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伊豆下田へ移住した3人家族。小学6年生の娘が語る「移住と下田のホンネ」

  • 2023年9月15日
  • コロカル

親の移住、子どもの気持ち

伊豆下田に移住してきて7年目に突入している津留崎家。当時は幼稚園だったお子さんも、小学6年生になりました。「娘がどんな気持ちで6年間過ごしてきたか」と気になっている母の徹花さん。

そこで今回は初めての試みとして、お子さんの執筆により「移住と下田」について綴ってくれます。大人と子どもの目線の違いはどのようなものでしょうか?

幼稚園〜小学6年生まで、自ら移住を綴る

「暮らしを考える旅」を読んでくださっているみなさま、いつもありがとうございます。私と夫が交互に綴っているこの連載ですが、今回は初めて娘が担当します。移住したときに幼稚園児だった娘は、今年で小学6年生。来年からは下田の中学に入学します。

娘は1年ほど前からオンラインで作文の授業を受けているのですが、仕上がった作文を読むと、親が気づいていなかった娘の感情や想いがうかがえて驚かされます。

娘にとって、とても大きな出来事だった東京から下田への移住。実際にどんなことを感じてきたのだろうか。そして、いまの暮らしをどう考えているのだろうか。会話ではなかなか汲むことのできない娘の胸中を知りたい。そして、子連れでの移住を考えている方の参考になればと思っております。(母・徹花)

キッチンで料理をする津留崎さんの娘さん

三重への移住、下田への移住

はじめまして。今回、母から原稿を書いてみないかといわれ、最初は「絶対無理!」と思ったのですが、なんとか頑張って仕上げました。最後まで読んでもらえたらうれしいです。

私は、父と母と私の3人家族です。私たちは、もともと東京に住んでいました。けれど、東日本大震災でスーパーの食品棚が空っぽになっていたことがきっかけで、父と母が「自分たちで食べ物をつくろう!」と思い、移住することを決めたのです。

最初は、三重県の津市に住み始めました。けれど、結局、静岡県下田市に移住。下田は東京に比べると田舎ですが、三重に比べると都会だし、近くにきれいな海がたくさんあって、いつでも泳いだり遊んだりできるとてもいい場所です。

私は今思うと、三重に住まないで下田に移住してよかったと思います。なぜなら、母の仕事の関係もあって、下田のほうが私たちにあっているからです。

雪が積もった中、三重県の美杉町太郎生で家族3人で記念撮影

三重県の美杉町太郎生という山深い地域で生活をスタートしました。大変だった思い出と、楽しかった記憶が交差します。

(母・徹花)東日本大地震が起きた直後、食料を調達することができないという人生で初めての経験をしました。自分たちの食料を少しでもつくれるようになりたいと、食べることと暮らしの距離が近い地方への移住を考え始めるように。紆余曲折があり、最終的に落ち着いた場所が下田でした。下田に移住してから始めた米づくりも、今年で6年目となります。「母の仕事の関係」と娘が書いていますが、私はカメラマンで、東京と下田の2拠点で仕事をしています。三重よりも下田の方が東京に通いやすい、ということです。

雪の中、ヤギと遊ぶ津留崎さんの娘さん

下田での暮らしが落ち着くまでいろいろなことがありました。まず、最初に三重に引っ越しました。私は、三重ではつらいこともあったはずなのに、なぜか楽しかったことしか覚えていません。たとえば家族でピーマンの肉詰めを食べたり、家の庭で雪合戦。さらに、父に的あてのおもちゃを買ってもらったり、友だちと川遊びもしました。

どのことも、今思い出してもにやにや笑ってしまうほど、とても楽しい思い出です。けれど、なぜ下田に引っ越したのか母にたずねると、東京での暮らしとあまりにも違ったからだといいます。そして、私も帰りたいと話したそうです。私は、楽しかったことしか覚えていないから、その答えに少し驚きました。

(母・徹花)娘が帰りたいと言ったのは、東京で一緒に暮らしていた従兄弟たちとの別れからでした。それもひとつのきっかけではありましたが、きっと母親の私が移住に対して、それまでの暮らしとはかけ離れた環境に不安を感じていたからかもしれません。にしても、娘にとって楽しい思い出がたくさん残っているというのはこの原稿を読むまでまったく知りませんでした。ホットしたような気持ちになります。

川遊びする子どもたち

三重で知り合った友だちと、近くの川で遊んでいるところ。久しぶりに写真を見返してみると、いい笑顔がたくさん残っていました。

庭で雪で遊ぶ津留崎さんの夫と娘さん

奈良県にほど近い太郎生。とても雪深い地域ですが、空気が澄んでいて昔ながらの文化が色濃く残るすばらしい場所でした。

笑顔の夫と娘さん

さらに、下田に移住して、幼稚園に通っていた頃も私のなかではまだまだ落ち着いた暮らしとはいえませんでした。幼稚園では、楽しかったこと、つらくて嫌だったこと、どちらも覚えています。

同じ机で給食を食べていた女の子3、4人と、大人になったらみんなでパティシエになろうねと話したり。ある男の子が私のことを「ママー」と呼んできて、少しおもしろくて楽しかったことを覚えています。ですが、幼稚園に行くのがいやでバスの中で泣いたこともあったし、父が園庭の草刈りにきているときは会いたくてしかたがなかったです。

さらに、まだ友だちが少なかったので友だちをつくろうとしていろいろな子にしつこく話しかけていました。その結果、一度だけ水筒で頭を殴られたことがあります。今の自分は、人にしつこく話しかけることがあまりできません。なので、このときの自分はすごく勇気があったんだなと感心しました。小学校に上がってからはいい友だちができて、平和な日々が続いています。

バス停への坂道を下る2人

保育園のバス停に向かう娘と夫。

木登りをする子どもたち

バス停で知り合った友だちと木登りをして遊ぶ、小学1年生の頃。

机に向かい合って宿題をする娘さんと友達

小学6年生のいま、同じくその友だちと夏休みの宿題をやっている。娘が素のままでいられる相手です。

海とお祭りの思い出

次に、下田での暮らしについて書いていきます。私の下田での暮らしはとても充実していると思います。たとえば、夏になると家族でカップラーメンやおにぎりを持って海に行ったり。私が下田で好きな海は、恵比須島と外浦海水浴場です。恵比須島は須崎にある岩場の海で、堤防から飛び込むことができます。最初はとても勇気がいるのですが、一度飛び込んでみると言葉には表すことのできない気持ちよさがあって、何度も飛び込みたくなってしまうのです。

さらにスノーケルをつけて潜ると、きれいな魚をたくさん見ることができます。外浦海水浴場は砂浜で、魚はそんなにいないのですが、夏には海に滑り台が浮かんでいてとても楽しいです。

下田の海でシュノーケリングをする子どもたち

そして、今年の夏休みは友だちと一緒にお祭りに参加。お神輿を担ぐのは初めてでした。思っていた以上に重くて、肩にタオルを入れていたのですが次の日にはボコッと腫れ。さらに、途中でお腹が痛くなって次に少し気持ち悪くなりましたが、最後までなんとかやりきりました。

お神輿が重くてすごくつらかったので、とても達成感がありました。「よくやったな、自分!」と自分自身を褒めてあげたいです。また、休憩がたくさんあったので友だちと遊ぶことができたり。休憩所にはジュースやお菓子、ハンバーガーなどもあったので、その日はいつもよりもたくさん食べました。

けれど、運動もしたのであまり罪悪感がなかったです。友だちと喋りながら楽しく食べたのでその時間はとても幸せでした。

子ども神輿を担ぐ大勢の子どもたち

防波堤に座って休憩中の子どもたち

我が家の米づくり

わが家はお米をつくっています。稲刈りや田植えのときには、同級生や友だちが手伝いにきてくれます。みんなが持ってきてくれたお菓子やフルーツを食べたり、一緒に遊んだりできるのでとても楽しいです。

毎日つくった米を食べているなかでも、新米を食べたときが一番おいしく感じます。新米だからおいしいということもあるのかもしれませんが、家族みんなで「つくるの頑張ったね、楽しかったね」とワイワイ喋りながら食べているのでとてもおいしいのだと思います。

はさがけを手伝う娘さん

娘にとって初めての稲刈り、当時小学1年生。この6年間、一所懸命な娘の姿を見られたのは、この米づくりのひとつの大きな喜びでした。

田んぼではさがけ用の竹を運ぶ子どもたち

田んぼの周りで昼食を食べる子どもたち

今年の田植えでの昼食風景。仲良しの同級生たちとキャッキャ言いながら走り回っていました。

下田の暮らしは充実しているのですが、「あったらいいな」と思うものがあります。それは、いろいろなお店が入っているショッピングセンターです。下田にもクレーンゲームと「プリクラ」と「太鼓の達人」があるのですが、スーパーの一角にしかありません。しかも、置いてあるのは数台。

なので、私は友だちとたくさん遊べるショッピングセンターが下田にほしいのです。だからといって、ショッピングセンターがたくさんある東京に住みたいわけではありません。なぜなら、今の仲の良い友だちと離れるのが嫌なことと、幼稚園で友だちつくりに苦労したこともあって、新しい環境がこわいのが1番の理由です。

東京にも、仲がいい同じ学年の従姉妹がいます。けれど、従姉妹とは夏休みや冬休みなどの長い休みに会えるので、そのぐらいがちょうどいいと感じるのです。私はひとりっ子なので友だちや従姉妹でもずっと一緒にいると、疲れたり、イライラしてきてしまいます。私は東京の小学校に少し憧れもありますが、中学生までは下田に住んでいたいです。高校はどうなるのかはまだわかりませんが。

国立新美術館での展示を見学中

年に数回ほど、東京の実家に娘を連れて遊びにいきます。その際には、なるべく都会でしか味わえないことを体験させたいと、美術館に行ったり、映画を観たりしています。(国立新美術館にて)

移住や旅行にチャレンジ!

これまで移住について書いてきましたが、移住をしたほうがいいかしないほうがいいか、正解はないと思います。なぜなら、その人によると思うからです。都会ならではの遊びや仕事をして暮らしたいなら、東京のような場所に住めばいいし。その人が田舎ならではの遊びや仕事をしたいなら、下田や三重のような地方に住めばいいと思います。

さらに、私のように東京(都会)と下田(田舎)を好きなように行き来すると、どちらの環境も楽しむことができるのでオススメです。なので、今住んでいるところに少し飽きてしまったら、気分転換に違う環境へ旅行や移住してみることもいいと思います。なので、みなさんも移住や気軽に行ける旅行にチャレンジしてみてください。

(母・徹花)一緒に生まれ育った東京の従姉妹たちと離れることで、娘につらい思いをさせてしまったとずっと気がかりでした。最初に移住した三重県でも寂しかっただろうと思っていましたが、楽しい思い出がたくさん残っているとこの原稿で知り、少しホッとしました。

一方で、下田の新たな環境に入っていくことが娘にとってこれほど苦しかったのかとわかり、胸がギュッと苦しくなりました。あのとき、無理に保育園に通わせる必要があったのか。ほかに選択肢があったのではないかと、今さらながら思ったり。

ただ、幼稚園のバス停で出会った子と仲良くなり、その後も同じ小学校に通うことになって今ではかけがえのない親友となりました。つらいこともあったけれど、良いことにもたくさん繋がっている。娘が感じている気持ちにしっかりと寄り添いながら、前向きにとらえたいですね、何事も。

ヤギを散歩させる娘さん

下田で暮らしていると、東京では珍しい動物に触れ合うことができます。鶏やヤギを飼っている友だちもいて、動物好きの娘はとてもうれしそうに触れ合っています。

ママからの質問と下田ランキング

【ママから質問!】

Q いま一番楽しいと感じることは?

友だちとすごく仲が良くなったこと。

Q 下田で一番好きな場所は?

家 → 一番リラックスできるから。学校 → めんどくさいけどみんなに会えて楽しいから。

Q 下田だからできると感じていることは?

いつでも海に入れること。

Q 心地よいと感じる瞬間は?

下田じゃなくてもできるけど、部屋でお菓子食べながらダラダラ〈YouTube〉を見ること。

Q 下田で好きなお店は?

・〈上の山亭〉 → 落ち着ける。味噌バターラーメンがおすすめ・〈MINORIKAWA〉 → おいしい。生ハムとサラミが最高!・〈千代田屋旅館〉 → 実家っぽくて(ちがうけど)リラックスできるし、おいしいし、ヤギと猫がかわいい・〈下田東急ホテル〉 → 景色、海がきれいだしおいしい。朝ビュッフェでテンション上がる

【下田の暮らしで好き、楽しい、心地よいと感じることランキング】

1. 地域の人がやさしい。挨拶してくれたり、野菜をくれたりする2. 海に入れる3. 校長先生が全校生徒の名前を覚えてる(笑)みんなが校長先生と遊んでいて楽しくてうれしい4. 学校が学年で1クラスクラス替えがないから、頑張って友だちをつくらなくていい5. 東京みたいに家が近くなくて離れている

【下田の暮らしで嫌い、つまらない、心地悪いと感じることランキング】

1. 虫2. ショッピングセンターがない3. プールがひとつしかない

田植え後に5人で記念撮影する津留崎さんの娘さんと友達

1学年1クラスの娘の小学校。娘のクラスは23人でみんなとても仲がいい。都会に比べて人数が少なく付き合いが密なので、大人になったときにお互い支え合えるような関係になれたらいいな、と思います。

海でシュノーケリンクを楽しむ津留崎さんの娘さん

文 津留崎徹花さん親娘

text & photograph

Tetsuka Tsurusaki

津留崎徹花

つるさき・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。料理・人物写真を中心に活動。移住先を探した末、伊豆下田で家族3人で暮らし始める。自身のコロカルでの連載『美味しいアルバム』では執筆も担当。

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