2000年に廣瀬さんは千葉県佐倉市に移住。「成田空港の国際ロビー入国、出国の2箇所の正月飾りをコンペで入札するので輝子さん挑戦してみては」と知人からお声が掛かったという。
「記念の年でもあるし、2001年の正月飾りのデザインなんて縁起が良いな、それに思い出になる。そこで、二千年が開く一歩という意味を込めて、天井から年号を入れた垂れ幕を下げる。大扇を設置し、そこに松飾り風の活け花を添えるデザインを考えました。扇の一つは獅子が舞い、もう一つは色彩豊かな正月の玩具を散りばめ、文様風にデザインし、地元にある竹をふんだんに使うのも特徴にしました。
モノを作るのは得意だけれど、大きなものを作ったことはない。もし落札したらどうしょう。実際創るとなるとこれは大変な仕事。
ところが、数日経って2基とも採用された通知が届いてしまった。『届いてしまった』というのがあの時の実感で、まず大量の竹の調達をどうするか。お米を買っている近くの農家の人に相談して、成田空港の正月飾りを作ると説明したら、晴れやかな顔つきに変わって引き受けてくれました。『欲しいだけいくらでも持って行け』と。『やったぞ!』と思った瞬間『でも、誰が切って、誰が運ぶのか』…。
家に帰ると連れ合いがのこぎりを用意して待っていました。実はこの仕事、反対されていたのですが『助けて下さい』と頭を下げてお願いしました。竹を切り、ヤスリをかけ、結局彼が巨大扇を2基仕立ててくれました。大きな漬物ダルに松と正月の花をぎっしり詰めて、筵で巻き上げ、黒の麻縄を華やかに飾った物を2つ用意しました。 大晦日の7時頃、空港ロビーに役職風の空港の人たちがやってきて、作品を見てとても喜んでくださった。すべての作業が終わったのは、窓の外が薄明るくなってきたころ。連れ合いが到着ロビーの方からニコニコしながら『朝日が上がってきたよ。そういえば今日は、元旦ね』私たちは思わず、垂れ幕の日の丸に、そして朝日に向かって手を合わせていました」
廣瀬さん念願の本『日本人のくらし「基本のき」』 年中行事は自然と調和して生きることを理想とした先人たちが作り上げた象徴文化で、ここに日本文化の源泉ともいえるコトとモノが体系化されて詰まっています。農耕生活と直結したものですが、この中に日本的価値の根っこがあり、根幹は今人類の課題でもある人と自然の共生思想と重なります。「自然環境を守り、自然と共生する生き方は日本人の伝統的な生き方の中にヒントがあるかもしれない」と長い間抱いて来た直観を確信するようになったという廣瀬さん。
そこで廣瀬さんは、何度かお会していた出版社の社長に「なぜ、これから和のくらし方が必要で、魅力があるのか」、「この世相にこの本の意味があるのか」を力説。
「もう一つは教材として作り続けてきた『飾る歳時記』という名の未発表の季節を飾る作品集をお見せしました。これは数十年に渡る作品集でかなりのボリ−ムで、商品化の依頼があった作品も多くあります。作品の大方は果物の種、木の枝、和紙、布など有り物で作った作品です。
自然素材にこだわるのは、食べ物を捨てるのは『モッタイナイ』に通じる想いで、命のあるものを最後まで生かしたいからです。暮らしの中の有り物で、美しいもの、素敵な物を生み出す知恵が小さいうちから身につけば、生き方の根っことなり、生き抜く力に繋がるものと私は信じるのです」
本の中を走り回っている精霊「和の子」です 日本人のくらし、それも季節の節目ごとに祈りと感謝の心を捧げてきた日本人の生き方に光をあてた本『日本人のくらし「基本のき」』を出した廣瀬さん。この本の中では、ボストンで多くの人たちの間で人気者となった、あの妖精人形を「人間に幸せを運ぶ精霊」として進化させ、登場させることにしたそうです。
「私たちは何に向かって祈るのか。自然界に蠢いている見えない精霊たち、そして私たちの身体に忍び込んでいる一つの精霊を元気でニコニコさせるように祈る。こう考えると、『祈り』はより確かなものになるような気がしている。この精霊人形を幸せを運ぶ『和の子』と呼ぶことにしたい」