一般の家庭によくあって我が家にないものが幾つかあります。そのひとつは炊飯器。少し前まではあったのですが、釜で炊いたご飯が食べたいなぁと思っていて、炊飯器があるとつい甘えてしまうので、思い切って人にあげてしまいました。今は、正確には釜ではなくて、陶器のキャセロールで炊いています。このくらいが量としてはちょうどいいのです。
米と玄米に少し多めの水を入れて寝かしたあと、中火で5分ほど待ちます。鍋からシューっと湯気が出たら弱火。10分ほど経って蓋がコトコトしてきたら火を止め、しばらく蒸らして出来上がりです。加減が難しく、出来上がりがいつも違うのですが、それがまたいいんです。おこげもおいしいし。
もちろんタイマーはないので、火を付けたまま何か仕事を始めるとすぐに焦げてしまいます。あっという間にキッチンがお餅を焼いたときの匂いに。そうならないように、たいていは他の料理を作るか、じっと様子を見ています。この時間がやっぱり大切なんです。フィールド・レコーディングをしているとき同様、手を止めて邪念を捨てる時間。
我が家にないもの、もうひとつはテレビです。CM音楽やナレーションの仕事をたまにしているので、本当は頻繁にチェックをしたいのですが、人づてに教えてもらうことの方が多いです。ちなみにその反動もあってか、旅先のホテルではよくのんびりテレビを見ています。
代わりに家ではNHKオンデマンドという、NHKの一部の番組をあとから視聴できるページを、インターネットでよく見たりします。歴史や社会問題のドキュメンタリー、環境問題を扱った番組も多いです。好きなときに選んで見ることが出来るところもいいです。
でも例えば車は必要ないという人も多いなか、うちでは機材を運ぶのに欠かせないですし、パソコンやスマートフォンに触れる時間は一日のなかで大きな時間を占めています。炊飯器やテレビがないからといって、特別偏った生活でもなく、やはり他のいろんな道具に頼らざるを得ません。
そのなかにあっても、自分にはいらない「もの」を作る(=捨てる)というのは、自分にはいらない「こと」を見つけることでもあり、新たな「時間」を生み出すことに繋がります。それを合理的に使うのか、あえてゆっくりと過ごすのかはその人次第ですが、その時間に出会うためになにかを減らせるのなら、減らしてみたいと思うのです。
今、我が家で次は自分かと震えているのは、電子レンジです。そういえば昔はよく、蒸し器でなんでも暖め直していました。コンビニのお弁当さえ我慢すれば、いらないかもしれません。使わなくなったドライヤーは少しずつ旅の準備をまとめています。シャツの手洗いに目覚めた時期に、洗濯機を捨てたいと言ったら妻にひどく怒られました。冷蔵庫は「まさか私が」という面持ちで堂々と鎮座しています。
何年か経ったら、我が家からさらに何か一つ消えているのでしょうか。でも、僕の部屋の楽器だけは今後も増え続けてしまう気がします。弾く人はひとりなのに、おかしなものです。