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スーパーに並ぶ「ちまき」はササの葉、「かしわもち」はカシワの葉で包んだものが常連ですが、本来は葉も包み方も地域の個性がありました。あなたの地域では、おもちをどんな葉でどんな風に包みますか?
5月5日の端午の節句には、ちまきとかしわもちが供えられます。ちまきは砂糖の入っていないもち(団子)を葉でくまなく包み、熱湯で煮るなどしてつくられたものです。かしわもちはあん入りのもち(団子)を葉で部分的に包み、蒸すなどしてつくられたものです。ちまきは保存食としても利用されていましたが、もち全体をくまなく包んだ上に熱湯で煮ることによって全体が殺菌されていたので保存がきいたのです。あんを入れるかしわもちはもともと保存できないので、もち全体を包む必要がありません。
▲カシワの葉で巻いたおもち
▲サルトリイバラの葉で巻いたおもち
▲茅の輪くぐり(亀戸天神社)
端午の節句は、中国で春秋戦国時代の楚の政治家・屈原を弔うために始まったとされ、その行事に用いられた供え物の粽が日本へ伝えられ、ちまき(茅巻き)に変わったと考えられています。平安時代の890年ごろには、ちまきの記載があるので歴史はたいへん古いですね。現在のちまきはよくササの葉で包まれていますが、本来はチガヤ(茅)の葉で巻くことから「ちまき」の名前が生まれました。チガヤは神聖なもの、あるいは呪力をもっていると考えられており、そのことは夏に神社で行われる茅の輪くぐりに現在も生きています。神聖なチガヤの葉で巻いたもちを、神様に供えるということだったのでしょう。最初はチガヤのちまきであったのが、地方へ伝わるとともに、また時代を経るとともにさまざま
な葉が使用されたと考えられます。
葉で部分的に包んだもちは古くからあったと思いますが、端午の節句にカシワの葉で包むかしわもちが現れたのは、17世紀の江戸の武家社会といわれています。江戸では盛んだったカシワのかしわもちも参勤交代があったにもかかわらず、江戸時代から昭和の初めごろまで地方には広がっていません。カシワのかしわもちが全国に広がったのはここ30~40年で、それまでは地方ごとにサルトリイバラなどのさまざまな葉でかしわもちを包んでいました。なお、かしわもちの「かしわ」とは、炊ぐ葉のことで料理用に使用されていたさまざまな植物にカシワの名がつけられ、サルトリイバラも地方によっては「かしわ」と呼ばれています。
端午の節句に供え物のもちをつくる場合、わざわざ遠くから葉を取ってくるのではなく、身近な里やまに生育している植物を使ったはずです。またそれが地域の食文化のひとつとなったと思います。残念ながら現在は、ササのちまきとカシワのかしわもちにおされて、そのほかは絶滅寸前です。ぜひ一度、地元のちまきとかしわもちを調べてみてください。里やま文化を守るためにも。
文献・聞き取り調査から、46都府県、かしわもち224地点、ちまき200地点で情報が得られた。北海道は本州からの移住者がそれぞれ持ち込んだと考えられるため調査地に含めなかった。チガヤのちまきが確認されたのは、愛媛県宇和島市の1例のみ。チガヤは葉が細いので、もちを包みやすい葉の広いススキ、ヨシ、ササ(チマキザサ、クマザサなど)が使用されるようになったと考えられる。
服部 保(兵庫県立大学名誉教授)
出典:日本自然保護協会会報『自然保護』No.539より