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第25回 Wha-Dhoインストラクター、フリーライター/志野デスーザさん
人生はまるでジグソーパズル?

  • 2011年12月22日
志野デスーザさん

Wha-Dhoインストラクター、フリーライター/志野デスーザさん

Profile
1968年 東京生まれ。女子美術大学芸術学部産業デザイン科卒業後、ミサワホーム(株)の設計部に所属。その後の11年間(株)ポロ・ラルフ ローレン ジャパンに勤務し、マーケティング部にて宣伝・広報・販促を担当。2005年のある夜、突然天からの啓示を受ける。同時に導かれるように魂の探求を始め、各種ワークショップやセミナー、セラピスト養成コース等を受講。その間、インド出身で現在はアメリカ国籍を持つポール・デスーザ氏と出会い、2007年の結婚を機にアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコ近郊へ移住。 2009年、オハイオ州はシンシナティのラブランドへ拠点を移す。現在、起業家 兼ヒーラーであるポール氏が開発した「持続可能な幸せ」を説く「Wha-Dho(わどう)」の実践哲学にもとづき、「Wha-Dhoインストラクター」としてカウンセリングおよびメンタリング(※)を行っている。また日本でのポール氏による「Wha-Dhoワークショップ」企画主催の他、フリーライターとして日本の媒体に連載を持ち、スピリチュアルでロハスな情報を発信中。(※人の育成、指導方法の一つ。指示や命令ではなく、メンターと呼ばれる指導者が、対話による気づきと助言による、クライアント本人の自発的・自律的な発達を促しながら導く方法)
志野デスーザ/ホームページ『Wha-Dho Life in the US

 

 「ある夜、宇宙から強烈なパワーが体内に…」と何やら小説めいたことを話す志野デスーザさん。以前は都会で華やかなライフスタイルを過ごすキャリアウーマンだった志野さんは、現在「Wha-Dhoインストラクター」として、人々の魂の輝きを引き出す仕事をしている。オハイオ州にある自宅の裏庭に遊びにやってくる動物たちとの触れ合い、特に、生後まもない迷子の子鹿をレスキューし、森に還すまでの話は涙なしには聞けません。「それにしても、あの子鹿は瀕死の中、こんなに沢山の家の中で、ちゃんと君の家を選んだんだね!」と隣人に言われたそう。それは、宇宙からの導きなのかもしれない・・・

 

自然にふれるライフスタイル

志野さんは自然に触れるライフスタイルを提唱していらっしゃいますが、日本に住んでいた頃からアウトドア派だったのですか?

オハイオ州の自宅の裏庭
オハイオ州の自宅の裏庭

 いいえ、その正反対です(笑)。東京に住んでいた頃は、週末でもハイヒールで街に繰り出していましたから。そんな私が自然の素晴らしさに目覚めたのは、友人に誘われたからという理由でなんとなく訪れた屋久島でした。トレッキングの途中に山道で迷い、通常は人間が足を踏み入れない場所で周囲に沢山の精霊達の存在を感じたのです。当時はまだスピリチュアルな世界などまるで興味がありませんでしたが、あの時から私の人生の変化は始まっていたと確信しています。
 その後、結婚を機に海と山に囲まれたカリフォルニアへ移住し、 ロハスな情報や人々に恵まれた環境下では、長年の日本の都会生活で積もり積もった心身の垢が浄化されて行くのを感じました。近所のサンフランシスコの街中でさえ用事がない限りは足を運ばす、週末はあちこちへハイキングに出かけたものです。
 オハイオ州のシンシナティへ越したのちは、我が家の周辺が森に囲まれているため、自然を求めてハイキングすることさえしなくなりました。多少のストレスがあったとしても、外に出て深呼吸をすれば一瞬で自然が癒してくれる環境に、日々感謝しながら暮らしています。

 

子鹿のマチルダ
子鹿のマチルダ
 また主人とニューメキシコ州でのワークショップを定期的に開催していますが、かの地でむき出しの地球のエネルギーに触れると、人間がどれだけ小さな存在であるかを思い知らされます。
 私達人間は自然界の一部ですから、それを忘れてコンクリートジャングルの中で生き続ければ息苦しくなり、心身に異常をきたして当然だと今なら分かります。都会に暮らしている方でも日常的に公園で休息したり、週末は郊外で大地を感じるなど、ご自身のために「自然に帰る時間」を作ってあげて頂きたいと思います。

 

志野さんの記事では色々な動物達が登場しますが、特に印象に残っている出来事はありますか?

志野デスーザさん

 オハイオ州に越して来た際、先の住人として野生のアライグマが住み着いていたのですが、彼女が私達に慣れ、のちに生まれた三匹の赤ちゃんを紹介してくれたことは実に感動的な体験でした。今でも彼女の孫世代が遊びにやって来ます。
 また、今春は迷子になった鹿の赤ちゃんが庭先で瀕死の状態だったところを救い、マチルダと名付けて森に帰るまでの数ヶ月間、主人とともに育てました。途中彼女が足を骨折した際は、私が森に入ってエサ用の草を採る日々が続いたのですが、マチルダが元通りに走れるようになった瞬間は、思わず涙が溢れたものです。
 実際、この界隈ではアライグマや鹿が多すぎるという理由から、彼らの保護は禁止されています。飢えたアライグマ達がゴミ箱を荒らすために、罠を仕掛けて捕獲する隣人もいます。また子鹿が骨折した際には野生動物保護団体に助けを求めたのですが、「保護はできません。手に負えないようなら警察を呼べば銃殺してくれますよ」との返事を受ける有り様でした。でも、もとは野生動物達の聖域だった場所を人間が破壊して住宅地化したわけですから、私達は「彼らの場所に住まわせていただいている」という謙虚な気持ちを忘れてはいけないと思うんですね。ですから我が家を訪れる動物達とは「住む場所をシェアする仲間」と思って接しているんです。そんな彼らが我が家のゴミ箱を荒らす事など一度もありません。また季節の変化に順応し、力強く生きる動物や鳥達の姿に学ぶことも多く、彼らとの日々の対話の中から、自然への愛と畏敬の念を養わせてもらってもいます。

 

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