台湾中部の町、埔里は20世紀の初頭から。昆虫の宝庫として知られていた。埔里の町を訪れたのは1970年、1971年のことだと思う。
最近ドイツの研究者からメールをもらった。台湾の1915年頃と1970年頃の台湾のチョウの採集史を研究しているらしい。ぼくが当時書いた文と写真がアニマに掲載され、それが海外の雑誌でも翻訳されていて、そこからたどってぼくのことを知ったそうだ。当時の写真はないかというので、探し出した。40枚ほどの写真をデジタル化して送ってあげたところ、えらく感謝された。写真を撮っていて良かったなと思う瞬間である。
当時、町には木生昆虫昆虫採集所があった。すでに立派な4階建てのビルで昆虫館も併設していた。他にも小さな亜州昆虫採集所、育慧工藝社、春貴胡蝶工藝社などの看板を写した写真があった。
木生とは人の名前で、余木生氏を指す。戦前台湾で屈指の採集人であった。モクセイアゲハなど彼の名のついたチョウもある。その息子の余清金氏は戦後、昆虫標本の販売に力を入れ、財をなした。1960年代から1970年代は台湾の昆虫標本が恐らく最も多く採集された時代であろう。年間500万匹と書かれたものをみた記憶がある。標本以外に多くが工芸品として輸出されていたので、その工芸品を作る工場もあった。
木生昆虫昆虫館は1974年に郊外に大きな建物を建てて移転したようで、現在でも観光名所になっているらしい。
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