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海野和男のデジタル昆虫記

擬態に魅せられて(昆虫写真家への道18)

擬態に魅せられて(昆虫写真家への道18)
2007年01月29日


 擬態にすっかり魅せられたぼくは、昆虫採集には興味を失っていった。擬態している昆虫は標本ではその面白さが伝わってこない。生きていて初めて様々な行動をみせてくれる。捕まえて標本にしてしまったらもったいない。
 昆虫採集をやめると見えてくる世界が違ってきた。生きている昆虫たちはぼくに様々なことを教えてくれた。その中でも 擬態している昆虫は見れば見るほど面白く、様々なことを考えるきっかけを与えてくれた。擬態する昆虫をさがしにいろんなところへ行った。特に昆虫の種類が多い熱帯は擬態の宝庫だ。小諸日記12月の「ペルー日記」には擬態昆虫がたくさん登場する。これは12月の目次から見て欲しい。
 擬態とは何かをまねることで姿を隠したり、逆に違う生き物のように見せかけて、何らかの利益を得ることだ。生物界には普遍的に存在し、昆虫や海中の生物には顕著に見られる。葉っぱに似て隠れる擬態は、できるだけ目立たなくする擬態だ。毒のある虫の姿形を毒のない虫が真似るのは、逆に目立たして相手を欺く擬態だ。姿を隠す隠蔽的擬態も、毒のあるものに似るベーツ型の擬態も、真似るという点で根は同質だと思う。生物は生きるために模倣をするという性質を根本的に持っているのではないかと思うのだ。人間の文化でも模倣から独創が生まれ、独創は実は模倣なのだとぼくは思うわけだが、そういう人間の文化も生物進化とあまり変わらないのではと思っている。だから人間の文化も擬態なしには語れないと思う。
 ラフレッシアという世界最大の花を咲かす植物は腐った肉のようなにおいを出し、ハエをひきつけて受粉すると言われる。スラウエシで見たコンニャクの仲間の花(写真上)はもっと臭く、遠くからでも腐ったような匂いがする。そこにはオオミツバチがたくさん集まる。こうした匂いも見方を変えれば植物がハエやハチを呼ぶために匂いで擬態したともいえるそうだ。けれど、実際にそこで蜜がもらえるのならば、だましているわけではないから擬態ではないかなとも思う。
 どうして擬態が起こるのかという質問を受けるけれど、地球上の生物が元々は起源が同じと考えるならば、実際の種で発現している形質はごく一部であり、ある条件が整えばいとも簡単に違う形態や行動が発現してくるのかもしれないと思うのだ。ともかくも生物というのはすごい存在だと思う。地球上の生命が同一起源であるならば、かなりシンプルなものの組み合わせで、無限の可能性を作っているのだから(昆虫もヒトもあまり違わないので、有限とも思えるのだが・・・。ともかくもぼくらが考えられる以上の多様性を地球の生物たちは作ってきた。そしてそのそれぞれの種にその種特有の文化とも呼べる世界を持っている)。とりあえず、もっともっと多くの擬態する昆虫を見てみたいと思っている。
 下の写真はスマトラのラフレッシア。だいぶ後の写真で1981年頃の撮影と思う。セルフタイマーでのOM2での撮影だ。そんなに臭くないかったがハエは来ていた。
上の写真はコンニャク属(Amorphophallus)の植物。夕方に強烈なにおいをはなっていて、遠くからでも何のにおいだろうかと思った。大昆虫記のマレー諸島編から1980年代の撮影

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