ミュージシャンで文筆家の猫沢エミが破天荒すぎる家族について書いたエッセイ『猫沢家の一族』(集英社)。ユーモラスかつせつない家族の歴史が描かれる同書から、一部を抜粋し掲載する。
「お母さん、この間、お父さんに“ラーメン大好き小池さん”にされちゃった」
私が大学1年生の頃だったと記憶している。ある日、母が電話でこう切り出した。当時はバブル崩壊直前の沸きに沸いた好景気で、父が経営していた不動産会社も儲かっていた。父は財布に常時100万円ほどの現金を入れて持ち歩き、夜な夜な酒場へと繰り出していた。そんな父についた異名は“夜の帝王”。こんな静かな田舎町に帝王もクソもあるか……と、当時の私は失笑していた。
父が贔屓にしている酒場の人からしてみれば羽振りのいい上客だから邪険にはできなかっただろうけれど、実際に迷惑を被った店は数知れなかった。父は、ある程度のところまでは気持ちよく飲む。ところが、度を越すと途端に普段の鬱屈が炸裂し、暴徒と化すのだった。そして毎度、真夜中に呼び出されるのが母である。この日も、手のつけられなくなった父を引き取りに、真夜中、母が店に出向いて謝ったという。
そして、
「機嫌が直らないからさあ、深夜営業してる大工町の、あのラーメン屋さんあるじゃない? あそこに誘ってみたのよ。ラーメンでも食べたら落ち着くかなと思ってさ」と、母。
ところが食べている最中、無言のまま、いきなり父が、
バシャ―――――――――――!!
と、母の頭にラーメンを器ごと被せたというのだ。
「もうさ〜……あっけに取られて、お店の人、みーんな固まっちゃって(笑)。お店の女将さんが慌ててタオル持ってきてくれたんだけど、お母さん、完全に“ラーメン大好き小池さん”じゃん? もー恥ずかしくって」と、近所の奥さま友達から聞いた面白話でもするかのように語る母よ。それはかなりの人権侵害だと気づいてくれ!
母は常時、父の酒乱被害に遭っていたので、彼女の安否確認も兼ねて私はちょくちょく実家に電話をかけていた。その中で語られる父のアホらしい蛮行の数々に、一抹の悲哀さえ感じながら。
ある時は、泥酔して家の前の坂で転んだ父が顔面をズルむけにして帰ってきて、そんな父に母は「ズルっぱげなのは、頭だけでもう十分よね!」と笑っているのを見て、この父には、この母が必要なのだなとしみじみ思ってみたり。
父のアルコール依存を激化させていたもの、それは祖父の存在を疎ましく思う気持ちだったのではないかと、さらに分析する。“働かず、なんの役にも立たない自慢できない親父”というコンプレックスは、祖父を理解しようとする父の気持ちを阻害していたと思うのだ。そんな祖父も、御多分に洩れず、酒でもいろいろとやらかしてくれた。
下の弟ムーチョがまだ1歳未満の頃、救急車で搬送されたことがあった。原因は、祖父がムーチョに酒を飲ませてしまったことだった。
祖父は、いつものように台所で早めの晩酌を決め込んでいた。夕刻の忙しい時間帯で、母は祖父に「ちょっとムーチョのこと、見ててくださいね」と、ベビーチェアーに座らせたムーチョの面倒を祖父に頼んで、洗濯物を取り込みに3Fへ上がった。その隙に、祖父が酒を飲ませてしまった。
「いやあ〜、ちょうどいい晩酌の相手ができたと思ってさ。ちょっと日本酒飲ませたらニコニコしてるから、ムーチョも気分がいいんだと思ってよ」と祖父は頭をかきながら、ちょっと申し訳なさそうに言った。
泡を吹いて気絶しているムーチョを見た母は、
「きゃああああああああ!!」
と、半狂乱になりながら救急車を呼んで、緊急入院と相なった。ムーチョはもちろんこの事件のことは覚えていないが、母に似て元来酒に弱い体質なのと、家族の酒乱史が反面教師となって、酒とは縁のない人生を送っているナイス現在。そして加害者の祖父には“乳幼児には酒を飲ませてはいけない”ほか、世の中のありとあらゆる常識がなかった。なんの悪意もなく、笑顔で行われるこうした珍事は、祖父の精神疾患がベースとなって、酒がさらなる拍車をかける、というものだった。
父以外の家族は、そんな祖父の暴走について、わりとフレキシブルに対応したり流したりすることができたのだけど、父には、あんなんでも意外とクソ真面目で保守的なところがあったから、社会的にスタンダードでない祖父を許せなかったのかもしれない。
ところでこの原稿のために“心の酒乱アルバム”(そんなものがあること自体が、甚だおかしい)をめくっていた時、ふと、驚愕の記憶が蘇った。
確か私が3、4歳の頃。当時の猫沢家には“台所のおばちゃん”と呼ばれていた通いのお手伝いさんがいて、昼と夜の食事をこしらえてくれていた。おばちゃんは、夕食時、かならずコップ1杯の冷酒を飲むことを楽しみにしていた。
その日も、おばちゃんの夕餉の席にはグラスに入った酒が置かれていたのだが、私は透明な酒を水と勘違いして、うっかりそれを飲んでしまった。しかも一気に。
「アッ、エミが日本酒飲んじゃったよ!」
と、周りの大人たちは焦ったが、この時の私の感想は、
「美味い」
であった。思えばこの時から、猫沢家の酒好き体質の片鱗が私にもあったと言っていい。
それから数日経ったある夜、私は先日のコップ酒一気飲みを思い出し、「あの美味しい水、また飲みたいな」と、とてもピュアな気持ちで台所へ向かった。流し台の下に、日本酒の一升瓶が置いてあることも、もちろん知っていた上で。そして、目的のブツに辿り着くと、やおら栓を抜いてグビグビと直飲みした。
「ぷはあ〜。やっぱ、美味い!」
そして、“美味しい水”を飲んだ後は、なぜか気持ちよく眠れるということも発見した。それからというもの幼少の私には如何ともし難い、猫沢家での騒動がひどかった日の夜などに、こっそり飲酒を繰り返した。記憶では数ヶ月間、といったところだろうか。
しかし、ある日突然、私は酒を飲むのをやめた。これもまた、3、4歳の女児が考えるにはあまりにませた悟りだと思うが、「これ以上、“美味しい水”を飲み続けたらダメになる!」とはっきり思ったのだ。かくして私は、超早期飲酒と軽いアルコール依存を経て、超早期離脱を終えた。
著者=猫沢エミ