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エッセイスト・甲斐みのりが、いま食べたい、もう一度食べたい「地元パン®️」は?

  • 2024年2月15日
  • コロカル

著書での紹介は200点超え。全国のパンを食べてきたなかでも衝撃を受けた「地元パン®️」は? また食べたい! 何度でも食べたい! と心躍る「地元パン®️」は? エッセイストで『地元パン手帖』著者の甲斐みのりさんが「地元パン®️」との出合いを綴ります。

それぞれのパンに、豊かな物語が潜んでいる

主には昭和20年〜30年代に創業した店や、地域の学校給食を手がけ、戦後の食糧難の時代から地元の食を支えてきた店がつくるパン。それから、材料、かたち、ネーミング、パッケージに、地域性や時代性があらわれていたり、独特の趣があるパン。これらを「地元パン®️」と呼称し、研究や採集を始めてから20年近くが経ちました。その間、『地元パン手帖』や『日本全国 地元パン』などの本を出版したり、実在する地元パンのミニチュアカプセルトイや地元パン文具の監修、講演会やワークショップの機会も増えてきたため、「地元パン」で商標登録も行いました。

もともとは、和菓子でも洋菓子でも、日本各地に根づく郷土菓子が好きで、味や素材だけでなく、成り立ちや意匠、パッケージのデザインにも魅力を感じ、“お菓子の旅”と称して全国を巡りながら、独自に研究を重ねていました。旅先では、チェーン店から個人店まで大小の菓子店、百貨店、スーパー、道の駅に立ち寄り、新たなお菓子を探し出すことができると心が満たされます。そうするうちに地域の老舗パン屋も、和洋の菓子を販売していることが多いため訪れるようになったのですが、そこで日本には、その土地土地に根づくパンがあり、それぞれのパンには豊かな物語が潜んでいると気がついて、ローカルパンに魅了されていきました。

甲斐みのりさんの著書『日本全国地元パン』(エクスナレッジ刊)、『地元パン手帖』(グラフィック社刊)。

甲斐みのりさんの著書『日本全国地元パン』(エクスナレッジ刊)、『地元パン手帖』(グラフィック社刊)。

日本のパン屋は世界に誇れる多様な技術を身につけています。ただパンを焼くだけでなく、サンドイッチに挟むポテトサラダやトンカツなどの惣菜も自家製。パンとともに販売する、プリンやクッキー、まんじゅうや羊羹までも手づくりのものを並べています。関東の昔ながらのパン屋でときどき見かける、もはやパンというよりお菓子といえる、カステラで羊羹を挟んだ明治時代から親しまれる「シベリア」を見つけたときには、日本のパンの“菓子パン”というジャンルは、世界的に見て大変珍しいのでは? と思い至りました。どうやら日本において、菓子とパンは親戚関係にあるようだ……とますますパン研究にのめり込み、そのうち甘辛の垣根を越えて、惣菜パンや袋パン……土地土地で長年愛されるパンの研究に没頭していったのです。

日本に初めてパンが伝わったのは、鉄砲伝来と同じ安土桃山時代。しかし当時のパンは非常にかたくて日本人の口に合わず、実際に食べていたのは外国人の商人や宣教師に限られていたそうです。その後、日本人による日本人のためのパンを最初につくったのは、日本のパンの祖といわれる軍学者・江川太郎左衛門。携帯しやすく日持ちがする兵糧としてパンの生産を行いましたが、それもまたかたくておいしさとはほど遠く、日常食として根づくことはありませんでした。

やがて開国した港町・横浜に、外国人がつくる外国人に向けたパン屋が誕生します。それを見て「これからの日本はパンの時代がやってくる」と先を見越して、明治2年に日本人初のパン専門店を開いたのが、〈木村屋總本店〉の創業者。日本人でも食べやすい食感となるように、酒まんじゅうに着想を得て酒種酵母菌で発酵させた生地にあんこを合わせ、あんぱんを売り出しました。そうしてあんぱんは、「文明開化の味がする」と大流行。日本のパン食文化の幕開けはあんぱんにあるように、日本でパンとお菓子は、切っても切れない縁があるというわけです。

とはいえ第二次世界大戦前は、まだまだパンは贅沢品。私たちが今のように、朝や昼、ときに夜の食事として、当たり前にパンを食べるようになったのは戦後から。食糧難の時代に学校給食制度が導入され、子どもたちの昼食にコッペパンが配膳されたのが大きな契機となりました。学校給食用のパンを焼いたり、地域の人々の食生活を支えるため、和菓子店・洋菓子店はじめ、さまざまな業種の人たちがパン屋に転業し、各地にパン屋が急増。戦後まもまく創業したパン屋に、和菓子や洋菓子を販売しているところが多いのも、こんな歴史につながっています。

地元パンのたのしみは、材料、かたち、ネーミング、パッケージを知るほかにも、日常を豊かに彩るさまざまな広がりがあります。ここからは私が日々心躍らせる、地元パンを楽しむ視点を紹介します。

パンのふんわりとした風合いまで再現された地元パンのカプセルトイ。

パンのふんわりとした風合いまで再現された地元パンのカプセルトイ。

○ユニークな具材

これまで味わった地元パンは数知れず。定番のパンから珍しい具材のパンまでさまざまありますが、今回は、甘いの、辛い(惣菜)の、印象的な具材をひとつずつ紹介します。

甘いの代表は、長野県下諏訪町〈サンコーパン〉の「ババロアパン」。その名の通り、パンに大胆にババロアそのものをはさんだパン。地元では、40年以上に渡り長く愛される人気の品。パンとババロアの組み合わせとはいかに?! という心配をよそに、ほんのり甘いそぼろパンと、甘さ控えめのいちご風味のもちもちババロアは好相性。長時間の持ち帰りに向かないため、わざわざ諏訪に赴いて食べてほしい菓子パンです。

長野県下諏訪町〈サンコーパン〉の「ババロアパン」。

長野県下諏訪町〈サンコーパン〉の「ババロアパン」。

お次は辛い(惣菜)パン代表。北海道帯広市〈満寿屋商店〉の「白スパサンド」と「赤スパサンド」。白スパサンドは、自家製からしマヨネーズで和えたスパゲッティサラダがサンドイッチの中に。赤スパサンドは、ナポリタンをはさんだサンドイッチです。炭水化物×炭水化物の組み合わせですが、しっかり野菜も入って思いのほか軽やかに、ぺろりと食べられます。

北海道帯広市〈満寿屋商店〉の「白スパサンド」と「赤スパサンド」。

北海道帯広市〈満寿屋商店〉の「白スパサンド」と「赤スパサンド」。

○仕事やおでかけ、日常的に寄り道を

普段はあまり馴染みがない駅や地域に、仕事や用事で訪れたとき、必ず老舗パン屋に立ち寄って帰ります。たいていの駅周辺や商店街には地域に根づくパン屋があるので、勘を頼りに散策したり、「◯◯駅」×「パン屋」と検索することも。

先日は、小田急線成城学園前駅で仕事があり、集合時間より早く到着したので周辺をぶらぶら。まだほとんどの店が開いていない朝の時間でしたが、〈成城パン〉は営業していたので入ってみると、「チョコバルーン」という、アイスクリームの姿をした、ほかでは見たことのないパンに出合いました。

小田急線 成城学園前駅改札口から徒歩1分の〈成城パン〉。

小田急線 成城学園前駅改札口から徒歩1分の〈成城パン〉。

ワッフルコーンの先には、チョコレートクリーム入りのチョコレートがけパン。カラフルなチョコスプレーが愛らしさを強調しています。さらには、クリームチーズ入りのカスタードクリームを包み込んだパン生地の表面に、クリームチーズとクッキー生地をかぶせて焼き上げた「売れっ娘」というパンも、ユニークなネーミングに惹かれて購入。

私以外ほかに客がいなかったので、スタッフの方に話しかけると、毎日およそ120種類ものパンが並ぶそうです。創業は1929(昭和4)年と、成城屈指の老舗であることも教えていただきました。こんなふうにお店が混雑している時間でなければ、お店の方に話しかけたり、許可を得て記録用に自分が購入するパンの説明書き写真を撮らせていただくことがあります。おかげで、初めて下車する駅や訪れる地域があると、新たなパンに出合える予感で胸が高鳴ります。

「チョコバルーン」(写真下)と「売れっ娘」(写真上)

「チョコバルーン」(写真下)と「売れっ娘」(写真上)

○旅先で、翌日の朝食に

旅先では朝、その土地のパンを味わうために、朝食を付けないことがほとんど。パンは地元のパン屋で、牛乳やコーヒー牛乳などのパンのおともは、コンビニやスーパーや道の駅で、前日に調達したり、目覚めた足でパン屋に向かうこともあります。それをホテルの部屋や、パン屋近くの公園や駅のベンチで食べるのが、非日常を感じられる旅のたのしみ。

写真は熊本・天草の〈キムラパン〉。店の入口には創業70周年の貼り紙がありました。選んだのは、昔ながらの素朴な「ジャムパン」「クリームパン」「メロンパン」。熊本県産の牛乳を使った〈らくのうマザーズ〉の「カフェ・オ・レ」と合わせて。

熊本・天草の〈キムラパン〉。

熊本・天草の〈キムラパン〉。

左から「白あんぱん」「うぐいすアンパン」「クリームパン」「ジャムパン」。

左から「白あんぱん」「うぐいすアンパン」「クリームパン」「ジャムパン」。

○パンをおみやげに

旅でも日常でも、私はよく地元パンをおみやげにしています。自宅用はもちろんのこと、スタッフや仕事仲間、ご近所の友だちに手渡すことも。そうするうちに、私もよく地元パンをおみやげにいただくようになりました。写真は、ある日の夕方、松本帰りの仕事仲間と打ち合わせの際いただいた、〈小松パン店〉の「牛乳パン」。

牛乳パンとは、ふかふか厚みのある生地にミルククリームをたっぷりはさんで、レンガ型にカットした長野県の地元パン。現在、小松パン店の牛乳パンは要予約の貴重な存在。私に会うことが分かっていたので、ふかふかのパンが型崩れしないように、大切に持ち帰ってきてくださったそう。最近では、空港や駅でも地元パンをおみやげとして販売する地域もあるので、地元パン好き仲間とパンをおみやげに交換をしあうのもおすすめです。

〈小松パン店〉の「牛乳パン」。

〈小松パン店〉の「牛乳パン」。

○味わい深いパッケージデザイン

店売りと、袋売り、地元パンには2タイプありますが、袋入りの地元パンは、味わいあるデザインのパッケージが特徴的。昭和のある時代までは、今のようにグラフィックデザイナーという職業が一般的でなく、パンのパッケージデザインを、印刷会社の職人や、絵が得意な店主自らが手がけていたのです。そのため手で描かれたレタリングの文字やイラストが、独特の妙味で輝いて見えるのでしょう。

神戸〈田中屋本店〉には、グッドデザインのパンがずらり。こんなふうにまとめてパンを迎えたときには、ご近所さんやスタッフと分け合ったり、冷凍して味わっています。

神戸〈田中屋本店〉のパンたち。

神戸〈田中屋本店〉のパンたち。

○“いい顔”しているパン屋さん

私はよく、見た目も愛らしいパンや、佇まいにも味わいあるパン店を「いい顔している」と表現します。個人的には、昭和の時代から続いているのがひと目でわかる趣のある佇まいに、グッと心を掴まれます。人の表情にもその人の生きてきた道筋が現れるものですが、パン屋も店構えや看板に地域とともに歩んできた歴史が刻まれるのでしょう。

“いい顔”といって最初に浮かんでくるのが、和歌山市の〈ローマ〉。なんと店そのものがパンの形をしています。

和歌山市の〈ローマ〉。

和歌山市の〈ローマ〉。

和歌山県の友人と訪れ、みんなで大興奮。コッペパンに生クリームとフルーツをはさんだ「フルーツパン」を購入しました。

〈ローマ〉の「フルーツパン」。

〈ローマ〉の「フルーツパン」。

地元パンのたのしみは、まだまだあるのですが、今回はこのあたりで。みなさんも、出身地や、今暮らしている地域、旅先と、身近なものからなかなか珍しいものまで、日本各地に根づく地元パンの魅力を味わってください!

writer profile

Minori Kai

甲斐みのり

かい・みのり●静岡生まれ。大阪、京都と移り住み、現在は東京にて活動。旅、散歩、お菓子、手みやげ、クラシックホテルや建築など主な題材に、書籍や雑誌に執筆。店・風景・人、その土地ならではの魅力を再発見するのが得意。和歌山県田辺市、宮崎県川南町、宮崎県国富町、静岡県富士宮市、東京都杉並区など、自治体の観光案内冊子の監修も手がける。著書は『日本全国 地元パン』『にっぽん全国おみやげおやつ』『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』など50冊以上。インスタグラムアカウント@minori_loule

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