんだオレ!って」
流されるままにやってきた新島だけど、いつのまにか新島での暮らしも、地元のつきあいも、自分にとって大切なものになっていた。島を出るという選択肢はない。あとはやるだけだ。そして2018年秋、斉木さんはサンシャインの2代目店長になった。
コロナ禍で食と向き合い、塩職人の道へとはいえ、新島で飲食店だけで生活するのは至難の業だ。
7キロに渡って続く真っ白なビーチと、海底までくっきり見えるほど透明度の高い海。夏の新島は海水浴客で賑わい、どの店も満席で入れないほどの盛況だ。それが9月のシルバーウイークを過ぎた瞬間、嘘のようにパタリと人がいなくなる。冬になれば船の欠航が相次ぎ、食材も入荷しない。季節によって人とモノの流れが激変する観光の島で、どうやって商売を成立させればいいのか。経営経験ゼロだった斉木さんにとって、想像以上に厳しい船出だったという。
メニューを絞ってひとりで店を回しながら、おでん屋台を出したり、名物の明日葉を使ったドリンクを開発したり。模索をくり返しながら、1年をやり過ごした。「このやり方ならひとりでどうにか食っていけるかな」と手ごたえを感じた矢先、コロナ禍になった。
「学生時代からこの仕事をしてきたので、飲食業をやらない自分が想像できなくて。どうしようと途方にくれました。時間だけはたっぷりあったので、この先も飲食やるの? そもそもどういう店をやりたいの?と、かなり突き詰めて考えましたね。僕は接客がうまいわけでも、料理で勝負できるわけでもない。だったら食材や調味料にくわしい人になったら、自分の強みになるんじゃないか。そう思って調べるうちに、たどりついたのが塩でした」
人の体は、食べた物でできている。その体を動かしているのは、何か。細胞に酸素や栄養を運んだり、脳からの指令を全身に伝えたりと、生命活動になくてはならない塩。これまで調味料のひとつだった塩が命の源だと気づいて「おもしろい!もっと知りたい」と、数日後には島を離れ、山口県の塩工房〈百姓庵〉へ修行の旅に向かっていた。
途絶えてしまった新島の塩づくりを復活させたい「塩修行のために島を出たとき、あいつはもう帰ってこないという噂がたったんですよ」と斉木さんは笑う。
コロナ禍による緊急事態宣言はまだまだ続いていて、店を再開できるめどはたたない。ましてや塩づくりを極めるなら、海と山、川がほどよい距離にある場所のほうが、ミネラル豊富な塩ができる。川がない新島よりも、師匠のもとで腕を磨いたほうが、職人として高みに上れるかもしれない。
汲み上げてきた海水を鉄釜の中で煮詰め、底にたまったカルシウムをかき混ぜながら、また海水を加えるという工程を1か月くり返す。工房の壁や塩釜のまわりを囲っているのは、新島の特産石・コーガ石。火に強く、ゆっくり熱を通すことから新島では昔から台所や風呂などに使われてきた歴史がある。
「それでも、新島にこだわっている自分にハッとしましたね。それぐらい新島に対して情が湧いていたし、単純に誰かの下で働くのは違うのかもと思って。新島でゼロからつくり上げたいという気持ちが、自分のなかに強くあることに気づいたんです。新島では江戸時代に盛んだった塩づくりが、ずいぶん前に途絶えていました。新島に塩があるといいよね、という話はちょこちょこ聞いていた、復活させるなら自分かなという直感がありました」
左/〈しおさいの塩〉(50グラム)550円 右/〈しおさいの塩〉スタンドパック(180グラム)1400円
島に戻ると、塩づくりのための場所探しから始めた。何が起きても島にいる、そんな斉木さんの姿を見守ってきた島の住民から一軒家を貸してもらえることになった。家のそばには、塩づくりのための小屋をつくるのにちょうどいいスペース。ひとりでコツコツ工事をしていたら、大工の友人が手伝いにきてくれて立派な塩工房が完成した。そうして誕生したのが2023年3月にリリースした〈しおさいの塩〉だ。
島をとりまく循環の一部になりたいしおさいの塩は、新島の海水を汲み上げて、薪火で1か月ゆっくり焚き上げて完成する。できあがった塩は新島の砂のように白く、結晶がわかるほど粒が大きい。新島の力強い海を思わせる、存在感のある塩だ。その誕生をなにより喜んだのは、地元の住民たち。知人にプレゼントする人や、調味料として愛用する人も多い。島の産業を支えているという手ごたえが、うれしかったと斉木さん。
塩を焚くときに使う薪は、家の解体などで出てきた廃材を集めて使っている。本焚きと呼ばれる塩の引き上げ作業まで、休みなく薪をくべ続ける。
廃材は均等に切り分けてストックし、乾燥させておく。塩づくりは海の荒れ方、廃材が出るタイミング、工房の室温や湿気など、総合的に考えながら日々の作業を進めていく。
コロナ禍が落ち着き、サンシャインもようやく営業を再開。新たにスタッフを雇い、「塩屋が営む居酒屋」という新スタイルで、独自の塩メニューを提供している。塩づくりは、1日も休むことなく続けている。そんな斉木さんに次なるチャンスがやってきたのは、製塩業を始めてすぐのこと。「島の農業について考えるプログラムに参加しないか」と誘われたのだ。
「海から塩、土から野菜というような、自然の中の大きな循環のなかでものをつくることが、自分にとって心地のいいテーマになっていたんです。農業でつくったものをサンシャインで出すことができるし、塩の副産物であるにがりやカルシウムは畑にまいて利用できます。全部が“グルーヴ”している感じでやっていけば強いんじゃないかと思っていました」
〈合同会社るとり〉スタッフの集合写真。
3か月間、島外の参加者とともに島の農業と向き合い、そこで出会った仲間と2024年夏に〈合同会社るとり〉を設立。耕作放棄地を開墾して「あめりか芋」と呼ばれる特産の白いさつまいもの栽培をスタートした。また新たに物件を入手し、来年夏には宿を開業予定。飲食×塩×農×宿の掛け合わせが、新しい新島の魅力をつくり出せるのではないかと斉木さんは言う。
初めて挑戦した、畑でのあめりか芋づくり。先輩農家にもたくさん助けてもらった。
新島は自分の輪郭をくっきりさせてくれる場所新島に移住して、気づけば10年がたった。今では斉木さんの生き方に共感して、島外から島へやって来る若い世代も増えている。その理由を尋ねてみると「おもしろいことができる場所だからじゃないですかね」という言葉が返ってきた。人口約2000人の島では、自分のしたことの結果が目に見えてわかる。「リアルを生きている実感がある」と斉木さんは言う。
「僕自身も新島に来なければ、店長になることも、塩職人になることもなかったと思います。これおもしろそう、やってみたいなと思ったときに新島なら実行できるし、みんなちゃんと反応してくれる。新島、おもしろいよって勧めたいし、東京でくすぶっている若者全員が新島に来たらいいのにって思っています」
奥に見える黄色いタンクで、海水を汲み上げている。現在、海水を貯めておけるプールを手前に建設中。
島の次世代として期待されていることは、うっすら感じている。島の人たちにそう思ってもらえることはうれしいことで、それに対してプレッシャーはまったくないですね、と笑う。
「だって僕ひとりで、新島を背負えないですもん(笑)。自分だけでできることは限られているので、いろんな人とチームで盛り上げていけたらいいなとは思っています。最近、10歳下の世代と一緒に仕事するようになったんですが、すごくいいキャッチボールができるんですよ。どうしてなのかなと考えたときに、仕事に対する考えがお金優先じゃないのかなと。
お金を稼ぐために仕事をするんじゃなくて、目的のための仕事。その仕事で伝えたいこと、やりたいことを続けるためにお金を稼ぐ。本当にやりたいことが仕事になっているのが、若い世代に響いているのかなと感じます。
世代的なものかもしれませんが、地球に対する感度が高い子が多いですね。環境に悪いことは、巡り巡って自分や後の世代に返ってくる。だからやらないほうがいいよね、ということが感覚としてわかるというのかな。そこが僕の塩や農業と通じるのかなと思います」
しおさいの塩の中にも、斉木さんらしい熱いキャッチフレーズ「血潮が騒ぐ、そんな塩」が。
森の入口にたたずむ塩工房は、いずれきれいに整備して、誰でも気軽に見学できる場所にしたい、と斉木さん。森の奥には畑が続き、その先には新島のきれいな海が広がる。斉木さんの「次の道」は、新島のどんな顔を見せてくれるだろうか?
profile
斉木佑介
さいき・ゆうすけ●〈和み処サンシャイン〉店主。新島製塩所しおさい代表。合同会社るとり代表。埼玉県出身、昭和63年生まれ。2014年、先輩に誘われ新島に移住、居酒屋〈和み処サンシャイン〉を立ち上げる。2018年に先輩が無念の離島をし、事業継承という形でお店を引き継ぐ。コロナ禍をきっかけに製塩業を始動、2023年に〈しおさいの塩〉を販売開始。2024年に農業を始動し、合同会社るとりを立ち上げる。
information
和み処サンシャイン
定休日:日・月曜
営業時間:18:00〜
Instagram:@niijima_sunshine
【しおさいの塩】
オンラインショップ:土産屋まると
*価格はすべて税込です。
writer profile
Yumi sode Akieda
秋枝ソーデー由美
あきえだ・そーでー・ゆみ●編集・ライター。山口県下関市出身。旅行誌等の編集部に勤務後、フリーランスに。2015年より東京諸島・新島在住。「島、人、カルチャー」をメインテーマに執筆中。離島のディープな文化を紹介するフリーマガジン「にいじまぐ」「にいじまぐweb」編集長。ちなみに「ソーデー」は新島の屋号です。