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Vol.25 宮本英治さん
土に触れずして紅茶は語れない…自ら紅茶づくりを

  • 2014年4月11日
宮本英治さん

紅茶研究家/宮本英治さん

Profile
岡山県生まれ。1987年 幼稚園2級普通免許及び保育士資格を取得。1992年 社会教育主事資格を取得。岡山県山陽町教育委員会社会教育主事となる。1996年退職後、全国各地で開講された「紅茶の飲み方、文化、歴史」などの講師として活動。1999年岡山県大日高原にペンションを開業。2005年春、アッサム種を中心に念願だった紅茶農園を開園。2011年、自家栽培の茶葉を使った製品が完成。備北民報「紅茶の丘の物語」連載開始。2013年5月株式会社アーリーモーニングを設立。「農林水産省6次産業化事業」認定事業者となる。新ブランド「EIJI MIYAMOTO」を発表。

 

 今回ご紹介する宮本英治さんは、教育委員会で社会教育主事として生涯学習に関わったことで、自身の生き方も模索。そこで気づいたのは自然や農業へのあこがれ。なかでも紅茶だった…。

紅茶への探求

カモミールと紅茶  ワインやフランス料理、油絵などヨーロッパ文化に興味があったものの、紙と木の文化の日本人が石と油の文化であるヨーロッパの文化を体現できるわけがないと思っていた宮本さん。そんな宮本さんが、紅茶を日本で栽培しようと思ったきっかけは、「中学3年の時、美術室で目にした洋画家佐伯祐三の画集にあった、パリ郊外のモランを描いた一枚にくぎ付けになりました。こんな油絵が日本人にも描けるのかという感動が始まりでした。その時から、世界の国々でできることが日本で出来ないはずはない」と気づいたという。
 その後、宮本さんは社会教育主事として教育委員会に勤務していましたが、思い切りよく職を離れ、紅茶の世界を徹底的に学び直したそうです。歴史や文化はもちろん、ポット内で起きる茶葉と湯の科学的な変化、味と香りへの影響…と探求を深化させていったのです。

西日本蝶理製菓専門学校の特別授業での宮本さん
西日本蝶理製菓専門学校の特別授業での宮本さん
 学校、企業、公民館など多方面から紅茶に関する講演や講座の依頼受けることが多くなった宮本さん。岡山市にある西日本調理製菓専門学校でも紅茶の特別授業を受け持っています。
 「お菓子づくりのプロを目指している方たちですから、概論や入れ方の技術だけでなく、なぜ紅茶が必要なのかを歴史や文化、習俗などあらゆる面から理解していただけるようお話をします。
 彼らと同じ頃の私は、『君の夢は何だね』そう聞かれた時、『幼稚園教諭になることです』と答えました。美術系の学校を卒業して、あらためて幼児教育の勉強をさせてもらい幼稚園教諭と保育士の資格の両方を取得しました。でも20年前には男性が幼稚園の先生になるというのはとても難しかった。『幼児教育は現場だけではないよ。もっと広い立場で幼児教育を活かせる道に進め』と諭され、かつての職場だった教育委員会で社会教育主事として幼児教育から高齢者教育まで幅広く仕事をさせていただきました。そのお陰で“食”と“教育”というテーマが私のライフワークになったのです」


日本のダージリンで…自ら紅茶づくり

雲海の大日高原
雲海の大日高原
アーリーモーニングのペンション前の農園
アーリーモーニングのペンション前の農園
 「自ら紅茶を作ってこそ紅茶研究家である」と宮本さんは思っているそうです。「だからこそ紅茶研究家は百姓であるべきなのだと。お百姓の姓とは、いろいろなものを生み出すという意味もあり、自分の手で様々なものを作り出していくという意味も含まれているといわれています」

 紅茶をつくるために適した場所を求めて紅茶研究家として全国で教室、講演をしていくなかで、宮本さんは考えました。世界の有数な紅茶生産地は山岳地帯や気象条件の厳しい場所が多いのです。その理由を研究していきながら、自らの紅茶を育てる場所のイメージをまとめていき、そしてたどり着いた結論が、インド北部のダージリン地方の土地・気象でした。
 そして、岡山県大日高原(現在、アーリーモーニング紅茶農園の場所)はダージリン地方と酷似した土地形状と気象条件にあります。冬には雪が降り紅茶の樹は休眠します。冷涼な気候、昼夜の寒暖の差、霧の発生。傾斜がきつく水はけがよい。その場所を宮本さんは“日本のダージリン”と決め、1998年に家族で移住し、ペンションを経営しながら高品質の紅茶作り。最初の木を定植して10年。紅茶農園を開くと心に決めて25年が経ちました。


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