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亀そっくりの石の頭を撫でると…? 弘法大師の七不思議が残る足摺岬の 灯台から見下ろす太平洋の大パノラマ

  • 2024年4月4日
  • CREA WEB

足摺岬灯台(高知県)。

 現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2021年に『星落ちて、なお』で第165回直木三十五賞を受賞した澤田瞳子さんが高知県の足摺岬灯台を訪れました。


弘法大師・空海に由来する足摺岬


澤田瞳子。

 高知の灯台の旅も、いよいよ最終日。低気圧が近づきつつあるため、昨日までのような快晴ではない。それでも空にたなびく雲はまだ細く、陽射しもじりじりと強い。

 本日訪れるのは足摺岬灯台。高知市内からは高速を使っても、車で約三時間かかる。昨日、高知県の東端・室戸岬灯台にうかがったのに引き続き、今度は県の西端までの灯台を求めてのロングドライブだ。

 昨日は往路・復路ともに、道の片側にずっと海が見えた。しかし今日は高速道路が内陸部を通っているため、辺りの風景はずっと山ばかりだ。

「カーナビによると、ここが足摺岬までの最後のコンビニみたいですよ。寄っておきましょう」

 運転してくださったカメラマンのH氏がそう仰って、車を駐車場に入れる。店の前の道の果てには海が青く光っており、その明るさが三時間のドライブを経た目に懐かしく映った。


足摺岬。

 コンビニを出てたどりついた足摺岬駐車場のぐるりには、背丈の低い藪椿が一面に生い茂っていた。艶やかな葉の輝きが、この地が高知県の中でも極めて温暖であることを物語っている。

「こういう椿は、いかにも南国に来たって感じですねえ」

 呟いたわたしに、同行の編集者T氏が「えっ、そうなんですか」と目を丸くした。

「えっ、そう思いません?」

 とびっくりして尋ね返したが、考えてみればT氏は鹿児島県出身。京都生まれ京都育ちのわたしとは違い、南国育ちのT氏には椿の群生はまったく日常的な風景なのだ。同じ景色でも見る人によって受け止め方が違うと気づかされた。

 足摺岬は古くは足摺埼とも呼ばれていたが、これは一説には、昨日からあちこちでお目にかかっている弘法大師・空海に由来する。唐で修行を積んだ帰りの船中、空海が有縁の地を求めんがために法具・五鈷杵を投げたところ、それがこの地に突き立った。空海が五鈷杵を追って、山嶺断崖に隔てられたこの地に足を引きずり引きずりやってきたため、「足摺」の地名がついたというものだ。

弘法大師の七不思議


四国最南端を知らせる案内板。後ろには、地元の偉人・ジョン万次郎銅像が建っている。

 足摺岬駐車場の真向かいには、四国八十八ヶ所霊場第三十八番目札所・金剛福寺が建つ。弘仁十三年(八二二)、嵯峨天皇の勅願によって建立された古刹だ。

 ちなみに高知は四国の他県に比べて、八十八ヶ所霊場同士の距離が遠い傾向がある。またひたすら海岸線ばかりを歩く道も多く、「修行の道場」の異名を持つという。金剛福寺はそんな高知でも、両隣の札所からの距離がもっとも遠い寺で、三十七番札所・岩本寺からは約九十キロ。三十九番札所・延光寺からも約六十キロ離れている。空海でなくとも、足を引きずりつつ向かわずにはいられぬのが、この地というわけだ。自分が車で揺られるだけでたどりつけたことに、つくづく感謝せねばなるまい。

 岬先端に建つ足摺岬灯台までは遊歩道が整備されており、椿の藪のそこここに空海関連の伝承が残されている。


椿の実。約15万本の藪椿が自生している。

 今日は地元、土佐清水市観光ボランティア会の中山靖子さんが、そんな空海七不思議をご案内下さるという。もっとも「七不思議」とは言葉の絢で、実際には二十以上の珍物奇景があるそうだ。

 遊歩道に一歩踏み入った途端、陽射しが遮られ、冷気が肌を撫ぜる。藪椿を含め、辺りの木々が軒並み背丈が低いのは、太平洋から吹き付ける風の強さゆえだろう。

「まず、これが足摺七不思議の中でももっとも有名な亀石です。亀そっくりでしょう? でも、これは完全に自然の石なんですよ」


足摺七不思議の中でももっとも有名な亀石。

 亀石と言えば、わたしはすぐ奈良県明日香村にある同名のそれを想像する。あちらは伏せた亀を上からみたような形をしているが、こちらは首を上げた亀を横から見た形に近い。

「この亀石はこれまた七不思議の一、空海さまが海中の岩場に渡るため、海の亀を呼んだ亀呼場の方角を向いています。それとこれはご夫婦の方によくお話しするんですが」

 中山さんが一瞬言葉を切った。わたしは好奇心に駆られ、「何でしょう?」とつい合いの手を入れた。

「この亀の頭を撫でると、男性は元気になるそうです」

 下ネタかい! と関西弁でつい突っ込みそうになった。ただここは本来、空海ゆかり―ということは仏教ゆかりの地だ。邪淫は本来、御仏の戒むるところ。ならば「男性が元気」は仏教の教えに背く話だが、南国のエネルギー溢れるこの地で聞くと不思議に違和感がない。


弘法大師にまつわる数々の不思議が遊歩道沿いに点在。

運が良ければ実際にお亀さんが、海面から顔を出す。

 中山さんはその他にも、空海が爪で「南無阿弥陀仏」と彫ったという「爪書き石」や、小銭を落とすと小鈴にも似た音色を立てる「地獄の穴」をご案内くださった。「亀呼場」では、二人して「おかめさーん!」と叫んでウミガメを呼びもした。残念ながら小亀一匹、出て来てくれなかったけれど。

文学作品が残したもの


うっすらと「南無阿弥陀仏」と六字の名号が確認できる。

 もっとも今日、足摺岬が観光地として有名なのは、決して空海一人のおかげではない。

 ―蒼い怒濤がはてしもなくつづいて、鷗が白い波がしらを這ってとんでいた。砕け散る荒波の飛沫が崖肌の巨巌いちめんに雨のように降りそそいでいた。

 波が激しく断崖を食む足摺岬をこう描写したのは、昭和期の小説家・田宮虎彦だ。彼の代表作の一つ「足摺岬」は一九五四年、吉村公三郎監督・木村功主演で映画化され、この土地の名を全国に轟かせるとともに、多くの観光客を招いた。もっとも、足摺岬にやって来た自殺志願者の帝大生が、宿の人々や同宿の遍路たちとの触れ合いを通じて自らの生を取り戻すというそのストーリーのおかげで、そこには自殺の名所としての知名度が含まれてしまったのも事実ではあるが。

 当節、田宮虎彦の名は決して人口に膾炙しているとは言えない。わたしの手元にある「足摺岬」は昭和二十八年発行の新潮文庫版だが、これはすでに絶版で、紙の書籍かつ新刊で本作を読むことはできないらしい。しかしそれでも彼の作品が与えた影響だけは残り続け、足摺岬の名は日本人の心に深く刻み込まれている。

 土地を知るとは何か、とわたしは思った。我々は数々の情報や知識によって、まだ訪れたことのない地、はるか彼方にある地について知ることが出来る。しかしその情報・知識はどこから来たかと考えれば、それは先人たちの経験や歴史に由来する。

 我々は今日、その土地が経た長い時間のおすそ分けによって、各地を理解しているのだ。

「ほら、見えて来ました。あれが足摺岬灯台です」

 中山さんの声に目を上げれば、蘇鉄やトベラが生い茂る藪の向こうに、真っ白な灯台が佇立している。急いで前庭を横切ろうとして、わたしは足を止めた。「田宮虎彦先生文学碑」と刻まれた大きな碑が、そこに据えられていたためだ。その作品が読まれることは減ろうとも、土地の記憶はいまだこの地に根付いている、と思った。

 灯台の前には、昨日からずっとご案内をいただいている高知海上保安部の奥山正さんと、第五管区海上保安本部交通部企画調整官の土居健治さん。そしてもうお一方、初めてお目にかかる男性がたたずんでいらした。


足摺岬灯台。

「足摺岬で民宿を営んでいます、松田正俊です」

 にこやかに仰るかたわらから、奥山さんが「僕たちの先輩です」と言葉を添えて下さった。

「松田さんは以前、ここの灯台守でいらしたんです。今は海上保安庁を定年退職なさり、足摺に戻っていらして」

「じゃあ、元々こちらの方でいらっしゃるんですか?」

 つい尋ねると、松田さんは少し照れた様子で、

「まあ、その話は追々」

 と、わたしを灯台へと導いて下さった。

日本最大級の灯台


足摺岬灯台(高知県土佐清水市)。海面から灯火部まで60メートルの灯台。高さ18メートル。わが国でも最大級の灯台のひとつ。老朽化のため昭和35年にロケットをイメージして改築された。

 足摺岬灯台の初点灯は大正三年。昭和三十五年に改築された現在の灯台は先端部分がずんぐりとして、レンズ室を囲むバルコニーから地面にかけ、帯状の壁が連なっている。この独特な形は地域発展や世界平和への願いを込め、宇宙を目指すロケットを模って選ばれたもの。ただ、本灯台の特徴はそれだけではない。

 さすがは元灯台守だけあって、松田さんは慣れた様子で細い鉄のハシゴを登って行かれる。おっかなびっくり、手すりにすがるわたしとは大違いだ。


灯台内部の急階段。

 灯台の高さは、十八メートル。だが断崖絶壁の上に建つために、海面から灯火部までの高さは六十メートルを越える。そんな恵まれた立地ゆえ、足摺岬灯台が守るべき海の範囲は広く、光度四十六万カンデラのレンズの光達距離は三十八キロ。日本でも屈指の大灯台だ。

 松田さんに勧められて外に出れば、吹き飛ばされるんじゃと不安になるほど、風が強い。ひゃああと我知らず洩れた声までが、あっという間に海の彼方へと吹き飛ばされていく。

 わたしは決して高所恐怖症というわけではない。しかし己が今、どんな場所にいるかを肌で体感し、ついつい手すりを握る手に力が入った。


灯台内部の急階段を昇った先には、大きなレンズが鎮座している。光度46万カンデラ。光達距離38キロメートル。大正3年に点灯されて以来、沖を行きかう船の安全を見守り続けている。

 足許を見下ろせば、波が激しく岩を叩いている。なにせ海面まで、約六十メートル。二十階建ての建物から下を見ているようなものだ。だが海面から目をもぎ離し、海へと長く突き出した足摺岬側を振り返った瞬間、私の恐怖は吹き飛んだ。凶暴なまでに明るい緑が岬を覆い、そのところどころに金剛福寺の伽藍や駐車場が顔を出している。くすみ始めた夏陽に照らされた緑の翻波に、思わず目が釘付けになった。

「あのあたりに我々の宿舎がありました。今はもう、緑に飲み込まれてしまいましたが」

 と、岬の一角を指さす松田さん。もっともあまりに風が強いせいで、「この光景を毎日見てお過ごしだったんですね」と聞くわたしも、そうですとお答えになる松田さんも、半ば怒鳴りながらのやりとりだ。

 松田さんが足摺岬灯台にいらした頃には、この土地には気象台の観測所もあった。その跡地もいまは松田さんの宿舎同様、繁茂する南国の植物のただなかに埋もれているという。


踊り場から眼前に広がるのは、太平洋の大パノラマと足摺岬の壮大な絶景。

 プライバシーの問題があるので詳述は避けるが、松田さんは実は足摺のご出身ではない。初任地だったこの地にゆえあって縁が生じ、海上保安庁職員として全国を転々となさった後、足摺岬に戻られたそうだ。

「僕たちは今日はこの後、松田さんの宿に泊まります」

 奥山さんと土居さんが仰るのに、いいなあとつい声が出た。

 次回、この地にうかがった時は必ずお世話になろうと、松田さんの宿のお名刺を頂き、大切に名刺入れにしまい込んだ。

その灯は星に似て


展望台から見る足摺岬灯台。展望台からの視界は270度、水平線がアーチ状に見え地球が丸いことを実感できる。

 灯台を一望できる展望台に場を移せば、空には雲が目立ち始めていた。明日はいよいよ雨になるのだろう。空には白雲黒雲が入り混じり、強い風がそれらの形をどんどん変えていく。そんな光景のただなかにあって、端然と空を指す白亜の灯台のたたずまいは気高くすらあった。

 約四十年前に作られたこの展望台は、長い岬の先端に位置し、ぐるりと見渡す限りの海が望める。断崖を一つ挟んだ場所には現在、バリアフリーに対応した新たな展望台が築かれており、間もなく開放が始まるそうだ。

 足摺岬はこれまで、あるいは宗教の場として、あるいは観光地として、多くの人々を受け入れてきた。


灯台のふもとには南国の緑が広がる。

 灯台守の方々の宿舎がすでに南国の緑に飲み込まれ、また新たな展望台が作られるように、灯台を取り巻く環境は日々刻々と変化する。

「今のこの展望台も素晴らしいですが、あちらからの眺めも素敵なのでしょうねえ」

 呟く間にも、幾隻もの船がしきりに沖を行き交ってゆく。展望台備え付けの双眼鏡で眺めれば、肉眼では一つまみほどの大きさと見えたそれは、巨大なタンカーや山ほどの荷を積載したコンテナ船だった。それらがあまりに小さく映る事実に、海の広大さをつくづく思い知らされる。

 陸地にいるとつい忘れがちになるが、我々の生活は諸外国との貿易によって―遥かなる海を越えてやってきた様々な品によって築かれている。そして今なお多くの船舶が海を行き交い続けられるのは、ひとえに長年、灯台が絶えることなく海を守り、その経験を今日に受け継いで来ればこそだ。

 土地を知るとは、そこに生きた人々の思いに触れることだ。

 西洋式灯台が初めて日本に出来て、百五十余年。その役割は様々な技術の進化のおかげで変化し、運用方法も大きく変化しつつある。しかしそれでも灯台を必要とする人の思いは―そこに灯台を求めた歴史は決して変わりはしない。いや、むしろ激しく変化する世の中にあればこそ、灯台はその土地の記憶を刻み、過去と現在、そして未来を変わらぬ光で結び付け続ける。そしてそれこそが我々が灯台を訪れる意義にして、灯台を求めずにいられぬ理由なのだ。

「その明かりを遠くから見ると星に似ている」

 と、かつてプリニウスは灯台の灯を評した。

 異なる時間、異なる場所にあろうとも、同じ一つの星を仰ぐことで、人は誰かと思いを共有することができる。

 また灯台に行こう、とわたしは思った。かつて確かにそこにいた人を、その土地の記憶について知るために。

 灯台を巡る旅は、むしろこれからなのだ。

室戸岬灯台

所在地 高知県土佐清水市足摺岬
アクセス 土佐清水市役所より車で約20分(15km)
灯台の高さ 18
灯りの高さ※ 60.6
初点灯 大正3年
※灯りの高さとは、平均海面から灯りまでの高さ。

海と灯台プロジェクト


「灯台」を中心に地域の海と記憶を掘り起こし、地域と地域、日本と世界をつなぎ、これまでにはない異分野・異業種との連携も含めて、新しい海洋体験を創造していく事業で、「日本財団 海と日本プロジェクト」の一環として実施しています。
https://toudai.uminohi.jp/

◎愛知県に甦った現代の灯台守

「海と灯台プロジェクト」が実施する「新たな灯台利活用モデル事業」の一環として、現代版灯台守というべき試みが愛知県美浜町でスタート。一般公募で選ばれたカメラマンの仙敷裕也さんとパートナーの佐々木美佳さんが、野間埼灯台を活用した様々なイベントを仕掛けていくそう。宣伝用WEBを制作した2人は、ウェディングフォトサービスやマルシェなどの開催を計画中です。

文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年3・4月号

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