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(Boulder)vol.17 金メダリストが創ったロードレース“ボルダーボールダー”

  • 2012年7月1日

金メダリストが創ったロードレース“ボルダーボールダー”
 ボールダーの夏の始まりを告げる名物ロードレース“Bolder Boulder(以下、ボルダーボールダー)”。34回目を迎える今年も世界各国から市民ランナー5万人超が参加し、大盛況のうちに幕を閉じた。人口たった10万人の小さなボールダーにこれだけの人が集まるのは一年を通してもこの日だけだろう。
 レースは毎年5月最後の月曜日、戦没者記念日に行われる。参加者全ての公式タイムが計られる大会、フルマラソン以外の大会としてはアメリカ国内で最大規模の大会だ。世界でも5番目に大きなロードレースとして知られる。この週末は合わせてボールダークリークフェスティバルも開催されており、町中が賑わう。



金メダリストが創ったロードレース“ボルダーボールダー”
沿道のバンド、チアリーダーたち
沿道のバンド、チアリーダーたち
沿道の民家でのサプライズ(ウォータースライダー)
沿道の民家でのサプライズ(ウォータースライダー)
 朝7時ごろ、車いすランナーのレースからスタートする。ウェーブ式スタート方式を採用しているため、その後午前9時半ごろまでに100以上ものグループに分かれて1〜3分間隔で5万人の参加者が順々にスタートして行く。レースエントリーの段階で自分のペースや目的に会わせたスタート枠を選ぶことができるため、大きな大会にありがちな「スタート地点で何十分も待たされた」というストレスがないのが特徴である。

 タイムを狙うランナー、思い思いの仮装をしながら楽しむランナー、家族一緒にのんびり歩くランナー、赤ちゃんを背中に背負って走るお母さんランナーまで目にする。住宅地を駆け抜けるコースで、庭先でバーベキューをしているお宅から「一口食べて行きなさい」とお裾分けをもらったり、「一杯飲んで行かないか!」と声をかけられたりする。ランナーに向かってマシュマロを投げてくれる子供もいてなんともリラックスした大会。まだ私は飛び込んだことがないが、庭先にウォータースライダーを設置している名物ファミリーもいるのでいつか挑戦してみようと思う。それら一般の人たちの応援に加え、沿道にはバンドミュージックや大道芸人、地元のダンスクラブやチアリーダーなどのグループがずらっと並んでレースを盛り上げる。


“ボルダーボールダー”の創設者は、マラソン金メダリスト

1972 年ミュンヘンオリンピックで金メダルをとった時のフランク・ショーター(photo by Daily Camera)
1972年ミュンヘンオリンピックで金メダルをとった時のフランク・ショーター(photo by Daily Camera)
 この底抜けに明るく楽しいレースを34年前に創設したのはミュンヘンオリンピック金メダリストのマラソン選手、フランク・ショーター氏である。今も大会運営に携わり、市民ランナーに混じってレースに参加し多いに会場を盛り上げる。インタビューの機会を得てお話を伺うことができた。
 1970年代最強のランナーとして世界的に知られるフランク・ショーター氏は、その圧倒的なスピードと美しいフォームから(そして時折そのヒゲと長髪の型破りなファッションから)マラソン界の歴史を変えたとも言われる。彼に印象に残っているレースはどこかと聞くと、福岡国際マラソンの名を真っ先に挙げてくれた。
 無名時代に出場した1971年の福岡国際マラソンでフランク氏は前年の優勝者宇佐美彰朗を押さえて優勝し一躍トップランナーとして名を馳せた。翌年のミュンヘンオリンピックで金メダル、その後福岡国際マラソンでは実に4連覇という快挙を成し遂げたのである。
 「私が福岡で4度も勝てたのはひとえに大会実行委員会と福岡の人々の手厚いおもてなしのおかげだった。彼らの温かで行き届いた対応のおかげで私はレースのときいつもただただ無心で走ることができたのです」とフランク氏は言う。彼は今も大の親日家であり、日本の有識者、ランナーたちとの交流を大切にしている。


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