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「八ッ場ダム」 詳細解説

読み:
やんばだむ
英名:
Yanba Dam Project

八ッ場(やんば)ダムは、群馬県などを流れて利根川と合流する一級河川の吾妻川中流域で建設が計画された、重力式のコンクリートダムだ。重力式とは、上流面に作用する荷重をダム自身の重さによって支えるダムのこと。八ッ場ダムは本体高さが116m、貯水量は約1億立方mもあり、完成すれば利根川水系で3番目に大きなダムとなる。事業主体は国土交通省で、工期は1967年から2015年まで。総事業費は約4600億円に上り、そのうち約3200億円がすでに投じられた。2009年の政権交代を受けて同年9月に建設中止が表明されたが、国土交通省は2011年12月に八ッ場ダム建設事業の継続を決定した。

八ッ場ダム計画構想は、1952年にさかのぼる。1947年に日本を襲ったカスリーン台風により、群馬県をはじめとする関東地方は洪水などで大きな被害を受けた。このような自然災害への対策として、建設省(当時)は、利根川上流にある同県の長野原町と旧吾妻町(現「東吾妻町」)の境にダムを築き、洪水調節を行う治水事業に着手。その一環として八ッ場ダムが計画された。また、首都圏における人口増加に伴う水需要の増大を支える水資源開発としての一面もあった。このように八ッ場ダムには治水と利水という2つの目的があり、その後、2008年9月に基本計画が変更されて建設の目的に発電が追加された。

しかし、八ッ場ダムの建設をめぐっては、計画発表当初から賛成派と反対派に分かれて激しい議論が繰り広げられてきた。とくに地元である長野原町では、首都圏のために故郷が水没することに対して住民の多くが反発し、ダム建設に反対する意見が多かった。その後も議論は続いたが、1970年に群馬県が長野原町と旧吾妻町などへ生活再建案を提示。一方、1973年にはダム建設などによって水没する地域の住民を支援するための「水源地域対策特別措置法(水特法)」が制定され、1986年に八ッ場ダムは国による指定ダムとなった。

また、水源地の水没を伴うダム建設によって恩恵を受ける首都圏など下流の受益地が、相応の負担をする「利根川・荒川・水源地域対策基金」が発足し、八ッ場ダムはその対象となった。さらに、1990年には国と県が地域居住計画を作成して住民に配布。これを受けて両町はそれぞれ「八ッ場ダム建設に係る基本協定書」を締結し、補償基準の調印なども行われた。国は1993年に「八ッ場ダム水源地域対策事務所」を設置し、国道などの周辺基盤整備や生活相談などの生活再建対策を実施。八ッ場ダムは計画後40年を経て建設に向けて動き出した。

一方で、八ッ場ダムの計画自体を中止すべきであるとする意見が、市民団体や一部の研究者の間にあり、反対運動が続けられていた。2009年9月、八ッ場ダムの中止を政権公約(マニフェスト)で掲げていた民主党が政権に就き、前原誠司国土交通大臣(当時)は八ッ場ダムの建設中止を明言した。しかし、国土交通省は2011年12月に「今後の治水のあり方に関する有識者会議」の中間とりまとめを受けて、八ッ場ダム建設事業の継続を決定した。同省では、ダム事業中止の場合における水没予定地域の生活再建に関する法案を作成する方針を表明している。

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