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海野和男のデジタル昆虫記

工夫(昆虫写真家への道13)

工夫(昆虫写真家への道13)
2007年01月23日

 さて昨日のマツノキハバチの実験の続き。
 こうした実験では、日長や気温をコントロールすることが必要だ。ところが当時はそんな実験設備は一般的でなかった。お金もない。日高研ではそれらはほとんどが手作りのものだった。古い茶箱をたくさん手に入れ、中にホースを通し、温度を下げた。幸い農工大の水道は井戸水で、温度が一定していた。そして光は電球をタイマイーで点灯と消灯をさせることで日長をコントロールしていた。温度を上げるにはひよこ電球を使っていたように思う。
 この装置はぼくも使わせてもらった。
 アゲハの蛹の色素の研究で、大量に幼虫を飼育しなければならない。今なら、色素を同定するのに微量で可能なのだろうが、当時はカラムクロマトグラフィーという手法で分離した。それにはかなりの数のアゲハの蛹を用意する必要があった。緑と茶色の越冬しない蛹と、緑と茶色の越冬する蛹を均等にたくさん作らなければならない。そして実験では、飼育温度などを一定にすることも求められるので、この茶箱を使って飼育をした。
 えさも同じにした方がよいから人工飼料を使う。農工大には大教室の前に1本のキハダがあった。キハダはアゲハの食樹だ。人工飼料の原料にはキハダを使ったと思うが、今、論文が手元になく、カラタチだったような気もする。カラタチの垣根が農場の果樹園にあった。ここはアゲハの研究にはもってこいの場所だった。卒業してからもずいぶんよく大学に通いアゲハの写真を撮った。
 さて、飼育装置に茶箱が使われた経緯はわからないが多分、学生に静岡高校出身者が多かったこともあると思う。静岡は茶の産地だ。静高出身者は、日高研には毎年1人いた。坂神さん、平井さん、桜井さん、そしてぼくと同学年に片井君がいた。だから静岡に縁があったのかなと思うのだ。日高先生は当時から原稿をたくさん書いていた。そして原稿で稼いだ私費を学生の実験にずいぶん使っておられたと思う。そうした所も偉い先生だなと改めて思うのだ。
 日高先生のところで得たものは多数ある。その中の一つが、購入したくても買えないものは自分で作ること、あらゆることに好奇心を持って工夫することだった。アメリカシロヒトリの研究では、ぼくも少し手伝った。たしかイーゼルにガラス板を置き、その向こうを飛ぶガの軌跡を記録した。明け方まだ暗いうちに飛ぶので、まず肉眼で追えない。ところが校舎の壁に真っ黒い大きな布を貼ると、アメリカシロヒトリは白いのでメスの軌跡がよく見えた。軌跡をトレースし。黒い布の前に未交尾のメスを置きいた。オスがどのようにメスを認知するかを調べたのだ。そんな経緯があったから、写真撮影でも若い頃はずいぶん工夫をした。これも日高研にいることで身に付いたのだと思う。

写真はカラタチの垣根で産卵するアゲハ。ペンタックスSP 100mmベローズタクマー ストロボ 1970年9月 エクタクローム(少し退色しているので自動コントラストで色を濃くしている)

◎デジタルフォト連載、今月はスペシャルで8ページ。ペルーのチョウやハゴロモ。ユカタンビワハゴロモも載っています。岩合さんのパンダの良い写真がギャラリーにあります。

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