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海野和男のデジタル昆虫記

ぼくの使ったカメラたち

ぼくの使ったカメラたち
2005年12月27日

 今日はキャノンの忘年会に出席。キャノンの忘年会には初めて出席したが、会社が違うと集まっている写真家も会の雰囲気も違う。月光浴の石川さんに初めてお目にかかったり、野町和嘉さんと久しぶりにあったりと楽しい時間を過ごした。
 今日は、写真はほとんど撮影しなかったので、ぼくが子供の頃に使ったカメラについて2002年に出した「海野和男とクラシックカメラ」という本に書いた文をのせることにした。この本はカメラの写真がメインで、デジカメでクラカメを撮ったらとても面白かったので作った本だ。

ぼくの使ったカメラたち

 ぼくが初めて使ったカメラはコダックのベス単。50年近く前の話である。ベス単とは1912年米国コダック社から発売されたベスト・ポケット・コダックの愛称だ。1912年と言えば大正元年。ベス単は15年間で180万台も作られたベストセラー機で、コダックはこのカメラを大量に売ることでフイルムの売り上げも伸ばしたのである。
 写真のカメラには1921年のパテントが記入されているから、それ以後発売されたものだ。とっくに亡くなってしまったぼくの母が子供時代に使ったカメラである。
 母は1914年生まれであるから、小学校の時のものだろう。母親は結構カメラ好きで、学生時代はスナップなど楽しんでいたようだ。戦後貧しくなり、カメラや着物など金目のものは食料と交換してしまい、家には米にもならなかったボロボロのこのベス単が1台あっただけだった。母は本好きでもあったし、博物学にも理解があった。博物学の方は社会学者であった祖父の影響であり、カメラ好きは多分、母の姉の連れ合いの影響だと思う。
 このことがぼくにとっては大変好都合であった。当時は戦後で貧しかったのだが、カメラ、虫、本には何とかお金を工面してくれたのであるから。
 ところで小学校の1年から2年まではこのカメラが唯一、家にあるカメラであったから、これでいろいろなシーンを撮影した。蛇腹から光が漏れたこともあった。面白かったのは後ろに鉄筆がついていて、それでフイルムに傷をつけデータを記入できることだった。ぼくが小学校2年といえば1955年頃の話であるから、1921年製としても製造から35年ほどしか経っていなかったわけだ。だから当時の母にとって見れば今で言えば1965年頃のペンタックスSPなどと同じぐらいの感覚だったのかなと思う。
 最近このレンズをはずしてソフトフォーカスレンズとして使うのがはやりだが、このカメラそのもので撮影した時は、レンズの全面のボードが絞りを絞る役目をし、開放で11となり、シャープな写真が撮れる。シャッターはB、T、1/25、1/50secの4速のみである。
 小学校3年の頃と思うが家族会議をした。リコーフレックスというカメラを買うかどうかの相談だ。その頃から家に子供が集まるようになり、いつの間にか家庭塾をしていたので多少お金に余裕ができた。とはいっても月謝は200円ぐらい。カメラは1万円ぐらいもする。そこで父親の給料を組合から前借りして購入しようというさんたんをするである。そして家に来たのが写真の二眼レフ、リコーフレックスである。このカメラはその後3年間ほど大活躍したのである。こういったことがあったことも、ぼくがすんなり写真家生活に入れたきっかけである。
 ぼく専用のカメラというのはボルタ判のおもちゃのカメラであった。小学4年生の時フジペットが発売された。そして何ヶ月か後に、このカメラを買ってもらったのである。フジペットは左右のレバーを1、2の順に押すだけで手軽に撮影することができる6cm×6cm判カメラだ。シャッター速度はBと高速(1/100ぐらいか)のみ、絞りもお天気により3通りに変えるシンプルな仕組みだ。
 調べると当時の定価は2980円だそうだ(ぼくは1980円と憶えていたのだが)。高いが当時のカメラはどれも1万円以上したから画期的な安さで、やっと豊かになりはじめた日本の家庭で、小学校高学年や女性に人気があったという。なかなかよく写って感激したが、フイルム代が高いから、普段はほとんど写せず、遠足や夏休みの旅行の時に使った懐かしいカメラだ。1963年までに、後に出たフジペット35も含め、100万台近くを販売し、カメラの販売記録を作ったという。
 次にぼくのカメラとなったのはペトリ7である。レンズのまわりにセレン露出計の受光部があり、フイルターをつけても正確に露出を計るというアイデアカメラである。しかしこのカメラはすぐに壊れてしまいというか壊してしまい今ではレンズのみ残っている。先日オークションを見ていたら懐かしくなり、2000円ほどで購入した。当時も今も、ちょっと調子が悪くなるとすぐにカメラを分解してしまい、結局は本当のジャンクにしてしまうのが、どうもぼくの癖である。でもそのおかげで、昆虫撮影に必要な改造カメラを作ったりと、それなりに役立っているのである。
 次にぼくのカメラとなったのがオリンパスペンDである。ペンDは1962年発売で、ぼくが中学3年の時に買ってもらったカメラである。当時はフイルムは高かったからハーフサイズでフイルム代が半分ですむため助かった。このころからはポジフイルムを主に使っていた。フイルムは高いが、スライド映写機で大きくするのだから、ハーフサイズなら本当にフイルム現像にかかるお金が半額と言うことで大いに気に入った。
 このカメラを持って日光へ行った。丸沼でチョウを追っていて、崖から落ち、ぼっかの人に担いでもらって金精峠を越えたのも懐かしい思い出だ。その時に持っていたこのカメラもちょっとぶつかって凹みができた。その凹みはこのカメラに今でもちゃんとあるし、ねんざしたあとも、時々痛む。
 

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