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海野和男のデジタル昆虫記

今年の旅とウオーレスのこと

今年の旅とウオーレスのこと
2019年12月30日

今年も海外によく出た。
 2月にタイ北部、3月にオーストラリア東部とソロモン。5月に台湾、6月から7月初めにマレーシア(ボルネオと、マレー半島)、10月にインドネシアの西パプア。12月にペルーのアマゾン川上流と5回の撮影行だった
 ソロモンではビクトリアトリバネアゲハ、台湾ではフトオアゲハ、西パプアでは、ロスチャイルド、チトヌス、ゴライアス、メガネの4種のトリバネアゲハ、ミイロタイマイを撮影。このうち、ビクトリアトリバネアゲハ、フトオアゲハ、ロスチャイルドトリバネアゲハ、チトヌストリバネアゲハは初の撮影だった。フトオアゲハをのぞきスローモーションビデオも撮影できた。野生のロスチャイルドトリバネアゲハ、チトヌストリバネアゲハ、ミイロタイマイ、ビクトリアトリバネアゲハの動画はほとんど世界初と言ってよいものだ。
 歳をとって、歩く距離や荷物をできるだけ少なく、しかし、飛翔やスロービデオを撮影したいと言うことで、機材や装備も最小限、それらが撮れる組み合わせを選ぶ。
 年取ると困るのが記憶力の低下だ。昔のことはよく覚えていたのだが、結構記憶があやふやになっている。今、インドネシアのテルナテ島ではA.Rウオーレスの住んでいた家や使った井戸を歴史的な遺産として探している。レプリカの家を作ろうという運動もあるようだ。11月に、ぼくが、その場所を知っているのではないかという問い合わせがあった。
 1980年、ぼくは先輩で翻訳家の羽田節子さん、絵描きの松岡達英さん、そして、当時学生あがりだった新妻昭夫さんと4人でウオーレスの足跡を訪ねる1ヶ月半の旅をした。その時の写真は科学朝日の連載で、新妻さんと組んで、1994年に連載した。新妻さんは、最初の旅がきっかけとなり、ウオーレスの研究者になった。彼の本の中やこの連載でウオーレスの家の近くにあった井戸の写真が使われていて、それをぼくが撮ったのではないかと言うのだが、ぼくには記憶がない。新妻さんはその後も何度もテルナテを訪れているが、ぼくは1989年か1990年が最初だと思うのだが、その井戸を捜した旅で、ぼくもその場にいたような話になっているらしい。
 そこで写真を探してみたが、井戸の写真はあるのだが、それは新妻さんの撮った写真とは異なっている。その井戸の写真を撮りに行ったときにはもう新妻さんが見つけた井戸は埋められていた。そのあたりのぼく自身の行動がどうもあやふやだ。今の時代ならデジタルカメラにGPSでその場所は正確に記録されているわけだ。時代は変わった。そして1980〜1990年にはウオーレスの足跡を記録しようとしたのは、世界でもほんのわずかな人間だったのだ。
 2010年に新妻さんはなくなり、何年か前に羽田さんも亡くなった。最初の旅で、ぼくは写真だけ撮り、メモは全て羽田さんがとった。実は羽田さんがなくなる直前に、ぼくは羽田さんからそのノートを譲り受けたいと思った。そして羽田さんが重体であることを知った。写真はほぼそのままあるのだから、そのメモを使って、インターネット上でウオーレスのことを書いてみようと思ったのだ。けれど、結局は羽田さんはなくなり、そのメモも見つからなかった。
 写真は当時テルナテに残っていたウオーレスが住んだのとほぼ同じ間取りの家。その時はこれはウオーレスが住んだ家ではないとの結論になったが、この家だった可能性も少しはあるのだが、今となってはわからない。30年も前の撮影で、今はまったくそのような家はないようだ。

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