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アイヌに会ったことないって本当? 『ゴールデンカムイ』の前に知るべき アイヌの歴史ーー2024年前半BEST7

  • 2024年5月5日
  • CREA WEB

 2024年1〜4月にCREA WEBで反響の大きかった記事ベスト7を発表します。カルチャー部門の第6位は、こちら!(初公開日 2024年1月24日)


『ゴールデンカムイ』の人気で、アイヌの文化や伝統への関心は高まっています。でも、アイヌの人々が抱える差別や生きづらさについて、思いを巡らせられている人はどれだけいるでしょうか。

 アイヌへの差別の構造について考えることは、女性やLGBTQ+、障がい者など他のマイノリティ差別の理解にも繋がります。『ゴールデンカムイ』の監修にも参加している、北海道大学教授・北原モコットゥナㇱさんにアイヌの人々がどんなことに「もやもや」を感じているのか、そして無知・無理解の構造、マイノリティとマジョリティの関係性などを伺いました。


『ゴールデンカムイ』でアイヌに興味を持ったなら
差別や偏見にさらされてきた歴史も知ってほしい


自身もアイヌとしてのルーツを持つ、北原モコットゥナㇱさん。

ーー北原先生は漫画『ゴールデンカムイ』の監修をされています。どのような経緯で引き受けたのでしょうか。

『ゴールデンカムイ』はもともとアイヌ語監修として千葉大学の中川裕先生が入っています。中川先生とのご縁で私は編集部の方と会い、その際に文化研究の立場から気になる部分をお伝えしたんです。連載はすでに掲載されているものの、作者の意向もありコミックスでは修正を反映したいと連絡をいただき、そこから情報提供をする形で協力をしていました。

 驚いたのは、きちんと資料に基づいて描かれていても、その資料の記述の方が間違っていた、ということが多々あったことです。これは我々研究者の責任でもあるのですが、その誤りに気づけたことで論文を書いたりしたので、こちらも学びの多い作品となりました。

ーー『ゴールデンカムイ』でアイヌについて興味を持たれた方も多いと思いますが、北原先生は作品はどう見られましたか?

 面白い作品であることには変わりないのですが、100か0では評価できないと思っています。BLに対するゲイ当事者の評価に賛否があるのと同じような気持ちかもしれません。BLブームによってゲイの恋愛を好意的に受け止めるようになった人も増え、さらにハッピーエンドな作品の増加により明るい見通しを持てるようになった当事者もいる一方で、リアリティと乖離してファンタジーとして描かれた作品に憤っている当事者もいる。

『ゴールデンカムイ』については、やはり影響力は相当ありました。作品に興味を持って私の授業を取りにくる学生も増えましたから。入り口として、アイヌへのイメージもかなりいいものに展開したと思います。一方でファンタジーなので、差別についてはほとんど描かれていないという批判もあり、その通りだと思います。

ーー北原さんの著書『アイヌもやもや』ではアイヌ文化を伝えるのではなく、アイヌ“問題”として語られる差別などに対するもやもやに焦点を当てています。どのような思いが出発点にあったのでしょうか。

 やっと、小・中学校の教科書の中でアイヌについての記載が増えてきたと実感しています。しかし、それは主に伝統や文化についてなんですよね。

 次はしっかりアイヌの近現代史、つまり差別や偏見にさらされてきた歴史についても語られなければいけないと思っていました。そんなときに、フェミニズムやセクシュアルマイノリティ、在日コリアンについての研究がとても参考になりました。

「違いはない、問題はない」と言われてしまう

ーーほかのマイノリティ研究を勉強していて気づいた、共通点とはどのようなものがありますか?

 フェミニズムを学んでいて思うのは、多くの人が女性と男性の違いについては理解をしていながらも、「平等である」という感覚もすごく強く存在しているということ。実際にはいろんな面で女性にとって働きづらかったり暮らしづらかったり、不利益な制度などが存在しているのに、表向きには平等だと見られている。フェミニズムがそこにある格差をズバリ指摘している点は、ほかのマイノリティとマジョリティの関係にも重なると思っています。違いはない、問題はないと言われてしまうことに、違いがありますよと気づくいろんな糸口を用意してくれているんですよね。

 そしてセクシュアルマイノリティや軽度の障がい、アジア系の在日外国人の研究を学んでいて思うのは、本当は自分はマジョリティとは違うものを持っているんだけど、気づかれないと存在しないものだとされてしまう点。ここには本当は違う考えを持った人、違う性質を持った人がいるんですよということを、わざわざ手を挙げて言わないとわかってもらえない。本当に悪意なく、みんな一緒で良かったとまわりが勝手に納得してしまう。そこに気づいてもらうためには、ある程度リスクを負って名乗る覚悟をしなければいけなくて、そういう葛藤の部分は非常によく似ています。

ーーアイヌに関するネットのニュースなどでは「北海道民だけどアイヌに会ったことがない」「差別なんてない」「興味がない」なんていうコメントも見受けられます。

 あえてマイノリティを相手に選んで「会ったことがない」「いない」と書くことには、存在や主張を打ち消したい意図を感じます。

 もうひとつ、「差別」という言葉を、面と向かって悪口を言う、暴力を振るわれるなど直接的なものでしかイメージできていない面もあると思います。直接的な暴力やヘイトは公の場所ではなく隠れて行われている事が多いので、見たことがないのは当然ですよね。

 しかし、差別は直接的なものだけではなく、制度的な差別、文化的な差別もあります。よく知られるアパルトヘイト(人種隔離政策)は代表例です。


『アイヌもやもや 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。』より。漫画は、田房永子さんが担当。

『アイヌもやもや 見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。』より。漫画は、田房永子さんが担当。

ーー「差別」という言葉に、他者を傷つけるような言動を取ることしかイメージが湧かないんでしょうね。学校で「差別をしてはいけない」と学んだとしても、その「差別」が何を指しているのかをわかっている人は少ない。

 北海道でもかつて、アイヌは和人と取得できる土地の広さが違ったり、同じ教育を受けられなかったり、差別的な法によって同等の権利を与えられていませんでした。サケ漁を禁止されたり、同化政策によって言語や文化を奪われたことも事実なので、「差別なんてない」はありえませんし、それにいまだに差別意識は根強く残っています。

「アイヌに会いたい」観光客の驚くべき言動

ーーアイヌについていえば2019年に「アイヌ新法」ができました。これはいい動きと言えるのでしょうか。

 やはり100か0かで語るのは難しいです。先にできた「アイヌ文化振興法」(1997年)も、文化振興をアイヌ民族の権利の点から論じることはほとんどなく、ただ日本にはアイヌ文化があるので普及しましょうという法律でした。今回の新法はその文化振興法の仕組みを割とそのまま引き継いでいながら、一応法律上、アイヌ民族は先住民族だと明記されました。

 差別の禁止も明文化されたのですが、それはただの掛け声で、何が差別かということは全然規定していないんですよ。だから、これは差別のつもりはないという開き直りができてしまう。不備の多い法律です。

 また、国連など国際的な議論の中では、先住民族とは「近代国家による支配を受けた状態で、権利が制限されている」ことを指して使われるのですが、日本の政治レベルでは先住民族とは何かという議論はされていない。先住民族としての権利保障は何も記されていないのが現状です。

ーー最近ではLGBTQ+でも「差別禁止法」が通るかと期待されていたのに、「理解増進法」に留まる結果となりました。少しはましに動いているけど、結局権力側の都合のいいような法案にしかなっていないというのが現状です。だからこそ、差別の歴史などもしっかり語り継いでいく重要性もあると感じました。マイノリティは構造的に不利益を被っている。そしてマジョリティはその上で利益や特権を与えられていることに自覚的にならなくてはいけないですね。

 マジョリティは自分の価値観や振る舞いを「ふつう」「標準」と感じています。その結果、マイノリティの特徴だけが人目に付く特殊なものとされてしまっている。これは明治以降の近代化とも大きく関わっています。

 産業が転換し、工場での生産を上げていくために適した人材が健常者で、それが難しい人が障がい者と振り分けられる。そして女性は家庭で、働き疲れた男性を癒してまた工場へと送り出すこと、そして次の労働者となる子どもを産み続けることが役割とされていく。さらに男女の役割の関係性を崩すようなセクシュアルマイノリティは存在を否定される。子どもや高齢者も生産性がない存在として余計者にされる。

 外国人やアイヌ・奄美・琉球のような先住民族は、日本が新しく土地や資源を獲得する際にやはり異物扱いされ、なおかつ劣ったものとして権利を制限されるようになった。根拠もなく、私たちははるか昔から当たり前に差別が存在していると思い込みがちですが、近代からと考えると案外歴史は浅い。

 そういう風に、マジョリティ自身が自分がマジョリティになった歴史を知ることで、理解できることが増えていくと思います。夫婦同姓も明治期に始まったもので、全然日本の伝統的な家族観ではないこともそうです。そういうことに気づくことが歴史を学ぶ意味だと思います。

ーーそう考えると選択的夫婦別姓や同性婚が認められないことも、特定の人に対する差別的な制度であるとより理解できそうです。

 また、外見的なことに対しても差別的なステレオタイプが存在します。アイヌへの侮辱は外見上の批判や不適切な扱いとして表れることが多いと感じます。顔立ちの違いや多毛はアイヌに貼られたレッテルの一つです。実際に私が白老の博物館で働いているとき、「アイヌに会いたい」と観光に来られる方の言動にびっくりしたことがあります。

 職員たちはみんなアイヌだったのですが、彼らを見ても観光客は納得してくれないんです。私は髭を蓄えているのですが、私が登場するとアイヌだと納得される。観光客側には、「こうあって欲しい」という先入観でアイヌ文化を見る傾向があったため、理不尽な質問や態度を取られたこともありました。

ーー言い方が悪くなりますが、観光客はまるで見世物を見に行く「物見遊山」的な感覚だったのでしょうね。そこには、他者をジャッジしたがる差別的な眼差しが透けて見えます。そして自分たちはジャッジしていい側だと思っている。

 これは精神障がい者の研究から学んだ考え方なんですけど、スティグマ(一般と異なるとされ、差別や偏見の対象として使われる属性や特徴)って、人間はお互いに他の集団に対して抱いてしまうんですよね。なかでもマジョリティが持ってるスティグマは、社会の基本的な価値になってしまう。障がい者や外国人やLGBTQ+は怖い、とか。

 そうするとその社会の中で暮らしてる当事者にもそれが内面化されてしまって、自分は恥ずかしい存在なんだとか、自分は駄目なんだと自己肯定感がどんどん下がっていき、社会に出る気力が削がれてしまう。本当は社会に出て他の人と接触をすることで偏見は解消されていくはずなんですが、その機会も失われて、さらに偏見が強まって固定化してしまう。

 だからアイヌでいうと、期待通りのアイヌとしての振る舞いを何か求められたときに反発の感情が生まれてしまい、アイヌと名乗りたくなくなる人も私の身の回りでは多いです。

ーーマジョリティからの攻撃を避けるため、マイノリティはどんどん人目のつかない場所へと隠れていってしまうわけですね。この悪循環を脱するためにはどうすればいいのでしょうか。

 当たり前なんですけど、いろんな人がいると認識すること。相手に変な期待を持つことは、自分が好意だと思っていても、相手にとっては不本意だったりする。そのことはマナーとして知っておくべきだと思います。

北原モコットゥナㇱ

1976年東京都杉並区生まれ。北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授。アイヌ民族組織「関東ウタリ会」の結成に両親が関わったことで、文化復興や復権運動をはだで感じながら育つ。著書に『アイヌの祭具 イナウの研究』(北大出版会)『ミンタㇻ1 アイヌ民族27の昔話』(小笠原小夜氏と共著、北海道新聞社)など。

文=綿貫大介

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