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山と人とまちをつなぐ。 完全オフグリッドの「カフェ&図書室」とは?

  • 2024年1月17日
  • コロカル

山と人とまちをつなぐサロン

長野県大町市。『北アルプス国際芸術祭』の舞台でもあるこのまちも、普段はさすがに開催時期ほどのにぎわいはない。しかし、かつて戦前〜1960年代まで、このまちは登山文化の発信地のひとつとして、全国から客足が絶えなかったという。

〈三俣山荘図書室〉。店の使用電力は屋上に設置したソーラーパネルで賄う。完全オフグリッドだ。(写真提供:三俣山荘図書室)

〈三俣山荘図書室〉。店の使用電力は屋上に設置したソーラーパネルで賄う。完全オフグリッドだ。(写真提供:三俣山荘図書室)

同じく〈三俣山荘図書室〉店内。バーカウンター脇に登山ギアとウェアのポップアップ。

同じく〈三俣山荘図書室〉店内。バーカウンター脇に登山ギアとウェアのポップアップ。

「山と人とまちをつなぎたい」北アルプス・黒部源流の稜線にある〈三俣山荘〉と〈水晶小屋〉のオーナー、伊藤圭さんは、往年の登山文化の復興を目指して、2022年、大町のシャッター街となった商店街の一角に、〈三俣山荘図書室〉をオープンした。

空き店舗になっていた元呉服店の3階部分を、1年かけてDIYでリノベーション。当時を伝える登山道具や山の写真がディスプレイされた階段と通路を抜けると、アウトドアのウェアやギア、登山やエコロジーなどをテーマにした約400冊の本がずらりと並ぶカフェに到着する。大きく開いた窓から飛び込んでくるのは、北アルプスの山々だ。

店のテラスに出ると北アルプスが望める。取材時は11月、早くも雪に彩られて美しい。

店のテラスに出ると北アルプスが望める。取材時は11月、早くも雪に彩られて美しい。

「いろいろなカルチャーを持った人たちが山と出会う、ハブになるようなサロンにしたいんです。そうすることで登山も新しいカルチャーに生まれ変わる。そうでもしないと、登山に興味のある人の数は増えないと、僕は思うんです」

伊藤さんがそう考え、三俣山荘図書室をオープンさせるに至った背景には、登山文化や山小屋、まちという地域が抱える、さまざまな課題があった。

にぎわいを失った登山のまち

伊藤さんは、東京出身。四谷育ちの都会っ子でサブカルチャー好きと、山とは縁遠い生活を送っていたが、先代で日本の登山文化の黎明期を担った父・正一さんのあとを継ぎ、山小屋のオーナーになった。

戦後の時代、正一さんは荒れ果てた山小屋の権利を買い取り、土地の猟師たちと小屋を再建。その経緯を綴った正一さんの著書『黒部の山賊』(ヤマケイ文庫)は現在も山岳文学の名著と謳われるほどで、まさにまちの登山文化の発展に貢献した人物だ。

〈三俣山荘図書室〉店内ディスプレイより、伊藤さんの父であり開拓者、正一さんの年譜。

〈三俣山荘図書室〉店内ディスプレイより、伊藤さんの父であり開拓者、正一さんの年譜。

事実、かつて大町は“登山のまち”だった。都市の文化人たちがこぞって山を目指し、北アルプスの象徴である槍ヶ岳から烏帽子岳までの黒部源流域に伸びる〈裏銀座ルート〉を登るために、登山客でにぎわった。彼らは、地元旧家の出である百瀬慎太郎の旅館〈對山館〉(1892頃〜1943年)に集い、さながらサロンのように交流していたという。伊藤さんはこう解説する。

「1950年代には、登山客が駅前でぎゅうぎゅうになって雑魚寝したとか、登山口行きのバスが満席だったとか、そういう話が残っています。その後もいわゆる「登山ブーム」でにぎわいましたが、1979年に大町の登山文化は一旦途絶えてしまうんです」

〈三俣山荘図書室〉入口までの階段にディスプレイされた往年の登山道具。

〈三俣山荘図書室〉入口までの階段にディスプレイされた往年の登山道具。

原因には、まちにある北アルプスへの入山口に高瀬ダムが完成し登山道が途切れたこと、上高地や新穂高のようなほかの入山口が充実し登山客が流れたこと、そしてまち自体の過疎化などが挙げられるという。その結果、「裏銀座ルートはすべて寂れてしまい、ここ40年間は下降線の一途をたどっている」と伊藤さんは語る。追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスによる登山客の激減=山小屋の減収だ。「収益が例年の25%くらいに落ち込んで、このままじゃつぶれる、なにかやらなきゃって、考え始めたんです」

〈三俣山荘図書室〉店内。父・正一さんの著書や登山ファンにはお馴染みの本も。

〈三俣山荘図書室〉店内。父・正一さんの著書や登山ファンにはお馴染みの本も。

市街地からの〈空白〉を埋める

伊藤さんの経営する三俣山荘までは、大町の市街から入山口である〈七倉〉、ダムが建設された〈高瀬〉、温泉もわき出る〈湯俣〉、父・正一さんの名を冠する登山道〈伊藤新道〉をたどるルートがある。高瀬から先はかつて正一さんが開拓したものだ。しかし伊藤さんは、「槍ヶ岳まで含めて大町はコンテンツが豊富なエリアなのに、”空白地帯”がたくさん見えてきた」という。魅力的なスポットが、点で存在するばかりで、面としてつながっていなかったのだ。

伊藤さんが左手で指しているのは高瀬ダム。右手が指す湯俣は長らく”秘境”だった。

伊藤さんが左手で指しているのは高瀬ダム。右手が指す湯俣は長らく”秘境”だった。

生かされていない資源をどう活用するか。伊藤さんはアウトドア系のコンサルティングを営む知人とともに、対策に乗り出した。初めの一歩は、上述した大町市街から三俣までのルートを確保すること。アクセスの改善である。これが「第一条件だった」と伊藤さんは語る。

「行政は〈黒四ダム〉(黒部ダムの通称)に通じる〈立山黒部アルペンルート〉に投資するばかりで、2022年まで、市街から七倉までは片道8000円かかるタクシーしか交通手段がなかったんです。それじゃあ、誰も来ませんよね(笑)」

そこで伊藤さんは、三俣山荘図書室で勉強会を始めた。山小屋関係者、環境省職員、国立公園関係者、大町市議会議員、登山愛好家の有志らが集まり、登山という観光資源を核としたまちづくりや地域経済について意見を交わし、歴史に埋もれた大町の登山文化が、現在も都市部から誘客するポテンシャルがあることを訴えた。その結果、市街地から七倉まで、公共交通機関である定期運行バスが運行するようになったのだ。

アクセスだけでなく、登山文化と地域経済の復興、登山道整備など、課題は山積みだと伊藤さんは言う。

アクセスだけでなく、登山文化と地域経済の復興、登山道整備など、課題は山積みだと伊藤さんは言う。

七倉から高瀬までの短いルートはタクシーでつなぎ、続く高瀬ダム堰堤からダムの管理道路末端までは「レンタサイクルを運行させようと考えています」と伊藤さんは新たなアクティビティを計画。数年後の実現に向けて準備を進めているという。さらに管理道路末端から湯俣までは、豊かな原生林の平坦な道が続く。森林浴をしながら進むことが可能なルートで、徒歩で片道1時間の距離はトレッキングとしても申し分ない。

登山者の悲願、伊藤新道の復活

そしてたどり着く湯俣には観光資源として限りなく大きな潜在力があると、伊藤さんは訴える。

「湯俣は、河原に温泉がわき出ていて海パンがあれば入れるし、噴湯丘という奇岩もあって景色もちょっと異様な感じで、ある意味“秘境”なんです。父は『“裏上高地”になり得るポテンシャルがある』と言って惚れ込んだほどです」

上下とも、〈三俣山荘図書室〉入口までの通路に展示されている湯俣〜伊藤新道のランドスケープ。

上下とも、〈三俣山荘図書室〉入口までの通路に展示されている湯俣〜伊藤新道のランドスケープ。

上下とも、〈三俣山荘図書室〉入口までの通路に展示されている湯俣〜伊藤新道のランドスケープ。

湯俣はバリエーション豊かな登山道が放射状にいくつも広がる、ベースキャンプに適した拠点でもある。伊藤新道はその登山道のひとつで、湯俣川を中心に、鷲羽岳の裾をまわって三俣山荘まで延びるルートだ。

かつて正一さんは“山賊”と呼ばれた地元猟師たちと縦横に山を駆けめぐり、川に吊り橋をかけ、道を整備していったという。その開拓の物語は前掲書『黒部の山賊』に刻まれている。

以来、伊藤新道は、野性味のある独特の景観で多くの登山客を魅了してきた。しかし周囲は花崗岩が劣化したボロボロの地質であることに加え、周囲に湧き出る温泉から硫化水素が流れ込むため、5本あった河川部の吊り橋が錆びてすべて崩落してしまい、長らく廃道になっていた。伊藤新道は、登山者から復活が待望されていたのである。

〈三俣山荘図書室〉店内。かつての伊藤新道の吊り橋の様子を伝える。

〈三俣山荘図書室〉店内。かつての伊藤新道の吊り橋の様子を伝える。

実は伊藤さんは20年来、伊藤新道の復活に取り組んできた。ただ、立ちはだかっていた大きな問題は、崩落した5本の吊り橋だ。クラウドファンディングで目標額を大きく超える資金を集めたが、5本すべてを修理するには足りなかった。そこで伊藤さんはこう考えた。

「命の危険のありそうな3本だけかけ直したんです。残りは沢登りのように川をジャブジャブわたってもらって、”大冒険の道”にする、というコンセプトを立てました」

元来、登山道とは自然派生的にできあがったものばかりで、何らかのコンセプトを有した登山道を新しくつくること自体に前例がなかったが、伊藤さんは逆転の発想で期したというわけだ。そして湯俣と同じく、伊藤新道は2023年についに復活が成就することになる。

登山雑誌に掲載された、復活した伊藤新道の様子。

登山雑誌に掲載された、復活した伊藤新道の様子。

伊藤新道の再開通に際して、伊藤さんは湯俣で『ゆまキャン2023』というフェスを開催した。仲間でもあるアウトドアメーカーが複数出店し、300〜400人を集めたという。そうした甲斐あって、伊藤新道は今シーズンだけで1500人が利用するという、予想以上の反響を呼んだ。

「現在の伊藤新道は、ある程度の登山の技術がないと歩くのは難しいですが、その代わりアドベンチャーに満ちていて超楽しいです(笑)。逆に言うと、登山初心者は湯俣まででも十分楽しめます。温泉に浸かって、カフェバーでクラフトジンを飲んで、子ども連れでキャンプして……それだけでも最高ですよ」

整備保全システムの構築

もちろん、”登山道の復活”とひと口に言っても、並大抵のことではない。前述の吊り橋の修理に加え、崩落した岩の処理、果てしない草刈りなど、日々の保全だけでも重労働の連続だ。

「そもそも登山道は国立公園内にあります。でも、これまではその整備を“なし崩し的に”山小屋が行ってきたわけです。本来、山小屋は訪れる登山客の宿泊や人命救助にかかわる活動を行うもの。整備にかけるスタッフの人数や資金がないんです」

〈三俣山荘図書室〉のある建物1階では山の情報を発信。熱意が伝わる。

〈三俣山荘図書室〉のある建物1階では山の情報を発信。熱意が伝わる。

そうした山小屋の運営の実態を改善する目的もあって、伊藤さんは〈一般社団法人ネオアルプス〉を立ち上げた。整備にかかる人手に関しては、登録ガイドを主体とする専門チームを編成、山の文化だけでなく自然環境もガイドできる講師を養成し、ボランティアも募集して保全に取り組む。資金は、“なし崩し”ではなく経費を明確化したうえで、助成金や寄付金などの調達を図る。

「加えて、ネオアルプスで運営しているオンラインショップでは、商品の掛け率を落としてもらって、販売価格の5%程度を整備資金にまわしています。そうしないと何かを維持したりつくったりと、フィールドを保てない。つまり『登山道は、利用している人間全員でお金を出し合ってつくっていくものだ』と僕は訴えたいんです」

1階奥の螺旋階段を抜けて進むと、3階に〈三俣山荘図書室〉がある。

1階奥の螺旋階段を抜けて進むと、3階に〈三俣山荘図書室〉がある。

登山のまち、第2幕

伊藤さんたちの努力によって、市街地から三俣山荘までのルートは整いつつある。しかしそれだけでなく、「登山に親しむ人の数=分母を増やすことも必要」だと、伊藤さんは言う。先述の湯俣や伊藤新道のように、各人が自分の登山技術に応じて楽しめるように“レイヤー”を用意しているのも、そのためだ。

加えて冒頭の三俣山荘図書室も、そのアプローチのひとつだ。図書室の名の通り、店の壁面にずらっと並ぶ本は「山と地球を考える」というテーマで選書されたものだが、ここにも狙いがある。

〈三俣山荘図書室〉店内。選書はBACHの幅允孝さん。図書室の名の通り購入はできない。

〈三俣山荘図書室〉店内。選書はBACHの幅允孝さん。図書室の名の通り購入はできない。

「店に本を並べたのは、山とまちの橋渡しとしてちょうどいいと思ったから。感覚的には“目次”のようなもので、なんなら読まなくてもいい。『図書室って何?』って、ここに来てくれればいいので(笑)。そうやって“分母”を増やして、かつ、彼らが山に登ってすぐ家に帰るのでなく、まちも楽しんでもらえれば地域も振興する。そういうかたちを目指したいですね」

登山という文化や経済を、山だけでなくまちや地域全体で考える。伊藤さんの構想のヒントは、3か月〜半年かけて登山するロングトレイルという登山スタイルの文化にある。

「アメリカのロングトレイルは何千キロも歩くので、必ず何度か補給のため山を下りるんです。トレイルタウンと呼ばれるそういうまちには、クラフトビールのお店があって、ハイカーたちがたむろして、宿泊施設がある。大町全体でそれに近いことをやりたいんです」

〈三俣山荘図書室〉店内。流行の登山スタイルに合わせたウェアやギアも。

〈三俣山荘図書室〉店内。流行の登山スタイルに合わせたウェアやギアも。

松本や諏訪など、長野で成功し始めている他市のように、地方都市ならではの見どころがまちに点在していて、女性がマップを片手にぶらぶら歩く。そして三俣山荘図書室のように、まちに用意されたいくつかの“入口”から、山に興味を持ってもらえれば……伊藤さんはビジョンを膨らませる。

とはいえ課題はまだまだある。大町市内にゲストハウスがなく、特に若い世代が気軽に宿泊しづらいこと。北アルプスはじめ、全国の山小屋主の高齢化と後継者の問題。築70年を迎える三俣山荘の建て替えで億単位の資金が必要となること。そして登山客でにぎわい過ぎることによる、いわゆるオーバーツーリズムとのバランス――。

〈三俣山荘図書室〉店内や外壁1階部分などに描かれたイラストは元スタッフによるもの。

〈三俣山荘図書室〉店内や外壁1階部分などに描かれたイラストは元スタッフによるもの。

それでも、登山文化と山小屋の持続可能性のために、伊藤さんの挑戦は続く。その姿は、奇しくも父・正一さんがかつて成し遂げた道を、まるで開拓し直しているようにも映る。親子に共通するのは、山への、そして自然環境への思いだろう。

「日本には海も山もありますが、原始の自然に触れられるところは少ない。だけど登山は、自然のことを知れたり、好きになったり、そういうフックになる。だからなるべく山に登って、自然に触れてほしい。それが環境保全につながっていくと思うんです」

2024年はゴールデンウイークから大町の登山シーズンが始まるという。第2幕が明けたばかりの北アルプスを、そして大町を、ぜひ味わってほしい。

〈三俣山荘図書室〉店内。溜まり場のような居心地のいい空間は、登山への導入だ。

〈三俣山荘図書室〉店内。溜まり場のような居心地のいい空間は、登山への導入だ。

profile

伊藤圭

いとう・けい●1977年生まれ。日本の登山文化の黎明期を支えた開拓者である父・伊藤正一の跡を継ぎ、北アルプス黒部源流域にある山小屋〈三俣山荘〉と〈水晶小屋〉を2010年代から運営。21年、廃道になっていた登山道〈伊藤新道〉の復活プロジェクトを立ち上げ、23年に本開通を果たす。22年、入山口である長野県大町市にカフェ〈三俣山荘図書室〉をオープン。〈一般社団法人ネオアルプス〉代表理事も務める。

information

三俣山荘図書室

住所:長野県大町市大町2557

営業時間:日・月・火・木曜 11:00〜18:00、金・土曜 11:00〜21:00

定休日:水曜

Web:三俣山荘図書室

writer profile

Kotaro Okazawa

岡澤浩太郎

おかざわ・こうたろう●1977年生まれ、編集者。『スタジオ・ボイス』編集部などを経て2009年よりフリー。2018年、一人出版社「八燿堂」開始。19年、東京から長野に移住。23年、長野県東部=東信ローカルのポッドキャスト「sprout!」を開始。文化的・環境的・地域経済的に持続可能な出版活動を目指している。

photographer profile

Osamu Kurita

栗田脩

くりた・おさむ●1989年生まれ、写真家、長野県上田市在住。各地で開催しているポートレイト撮影会「そうぞうの写真館」主宰。ちいさなできごとを見逃さぬよう、写真撮影や詩の執筆を行う。二児の父。うお座。

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