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第26回 元総理大臣「安倍晋三」夫人 / 安倍昭恵さん
翔る! ニコニコ大使

  • 2012年10月1日

生かされている自分

一般の方から見ると、もの凄くポジティブ・シンキングで行動的と思われるのですが。子供の時からずっとそうだったのでしょうか?

田んぼに水を張って行う「どろんこフェスタ」で
田んぼに水を張って行う「どろんこフェスタ」で
関門海峡の夕陽
関門海峡の夕陽
 いえいえ。子供の時は、ずいぶんおとなしい子供でした。学校でも余り手を上げるようなタイプではありませんでしたし。家でも静かに遊んでいました。広告代理店に就職してからも、同僚や上司に恵まれて充実した毎日ではありましたが、総務でしたし、そんなに目立つタイプではなかったと思います。

 変わったのは、やはり結婚してからでしょうね。
 おつき合いしていた時は、お父様の安倍晋太郎外務大臣秘書官でしたが。いずれ政治家となるのは分かっていましたし。それなりの覚悟はありましたが。それまでは、フワフワフワ…という感じでした。やはり嫁いでみると、びっくりすることばかり。周りに、政治家の方もいなかったですしね。
 でも、山口に引っ越したのは楽しかったです。あれは1991年ですね。豊かな自然の中を歩いたり、自転車で走ったりすることは、昔から憧れていましたから。楽しかったぁ! 牛だ! 豚だ! と大喜びで近づいて行ったら、「奥さん、牛には選挙権1票ないですからね」て、注意されたこともあります。(笑)


 2006年に総理夫人になってからは、本当に慌ただしい毎日でした。余り、準備もないまま主人が総理大臣になってしまい、不安が大きかったのですが…。いざそうなってからは、とてもそんなことなどいっていられません。ただスケジュールをこなすだけで精一杯。現職中の後半の頃は、主人の体調も相当ひどかったようで…。私の方も忙し過ぎて、充分にケアしてあげることができませんでした。申し訳なく思っています。
 入院中の主人に「政治家を辞めてゆっくり暮らしましょう」といったところ「いや、それは違う。皆の代表として選んで頂いた以上、責任がある」といって、ベッドの上で山積みの書類を懸命に読んでおりました。鬼気迫ると申しますか、政治家の責任の重さというものを改めて感じたものです。
 私自身も、とても精神的につらい時期で、いっとき引き蘢りのような状態になったものです。
 唯、あの経験があったからこそ、何が本当に大事なのか、他人から見た自分ではなく、自分が本当にやりたいのは何なのか。深く考えるようになりましたし。それと同時に、「生かされている自分」というものを意識するようになりました。

 

 

 

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