ジンズホールディングス代表取締役CEOの田中仁さんが推薦するのは、ファッションスタイリストやFMラジオ局を経て、地元で前橋市議会議員として活動している岡 正己さんです。
推薦人
田中 仁
株式会社ジンズホールディングス代表取締役CEO
Q. その方を知ったきっかけは?
私が主宰する群馬イノベーションスクールに3期生として入学したことで知り合いました。
Q. 推薦の理由は?
もともとは東京でスタイリストをしていたのですが、地元に帰郷しFM局で働いているときに群馬イノベーションスクールに入学し今後の人生を考えるキッカケが生まれ、前橋市をカッコ良くしたいという思いが強くなり一念発起し、市議会議員選挙に立候補し当選。そして前橋市をカッコ良くするため現在もさまざまな活動をしていることから推薦します。
「東京は狭くて、苦しい」
ファッション雑誌や広告など、東京でさまざまな媒体でスタイリストとして活躍していた岡正己(まさみ)さんが地元の前橋に戻ろうと決めたのは、ふたり目のお子さんが生まれるタイミングで奥さまが発したそんな言葉がきっかけだった。
30歳になる手前で前橋市にUターン移住。高校卒業以来、約10年ぶりの前橋での生活が始まった。岡さん自身、帰省するたびに感じる地元の衰退をなんとかしたいという思いが、年々強くなっていたという。
「高校生の頃、スタイリストになろうと思って前橋を出ていったときは、まさか戻ってくるとは思っていませんでした。むしろ『こんなところ出ていってやる!』みたいな感じでした(笑)。でも正月やお休みで帰省するたびに、まちが廃れていくのが目に見えてわかって。自分もこのまちを出ていったひとりとして責任を感じてたんですよね。それからだんだん地元に興味を持つようになったんです」
前橋に戻ってからしばらくは東京に車で通いながらスタイリストの仕事を続けていたが、同時に寂れた地元を活性化させるために何をすればいいかとずっと考えていたという。銀座にある群馬県のアンテナショップ〈ぐんまちゃん家〉に自分のアイデアをいきなりプレゼンしに行くなど、破天荒な行動にも出た。
ある日、前橋にラジオ局〈まえばしCITYエフエム〉が開局するという知らせを聞いた岡さん。「これだ!」と思い、すぐにラジオ局へ応募し、入社が決まった。ラジオ局では営業として、スポンサー集めから番組制作までさまざまな業務をこなした。そうしてラジオ局の仕事に勤しむと同時に、岡さんは仕事を通じて培った自身のネットワークを活かしてまちを盛り上げるためのイベントを企画するようになっていた。
「ラジオ局ってすごく便利。メディアだから取材と称して誰にでも会いに行けちゃうんです。それでいろいろな前橋のおもしろい人に会って、どんどん自分のコミュニティを広げていきました。そういうネットワークも使って、自分なりのまちおこしをやり始めました。潰れたスナックやビリヤード場を貸し切って音楽イベントをやったり、市民参加型の部活動『前橋〇〇部』の共同発起人として立ち上げるなど、とにかくいろんなことをやりましたね」
撮影中も岡さんの姿を見かけたまちの人たちが声をかけ楽しそうに喋っていた。
岡さんの精力的な活動の裏には、スタイリスト時代の経験が大いに活きていると岡さんは語る。
「自分のスタイリストの師匠は岡部文彦さん。当時、アシスタントの自分がスタイリングのプレゼンテーションをすることがザラにあったんです(笑)。今では考えられないですけど、『この服の組み合わせが絶対合います!』って20歳そこそこの奴がCMの衣装合わせとかで説明してるんですよ。でもその経験がラジオ局の営業としてもそうだし、まちおこしのイベントを考える際にも相当活きたと思います。
スタイリストは服を扱いますけど、前橋に帰ってからはまちを洋服に見立てて考えるようになりました。前橋にはどんな機能が必要なのか、どこを見せたほうがいいのか、そういう考え方ができるようになったのもアシスタント時代を含めてスタイリストの経験があったからこそです」
前橋をより良くするため、市議会議員への出馬を決意この時期の岡さんの代表的な活動のひとつに「PARAHOTEL(パラホテル)」(2016年)がある。2008年に廃業していた老舗〈白井屋旅館〉の跡地を、岡さんは『泊まれない45日間のホテル』としてプロデュース。アーティストや建築家たちと協力し、使わずに放置されていたホテルのベッドや鏡などの備品を活用したインスタレーションを行い、好評を呼んだ。
このとき場所を貸してくれたのは、廃業していた白井屋旅館を買い取り、のちに〈白井屋ホテル/SHIROIYA HOTEL〉としてリニューアルした現オーナーのJINS創業者・田中仁さん。現在は前橋を代表する建築物となり、多数の世界的なアート作品が館内を彩る注目のホテルとなっている。
田中さんも同じく前橋市出身。近年は前橋をはじめとした群馬県の豊かな地域社会実現のために〈田中仁財団〉を立ち上げ、前橋のまちづくりのさまざまなシーンに寄与している。その縁がきっかけで、田中さんが地元・前橋で起業家を育てようと立ち上げた〈群馬イノベーションスクール〉に岡さんも参加することに。これが岡さんの人生を変える、ひとつの大きなきっかけとなった。
「イノベーションスクールで『行動を起こせ』とよくいわれたんですよね。それにイノベーションスクールには自分とは違う意識、立場でまちを良くしたいと思っている人がいっぱいいて。そういうこともあって、『自分には何ができるんだろう?』とより深く考えるようになりました。自分もそれまでいろいろな活動をやっていたけど、結局、市民レベルの活動でしかないし、やっぱりもう一段フェーズを上げる必要があるのかなと」
さらに、ラジオ局の仕事を通じても岡さんはある種の限界を感じていた。
「ラジオ局としても個人としても、まちおこし・まちづくりとなるようなイベントを積極的に仕掛けていくにつれて、いろいろなところで市役所と関わるようになっていきました。そうしたなかで、結局みんなの税金を使っていく行政がイケてないと意味がないなと思うようになったんです。だからおかしいところがあれば行政に意見を言えるようなポジションがあればいいなと。そう思っていた時期に、ちょうど前橋市の市議会議員選挙が行われることを知ったんです」
商店街にある岡さんの事務所。選挙やイベントの備品が大量に保管されている。
イノベーションスクールで受けた刺激と、まちづくりを行っていくうえで感じた壁。この2つが市議会議員選挙への出馬へと駆り立てた。直前になっての出馬表明だったためまったくのノーマーク。選挙に出るにあたってラジオ局も辞めた。
「選挙のことは何も知らないけど、根拠のない自信があったんです(笑)。SNSを使っているのは自分ぐらいだったから、余裕でしょって最初は思っていました。でも、だんだん目に見えない“縛り”みたいなものに気付かされました。『うちの協会は〇〇さんなんだよね』とか『〇〇さんがうちの親戚で』みたいなものの存在に。市議会議員選挙ってそれぞれの議員で地盤がしっかり固められているから、すごく難しいんですよ。自分はそういうのがまったくなかった」
しかし岡さんが初出馬した2017年の前橋市議会議員選挙は、選挙活動でネット利用が解禁された頃だったこともあり、岡さんはSNSを積極的に活用。そうした選挙運動が実を結び、2番目に若い年齢で見事当選した。
議員の仕事と並行して行う“B面”の活動ところで、市議会議員の仕事とは一体何なのだろうか? 岡さん自身も選挙に出る前は「市議会議員なんて寝てるだけでしょ(笑)」という偏見を持っていたそうだが、こちらの素朴な疑問にこう答えてくれた。
「すごく簡単にいうと、市議会議員の仕事は“お金”と“決まり”を使って課題を解決すること。お金は税金、決まりは市であれば条例。『なぜこれができないんですか?』ということに対して『こういう条例なんです』といわれたら、『じゃあそれは変えたほうがいいです、変えていきましょう』というように決まりを変えたりつくったりして課題を解決する。
お金の場合は例えば『この業者にお金を支払うので、ゴミの処理をお願いしましょう』とお金を割り当てる場所を決めていく。そのための対話や議決の場として議会があるんです」
本会議の場では市の政策や予算案に対して議員が議決を行う。当然その場では福祉や教育、環境整備などさまざまな政策についての質疑が行われる。そのなかでも岡さんが議員活動の軸としているのが「シティプロモーション」や「観光」といった文化政策だ。それまでもラジオ局や個人で行ってきたようなイベントの企画や運営など、ソフト面で精力的に活動してきた岡さんだが、議員になったことでハードの面でもまちに良い影響を与えられるようになった。
「ひとつ目に見えるかたちで成果となったのは、前橋公園にスケートボードの専用広場が設置されたことです。スケートボードはそれまでトラブルを回避するために市内の公園では禁止されていました。その状況を変えようとスケートボード協会をつくり、市の担当者とも場所選定から話し合って、ようやく前橋公園にたどり着いたんです。
議員になる前から前橋にスケートボードができる場所をつくろうと動いていたことに当時の市長が理解を示してくれて、市役所の担当者につなげてくれたから議題のテーブルに上がったんです。そういう継続的な活動がハード面を変えていくためには必要なんですよ」
前橋公園のスケートボード広場。
「あとはプライベートワークの延長ですけど、赤城山の閑散期の観光施策として〈赤城山ブリザードサウナ〉というイベントを仕掛けたこともあります。引き続きいろいろなイベントは企画していますし、商店街の空き店舗への出店を手伝ったり、市民の困りごとの相談に乗ったり、日々さまざまなことをしています。商店街の空き店舗が随分減ったことにも貢献できたと思いますね」
岡さんは、9つの商店街から形成される前橋中心街の一番端にある弁天通り商店街に事務所とお店を構えている。事務所が入っているビルは、1階にカフェ、2階に美術作家のアトリエ、3階に岡さんの事務所、さらに4階には岡さんのプライベートサウナが設けられており、バリエーションに富んだ使い方がされている。
「事務所があるビルは自分が一棟丸ごと借りて、1階と2階を人に貸しています。店舗とアトリエと事務所。こんなふうにひとつの建物を多様な使い方をすることで関わる人が増え、この商店街を訪れる人も増える。空き店舗の使い方のひとつとして実験している場でもあります」
岡さんの事務所が入っているビル。AKATONE(赤利根)は岡さんが立ち上げた会派の名前。
事務所からすぐ近くのところに、ホッピーが飲めるアンテナショップ〈BENTENA SHOP〉がある。店をホッピースタンドとアンテナショップでスペースを分けており、岡さんはこの店の3人の共同経営者のうちのひとり。議員活動が休日の日曜日には店頭にも立ち、自慢のホッピーを振る舞っている。アンテナショップではBENTENA SHOPだからこそ買うことができる「メイド・イン・前橋」のアイテムを多数取り揃えている。2階はDJブースを設けたイベントスペース、3階には建築事務所が入っており、こちらのビルも多様な用途で利用されている。
BENTENA SHOP。営業時間は日曜日が15:00〜20:00、月・火・水曜日は17:00〜21:00。
「ここも3年ほど前に空きビルになってしまった場所。横にはお寺があって立地的にもおもしろいので、自分たちで店をやろうかということになったんです。自分はずっとおもしろいお土産屋が前橋に必要だと思っていました。ただ、お土産なんて売れないだろって言われたので、スタイリスト時代に飲みまくったホッピーもセットでやることに。流行りのクラフトビールが“A面”なら、ホッピーは“B面”。それで店のコンセプトも“B面”になりました。アンテナショップ=ANTENNAの最初のAをBにし、通り名ともかけてBENTENA。ホッピースタンドは地元の人、アンテナショップは観光で来た人のフックになるので、両者が混ざり合う空間になっているんです」
このふたつの建物は岡さんにとっていわば社会実証の場。岡さんの議員としての活動がA面なら、こちらはB面といっていいのかもしれない。しかし、どちらも「前橋を良くしたい」というブレない軸がある。
スタイリスト時代、雑誌でホッピーを飲みながらさまざまな人と対談する連載をしていたこともあり、岡さんのホッピーを注ぐ技術は一流。三冷(ホッピー、焼酎、グラスの3つを冷やしておく)、焼酎はキンミヤと、こだわりのホッピーをぜひ堪能してほしい。
岡さんが事務所とお店を構える弁天通り商店街は、前橋市中心街の商店街の前橋駅から一番遠い端にある。ある意味この商店街も前橋の“B面”ともいえる。弁天通り商店街を前橋駅方面に歩いていくと、「2024年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞したレンガ敷の馬場川通りがあり、そこにはジャスパー・モリソンさんと建築家の高濱史子さんのコラボレーションによる公衆トイレや藤本壮介さん設計の〈白井屋ホテル/SHIROIYA HOTEL〉をはじめ、著名な建築家が関わる店舗や施設が並んでいる。それらは今の前橋の勢いを象徴する“A面”の動きだ。
前橋の中心街に折り重なるように存在するA面とB面の動き。それが今の前橋の盛り上がりにつながっているのだろう。
弁天通り商店街。商店街を拠点に出馬した人の当選は、岡さんでおよそ30年ぶりだったらしい。
“ヤレる”まちだから、とにかくトライ岡さんは前橋というまちの魅力をユーモアたっぷりにこう語ってくれた。
「前橋って“ヤレるまち”なんです。商店街には空き店舗もあるし、家賃も安い、補助金もある。自分は商店街に事務所とBENTENA SHOPというふたつの拠点を持っていて、さらに自宅もあるわけですが、それが普通に維持できる。自由に表現できる場を街中に気軽に持てるのはめちゃくちゃ魅力だと思います。これを大都市でやろうと思ったら相当難しい。
それにアーティストも多いし、文化的な刺激もたくさんあります。東京はアートや音楽といった文化的なものを摂取するには最適なまちだと思いますけど、じゃあそれを自分が“ヤレるか”となったらなかなかそうはいかない。このまちではすぐに当事者になれる。そのための場がたくさんあり、すぐにまちに関わることができる。それが大きな魅力だと思いますね。だから若い人には動機は不純でもいいから、とにかく“ヤれ”と言うんです(笑)」
市役所庁舎内にある議員控え室にて。
2021年の市議会議員選挙にも再出馬し、見事2回目の当選を果たした岡さん。その2期目もそろそろ終わりを迎えようとしているが、岡さんは次の選挙には出馬せず、議員を引退することを決めているという。
「もともと2期はやるつもりだったんです。1回目はまぐれで当選もありうるけど、2期目は1期目がちゃんと認められないと当選は難しいといわれたので。2期目に当選して、応援してくれる人たちも増えてきたと感じていたし、まだ議員を続けていくかちょっと迷っていたんです。
でも議員の立場にしがみついちゃうのは、かっこわるいなって思って。それに家族総出で議員の活動を支えたりするんですよね。自分も今後家族に負担を押し付けることがあったら嫌だなとも思ってしまって。議員であることのマイナス面をいろいろ感じるようになりました」
しかし、議員を辞めるからといって岡さんの「前橋を良いまちにしたい、前橋を盛り上げたい」という気持ちが無くなったわけではない。残りわずかな任期のなか、議員としての最後の仕事をしながら次のステージの構想を考えている。
「ラジオ局では会社、議員になってからは行政やまちの仕組みを学ばせてもらいました。そうして自分が培ってきた営業や企画といったスキルを活かせる活動をしていきたいと思っています。特に行政の独特な仕組みを知っているのは、結構活きてくると思うんですよね。BENTENA SHOPも続けていきます。議員だとなかなか関わるのが難しかった商店街の組合などにも、積極的に関わって盛り上げていければと思っています」
「無知な投票はなるべく避けないといけないけど、政治に興味がないという人はまずは直感でもいいから一票を入れてみる。そして自分が投票した人のその後の4年間を追ってみることで自分ごとになってくる。それが次の投票に生きてくる」と語る岡さん。
「前橋を自慢できる都市へ。」岡さんが2回目の出馬に際して掲げたビジョンだ。このビジョンを達成するためには、必ずしも議員である必要はない。議員だからこそできたことももちろんあるが、議員じゃなくてもやることは変わらないし、議員や行政だけがまちづくりを担う人間ではない。このまちに住むすべての人が当事者だ。それは議員になる前から前橋のまちづくりを自分のアイデアと行動で盛り上げてきた岡さんが一番わかっている。
むしろ議員という経験を超えた先には、もっと自由を得た岡さんがいるかもしれない。今後ますます加速していくだろう、岡さんの“B面”からのまちづくりの今後に期待せずにはいられない。
profile
MASAMI OKA 岡正己
おか・まさみ●前橋市議会議員。1980年、群馬県前橋市生まれ。高校卒業後スタイリストを目指し上京。文化服装学院スタイリスト科を卒業後、スタイリスト・岡部文彦氏のアシスタントになる。24歳で独立。2010年にまえばしCITYエフエムに開局と同時に入社。2017年、前橋市議会議員選に初当選。2021年、2期目の当選を果たす。
web:赤利根
instagram:@okamasami.camara
writer profile
Rihei Hiraki
平木理平
ひらき・りへい●静岡県出身。カルチャー誌の編集部で編集・広告営業として働いた後、2023年よりフリーランスの編集・ライターとして独立。1994年度生まれの同い年にインタビューするプロジェクト「1994-1995」を個人で行っている。@rihei_hiraki
photographer profile
Atsutomo Hino
日野敦友
ひの・あつとも●フォトグラファー。愛知県名古屋市出身。会社員、スタジオマンを経て、若木信吾氏に師事。2023年に独立。現在、東京の片田舎で鳥2羽と生活中。取材を通じてさらに田舎へ行こうと画策中。ATSUTOMO HINO