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Vol.22 長谷川哲士さん
屋上庭園で米づくり ! ?  可能にする秘策とは・・・

  • 2012年6月1日

沖縄「首里城の復元整備」で

首里城・瑞泉門付近/ Photo by Wikipedia
首里城・瑞泉門付近/ Photo by Wikipedia
 モロッコから帰国後、沖縄の仕事が多くなり「首里城の復元整備」のプロジェクトに携わることに。首里城は、琉球王国の居城でしたが、先の戦争で破壊され、当時、跡地は琉球大学のキャンパスとして利用されていました。この城跡を国営で復元整備することになり、城内に付帯する庭園や植栽の復元整備の計画を担当することになったそうです。

 「復元という行為は、自由に発想する計画・設計とは異なり、過去に存在していた事象にできるだけ戻すということですから、まずは当時の古文書や戦前の写真などを収集・解析することから始めなくてはなりません。しかし沖縄は戦争の激戦地でしたからめぼしい資料は焼失してしまい、往時の風景を再現するのに苦労しました。
 城内の庭園を復元するためには、まず残っていた絵図から庭園の存在していた位置を割り出しました。また、文献などから庭園様式を確認し、あるいは焼失を免れた王族の別邸や周辺の住宅庭園を調査することで、具体的な構成を模索しました」

 

瑞泉門付近の植栽景観検討図
瑞泉門付近の植栽景観検討図

 

 

 

沖縄独特の石灰岩を用いた石組/石垣・宮良殿内
沖縄独特の石灰岩を用いた石組/石垣・宮良殿内
書院・鎖之間庭園は城内唯一の本格的庭園/ Photo by Wikipedia
書院・鎖之間庭園は城内唯一の本格的庭園/ Photo by Wikipedia
 「琉球庭園の特徴は石灰岩に由来する奇岩を配し、ソテツなどの亜熱帯植物を多用し、あるいは岩に文字を陽刻するなどどちらかと言うと中国庭園に似た雰囲気を感じますが、実は時代が下るほど日本(京都)の影響が大きく、基本的な構成は日本庭園そのものです。ただし、使用する石材や植物などが異なることや龍頭など日本庭園にはあまり用いない要素のためにどこか異質な感じを受けやすいのかもしれません。
 植物景観の推定は、より困難を極めます。樹木などは常に生長し、遷移する性質を持っていますから往時の景観は誰も知らないのです。それでも往時に描かれた絵図の中の植物の形から、存在していただろうという樹木を推定し、また、植生の出現傾向から、地域の植物を割り出しました。さらに、首里城周辺に戦前から居住し、城内を遊び場とした街の古老に話を伺うことで、戦前の植物景観の特徴や場所の特定がある程度できるようになりました。そしてこれら状況を実感できたのはやはり写真資料でした。焼失したとはいえ、場所の状況を特定するには十分な証拠写真が仕事を続けていくうちに見つかり、庭園構成や植物景観を決定するのに大いに役立ちました」

 首里城は『沖縄記念公園首里城地区』として1992年11月に一部開園、2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録され、多くの来訪者で賑わっていますが、その歴史・文化の示す世界は、奈良・京都を中心とした在来の文化と異なり、わが国の最南端の島々で展開された“もう一つの日本文化”であって、これはわが国の歴史・文化の枠組みを拡大し、より豊かにする内容を秘めた貴重なものであることを世界遺産登録が物語っています。

 

 

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