熱帯アジアへは1969年の旅以降も毎年行った。当時は今のように格安チケットがなかったから、もっぱら周遊券を利用した。そのかわり周遊券だと何カ所か行くことができる。航空会社も自由である。それで東京ークアラルンプルを買えば、台湾、フイリッピン、マレーシアと回ることもできた。台湾に日高先生や奥様と行き、そこからぼくだけフイリッピン、マレーシアと旅行したこともあったし。ちょっと料金を追加してスマトラにも行けた。
日記をつけていなかったので、30年以上も経ってしまうと記憶があやふやになる。写真の日付を見ると、72年には何回も行っているようだ。
1970年だったと思うが、フイリッピンの旅の後、クアラルンプルへ飛んだ。クアラの空港で前に話した宮川澄昭さんと落ち合った。宮川さんの目的はゾウムシの採集だ。この時はたしかぼくの大学時代の友人も宮川さんと一緒に来られたと思う。 この時は実はフイリッピンで腹をこわし、直らずにふらふらだった。ホテルで水筒に水を入れてもらったのがいけなかったようだ。宮川さんは歯医者だが、こういった時はいろんな薬を持ってきていた。多分アミーバー赤痢だろうということで薬を飲んだら次の日にはだいぶよくなり。数日で全快した。ヒ素の入った薬だそうで、たくさん飲むと危険である。
宮川さんのゾウムシ採集には高校時代からよくお供をした。宮川さんと行くと航空運賃は別として、滞在費は持ってもらえるからとてもありがたかった。宮川さんも一人でいけないところに行けるからよかったのだろう。ぼくが案内人というわけだ。
写真はスマトラのトバ湖で(宮川さん撮影と思う 1971)。運転手が持っているのはナンカと現地で呼ぶ果物。(ジャックフルーツとも言う)カメラを持っているのがぼくだ。日本人は衛藤さんという九州出身の方。憲兵で終戦を迎えそのままスマトラに残り独立戦争などを戦ったという。この方が付いてくださったので心強かった。カメラ2台に腰に三角ケース。まだ蝶の採集をしていたことがわかる。
下の写真は今日1月25日撮影の追分ヶ原。昨日の昆虫写真家への道14、環境の変化のところにある1971年の写真とほぼ同じ場所での撮影だ(向きは違う)。これではオオルリシジミもヒメヒカゲも住むことはできない。
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