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Vol.28 石井美由樹さん
ベニバナに癒やされ、魅せられて…

  • 2017年9月14日
  • NPOローハスクラブ
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紅花音羽屋 代表/石井美由樹さん

Profile
東京都出身。都立高校卒業後、貿易会社に勤務。学びたい欲求により退職。國學院大學に入学。史学科にて延喜式や古代装束を学び、古代紅花染の再現等を始める。在学中、祖母の介護により介護資格を取得。ライフワークとなっていたメディカルハーブを用いた介護ボランティアを始める。國學院大學卒業後、介護施設で働きながら福祉大学の心理学部に入学。2003年潜水士と結婚。2006年長男出産を機に退職。
2004年実家では江戸時代から紅花に携わっていた「音羽屋」継承のために両親が山形県白鷹町に移住。音羽屋小右衛門13代目を継承した母が紅花を復興。夫が潜水士という生業上一年の大半が出張のため、紅花のシーズンは山形で生活し一連の作業を手伝う。2014年山形県白鷹町に家族で移住。音羽屋小右衛門14代目を襲名。無農薬での紅花生産とハーブの生産に従事し、「紅花香黄染」の事業化のため 「紅花音羽屋」を起業。

江戸時代の技法による紅花染めが復活

300 2_紅花

 紅花は山形県の県花に指定され、山形では江戸時代に最上紅花(もがみべにばな)の栽培が盛んでした。
 私の母方の実家は山形県白鷹町で「音羽屋」という屋号を持ち、その家で商売をする者は「音羽屋小右衛門」として代々継承してきました。紅花は江戸時代に関わっていたという文献が残っているのですが、明治時代に化学染料が入り、それまでは紅花でしか表現できなかった紅を容易く作れ、戦争による贅沢禁止令による紅花の栽培禁止で紅花は山形県全域で消滅をしてしまいました。
 戦後、偶然とある農家の納屋から昔の種子がみつかり、それが発芽したことから農家と知識人等が集まり紅花栽培が復興されました。曽祖父である11代目もこの時に種を分けてもらって花を咲かせたのですが活用法がわからず断念したと言います。その後山形県では保存会が発足。昭和40年には山形県紅花生産組合連合会が組織され、生産が本格的に再開されました。

300 3-紅餅
水で洗い、黄汁(黄色色素分)を十分に流す紅餅作りの作業
 紅花に祖父母の面影を重ねる母が紅花に魅せられ紅花農家で勉強し、本格的に紅花生産と染料となる紅餅の生産を始めました。紅餅(べにもち)とは紅花の紅を取り出すための加工法の一つで、紅餅にして発酵させることで、より鮮やかな紅が得られます。
 当時私は子育ての真っ最中。夫は潜水士という生業上ほとんど家に帰れない状態だったため、紅花のシーズンは白鷹町で紅花の手伝いをしていました。


 最上紅花は棘が強く、厚手の手袋をしていても痛いです。手袋はすぐ穴だらけになります。棘が強いために朝露を浴びて棘が柔らかく、お日様が弱い時間が摘み頃なので早朝作業になります。とはいえ、贅沢を言えないので朝から晩まで摘んでいるのですが、ベテランの方で1時間に1kg。そうして摘んだ花弁を染料となる紅餅に加工します。この工程はとても繊細で細やかな目配りと丁寧さが求められる職人技です。
 痛みと暑さをこらえて紅花を摘み、その後すぐに繊細な紅餅加工を行わなくてはならないので最盛期の慌ただしさは壮絶です。それ故に紅花生産は紅花への愛情が生まれて長く続ける人と一年目で見切りをつける人とにハッキリ分かれます。母の場合は紅花に幼い日の思い出や祖父母を投影させているので、温かい気持ちに包まれながら紅花生産をしているそうです。元来探求心が強く、雷コンサルタントを生業としている父の場合は紅花の土作りから始まる一連のプロセスに情熱を傾けることにより紅花への愛情が生まれました。私の場合は紅花への恩義と紅花という生命体の神秘に魅せられたことにより紅花への愛情が生まれました。

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