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海野和男のデジタル昆虫記

環境の変化(昆虫写真家への道14)

環境の変化(昆虫写真家への道14)
2007年01月24日

 留年していた頃、日高敏隆先生と信濃追分にマツノキハバチを採りに行ったことがあった。信濃追分は小学校以来よく行っていた場所だ。
 高校の頃、毎年夏は歯科医の宮川さんが追分の油屋の隣に部屋を借りていた。ぼくもそこに一人で1週間ぐらいとめていただいたこともある。
 家の持ち主は小林繁太郎さんという方。小林さんはかってポールジャクレーというフランス人画家の採集人をされていた方だという。
 採集人というのはコレクターに頼まれて昆虫(小林さんの場合はチョウ)を捕る人のことだ。昆虫を捕り、それを売って収入を得る。小林さんはほとんど専属の採集人だったようだ。
 かってはこんな職業も日本で成り立ったのだ。明治時代に日本のチョウが次々とヨーロッパに紹介されていったが、それも採集人が各地にいたからだろう。学者の名前は残るけれど、採集人の名前というのはほとんど残らない。
 小林さんは日本最後の採集人ではないかとぼくは思っている。当時すでに70を遙かに越えていた。ぼくもよく案内していただき、オナガシジミに驚喜したりした。
 その当時の追分ヶ原は浅間山のスロープに広大な草原が続き、今では見ることのできないヒメヒカゲなどは踏んでしまうぐらいたくさんいた。その環境が変わってきたのが大学生の頃だ。
 日高先生と行った頃は、植林されたばかりのアカマツがあり、そこにマツノキハバチがついていた。そして全国的に激減したオオルリシジミもそこに生息していた。今ではすっかりアカマツは大木になり、17年前に、ぼくが小諸に来た頃には手入れもされない暗い林になってしまっていた。草原は減少してしまった。かってオオルリシジミが飛び交っていた草原はもうないのだ。
写真は当時の追分が原を飛ぶモンキチョウ。草にとまったオオルリシジミ。
ペンタックスSP上は35mmフレクトゴン、下は100mmベローズタクマー try-X 1971年

◎池田書店からHOLGASCAPEという写真集が発売。20名の写真家が6ページずつ旅というテーマで撮影。海野も出ています。1800円 

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