サイト内
ウェブ

ビタミンの名前の由来は? 日本人も担った発見の黄金時代

  • 2024年4月7日
  • ナショナル ジオグラフィック日本版

ビタミンの名前の由来は? 日本人も担った発見の黄金時代

 風邪にはビタミンCがいい? 天気の良い日はビタミンDがたくさん取れるチャンス? それらの真偽はさておき、ビタミンが健康維持に欠かせないのは常識だ。しかし、ビタミンはどうやって名前が付けられたのか? それに、ビタミンはそもそもいつ発見されたのだろうか?

ビタミン発見の前は

 人間は、食事が健康に関係していることを古くから理解していたが、化学や物理学、生物学の発展に支えられて現代の栄養学研究が登場するまでには長い年月を要した。初期の栄養学で実験の中心となったのは、1772年に発見された窒素だった。そこでは、食べ物の中に窒素があるかどうかが、動物や人間の健康とどう関係しているかが調べられた。

 そして1839年、オランダの化学者ヨハンネス・ムルデルは、「タンパク質」と名付けた分子の存在を提唱する。ムルデルはこれを、動物の栄養に欠かせない物質だと考えた。

 栄養学者で歴史家のケネス・カーペンター氏の論文によると、その後何十年もの間、タンパク質だけが「真の栄養素」だとされた。その間に、果物や野菜、牛乳が壊血病やくる病の症状を和らげることが分かり始めていたにもかかわらずだ。こうした病は食事に偏りがある人々に起こりやすかったが、研究者たちはなお、感染症や汚染された食べ物、あるいは海辺の空気に原因があると考えていた。

栄養の欠乏と脚気

 一方、長い船旅に出る船乗りたちを苦しめていた病もあった。脚気(かっけ)だ。足に感覚障害を起こし、悪化すると心不全に至る。

 日本の海軍軍医、高木兼寛(たかき かねひろ)は1880年代、貧しい人々が裕福な人々に比べて脚気になりやすいことに気付き、原因が食事、とりわけタンパク質の不足にあるのではないかと考えた。

 同じころ、オランダの軍医、クリスティアーン・エイクマンはニワトリにまつわる経験から独自の説を編み出していた。軍の病院にあった白米を与えられたニワトリに、脚気のような症状が現れたのだ。だが、「軍のための米」を民間のニワトリに与えるのを快く思わなかった炊事係が餌を玄米に戻すと、ニワトリの症状は回復した。このことは、その後の実験でも確かめられた。

 エイクマンが研究を続けると、白米を与えられていた受刑者にも脚気の患者が多いことが判明し、白米が原因の1つと考えられた。

ビタミンの発見

 精米で取り除かれるコメの外皮や糠(ぬか)に注目したポーランドの生化学者、カシミール・フンクは、20世紀初頭、ハトを使って独自の実験を始める。白米だけを与えられたハトには脚気の症状が現れたが、糠と酵母を与えたところ回復した。この発見によって、脚気の原因は食事にあるとした高木の説が裏付けられた。

次ページ:ついに名付けられた「ビタミン」

 しかし、直接の引き金は、タンパク質ではなく別の物質の欠乏だった。フンクは1912年、この物質をラテン語で「生命」を意味するビタ(vita)と、窒素を含むある種の物質の総称であるアミン(amine)を組み合わせて「ビタミン(vitamine)」と命名した。

 ビタミンの発見は科学界に衝撃を与えた。栄養の欠乏が病気を引き起こし、新たに発見された物質を与えることで治療できる可能性を示唆したからだ。「単調な食事は避けなければならない」とフンクは宣言した。

 研究者たちは、くる病、壊血病、甲状腺腫などの病気と関連する微量栄養素の特定を急いだ。フンクが「ビタミン」という言葉を発表したころ、米国の栄養学者、エルマー・マッカラムはさまざまな動物に異なる食べ物を与える実験を行い、一部の脂肪に含まれる「付属」物質がラットの成長に欠かせないことを発見する。マッカラムが「脂溶性A」と呼んだこの物質はのちに「ビタミンA」と名付けられた。

 マッカラムらは、自身がラットの実験で見つけて「水溶性B」と名付けた物質が、エイクマンやフンクが発見した米糠由来の栄養素と同じであることも発見した。これはのちに「ビタミンB」となる。さらに実験を重ねると、ビタミンBが水に溶ける複数の物質からなる混合物であることがわかった。それぞれに「チアミン」などの名前が付けられ、ビタミンB群として発見順に番号がふられた。

 フンクが発表した当初の「ビタミン」のつづりは最後に「e」が付いていた。しかし、その後発見された物質が必ずしも窒素を含むアミンではなかったことから、最後のeは削除され「vitamin」となった。

 しかし、ビタミンの名前に発見順にアルファベットを付けていく習慣は残った。現在、4つの脂溶性ビタミン(A、D、E、K)と9つの水溶性ビタミン(ビタミンCと8つのビタミンB群:B1(チアミン)、B2(リボフラビン)、B3(ナイアシン)、B5(パントテン酸)、B6(ピリドキシン)、B7(ビオチン)、B9(葉酸)、B12(コバラミン))が人間の成長と健康維持に必要不可欠と考えられている。

なぜいきなりビタミン「K」?

 整然とした命名法則を破ったのはビタミンKだった。1929年にデンマークの研究者、カール・ピーター・ヘンリク・ダムによって発見された。

 発見された時期から考えると、もっと早い順のアルファベットが付けられたはずだが、このビタミンは血液が固まるのに必要な物質だった。ダムの論文が掲載されたのはドイツの学術誌で、血液凝固はドイツ語で「Koagulation」だったためビタミンKに落ち着いた(編注:アルファベットや数字に抜けがあるのは、ビタミンの定義に当てはまらなくなったものや、すでに報告されたビタミンと同じだと判明したもの、正体不明のものなどが除外されたからでもある)。

 人間に不可欠なビタミンB12が1948年に発見されてから半世紀以上が過ぎた。その間、研究者たちはビタミンの働きや欠乏したときの病気について知り、ペラグラ(ナイアシンの不足で皮膚や消化管などに異常が起きる病気)や貧血などの治療にビタミンを使ってきた。だが今後、重要なビタミンが新たに発見される可能性は低い。

 しかし、栄養学的な発見は終わったわけではない。栄養学の研究は現在、かつてないほど進歩しており、人間の健康を左右する極めて微量な栄養素についても研究が可能になっている。

 ビタミンが相次いで発見された黄金時代が前菜であれば、研究者たちは今、メインディッシュを食べているところだ。食べ物が私たちの体をどう作り上げているのかについて、一つひとつの微量の物質から急速に理解が進んでいる。

あわせて読みたい

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。

掲載情報の著作権は提供元企業等に帰属します。
(C) 2024 日経ナショナル ジオグラフィック社