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海野和男のデジタル昆虫記

日高先生(昆虫写真家への道8)

日高先生(昆虫写真家への道8)
2007年01月18日

 小諸日記へのアンケートを送っていただいた読者の皆様、どうもありがとうございます。今年に入って100通以上のメールを頂き、励まされております。
 小諸日記の読者の皆様は様々な方がおられるのですね。昆虫マニアの方は意外にも少ないようで、昆虫の面白さを知ってもらいたいというぼくの思いからすれば、これでよいのかなと思っています。本当は毎日、虫の話題一つ、季節の風景一つ、 撮影のヒントを一つというふうにできれば皆さんに満足していただけるのですが、そこまではなかなかできません。 春になれば昆虫の話題も多くなると思います。
 さて 「昆虫写真家への道」いかがでしょうか。今日は14才の学生の方からアンケートを頂きました。昨日は34才の方からでした。面白いというので嬉しいです。お二方に共通して、もっと写真を入れて欲しいといわれたのですが、写真がないのです。40年も前のものとなると、整理が悪いこともありますが、やはりお金がなくてそんなにたくさんは写真を撮っていないのです。30年ぐらい前からの写真だと本当にたくさんあるのですが・・・

 さてアジアの旅を終へ、日本へ帰って待ちかまえていたのが学園闘争。日本中が新しい時代へ向けて動き出したときだった。といっても、農工大にその波が来たのは1年遅れ。
 アジアで日本の矛盾を感じたのだから、すぐにそれにのってしまう。それで4年の時は授業もでず、日高先生の研究室に入り浸りだった。
 ぼくは農芸化学科(今でいうバイオケミストリーとか、食品などの研究をする学科)だったので、日高研にいっても、卒論だけはちょっと化学に絡まないとまずいわけ。それで卒論はアゲハチョウの蛹のプテリンを抽出することで仕上げた。(これはあまりにもぼくが何もしないので、日高先生が北里大学の先生を紹介してくださって共同研究をした。ぼくはそのおかげで農工大とは違う大学にも行くことができたし、唯一学会誌に英語で論文を書く事になった。感謝)。
 試験はボイコットしたので卒業はできなかった。面白かったのは、学生がある先生に暴力をふるったというので、教授の有志が、それに対してけしからんと立て看を出した。
 それに日高先生の名前もあったので、証拠もないのにそれはけしからんと、僕たち学生有志が立て看を出したりした。そしたら、それに対して、ちゃんとその部分についての謝罪と、まじめな答えが立て看でかえってきた。立て看は意見を公にするためのもので、今のWEBの掲示板と似ているかなと思うけれど、ちゃんと身元を明らかにするところが違う。日高先生も僕たちも、どうしたら大学を良くできるかというテーマにまじめに取り組んでいたのだ。
 さて、卒業する気もなく日高先生のところに居候していたら、一年遅れで何もしないで卒業ということになった。3年の頃、害虫学など、本来ぼくの学科の単位にならない授業に出ていたりしたのが、制度が変わって単位になったり、必修が選択に変わったりしたからだ。そしてそのまま卒業しても研究室に居候していた。
写真は当時の日高敏隆先生。ずいぶん若い(39才ぐらいだと思う)。持っているカメラはペンタックス。マクロタクマー50mmとミニカムのストロボが見える。
オリンパスペンD 1969
(つづく)
ご意見ご要望はこちらへ。アンケート方式になっていますが、ぼくの所に届きます。メールアドレスや名前などの欄もありますが、書き込まなくても結構です。メールアドレスの有無にかかわらず、こちらからの返信はできないことも多いと思いますのでその点はご了承下さい。

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