昆虫写真家という道を選んで35年以上がたった。どうして昆虫写真家になったのか、どうやってなったのかなどを連載形式少し書いてみたいと思う。
昆虫写真家になったきっかけは農工大の恩師である日高敏隆先生との出会いが大きい。もっとも日高先生をぼくに紹介してくださったのは歯科医の宮川澄昭さんだった。たまたま母が通っていた歯医者さんで、息子が昆虫好きだというので歯医者に連れてきなさいと言うことになったのだ。中学3年の時だと思う。歯が悪く、医者嫌いだったぼくは、虫が好きな先生というので、それなら行ってみようということになったのだ。
宮川さんは日高先生の話を良くした。当時、宮川さんがスポンサーになって平野千里さんという農技研の先生と、日高さんと宮川さんの3人でモンキアゲハのチョウ道について研究していた。まだ日本は貧乏だったから、宮川さんが交通費などを負担していたのだ。日高さんと宮川さんがつきあうようになったのは、日高先生が子供の時だったらしい。たしか日高先生がアオスジアゲハの幼虫を探していた時に、後から「アオスジアゲハですか?」と声をかけたのが宮川さんだったのだ。だから日高さんも、ぼくも同じ歯医者さんとの出会いが人生を決めたのかもしれない。
写真は1957年頃の新大久保と高田馬場の間にあった公務員住宅の屋上から新宿伊勢丹方面を望む。(リコーフレックス、トリミング)
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