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第23回 プロデューサー / 淀野 隆さん
時代の最先端を創造してきたプロデューサーが語る環境観

  • 2010年12月24日

現代の「消費文化環境」で特色をあげると・・・・

環境は経済がつくる・・それをつくづく感じます。現在は経済不況ですね。

「国際花と緑の博覧会」政府苑
「国際花と緑の博覧会」政府苑
 しかしそれは消費不況、欲望不況など、市民の「欲しくない環境」が生活経済の形をつくってしまう。それで現在の生活経済環境をみると、最前線には携帯電話、コンビニ、ベンダーマシン、牛丼など安い店、カラオケ店・・・これが消費環境として見える。情報社会環境は携帯電話。これにはお金を使う。スマートフォンも普及している。
 交通機関の中では、一斉に携帯を見たり、叩いたり・・・。日常の買い物環境では、コンビニですね。デパート、スーパー、量販店はあります。しかしだいたいのものは、コンビニで用が足せる。それに深夜でも買えるわけ。ベンダーは夜の街では安全対策のように光っている。広い公園なんかも真っ暗のなかで光っている。ベンダー買い物って、これからもっと形を変えて、いろいろなものが売られる可能性がある。食べもの環境では食事空間のコンビニ化ですか。価額破壊競争ですね。カラオケ店は見ていると閉店する店が確率的に少ない。流行っているわけですね。
 街を形成する最前線の店を見ていると、どうも物を買わなくなった、欲しくなくなった市民の消費生活が見事に形として現れる。これは文明の衰退なのか進化なのかわかりません。しかしこれが現実ですよね。

 

人間の進化って必要ですが、どういう形の進化を遂げるべきなのでしょうか?ハリウッド映画で、予知できる、空を飛ぶ、時間、空間をワープする・・なんていうのが描かれましたね。

人類の社会システム史における動力(単位出力)の時間的な変遷
市川亀久弥氏 著作『破局からの創造』小学館刊 100万人の選書1972年初版本から転載
 そうですね。その前はスターウォーズで、ダース・ベイダーという悪と戦う。フォース(理性の力)を持ったナイト(剣士)が登場する。ハリー・ポッターは魔法のかけられる世界の話。こういう話で共通しているのはスーパーサピエンスですよね。市民のなかに超能力を持った人間が現れる。これは裏を返せば、そういう人間の待望論ですね。

21世紀の地球を救うのは、新種の人類の誕生だ。悪用されると困るけど、絶対にそういう人間が必要になってくる。

 私がスーパーサピエンスという概念を提唱されているのに出会ったのは、市川亀久弥氏が1972年に書かれた『破局からの創造』という著書なんですね。市川氏は京大卒で同志社の教授、湯川秀樹さんの親友だった方です。この本は最近古い本棚から偶然に見つけた。ぱらぱら見ていたら、なんとスーパーサピエンスの到来を文明進化の歴史から追いかけ、個人の能力の進化から説いておられるのです。読み進んで驚きました。当時はだれも相手にしなかったのでは・・・。私もたぶん読んでいたはずですが、その価値に当時は気が付いていないのです。

ホモサピエンスからホモ・ルーデンスという「遊び人間」がありましたね。

 フランスの思想家ロジェ・カイヨワさんが定義したわけですね。人間は本来遊び好き生命体・・・とでもいうことですか。それは当たっていて、いまだにパソコンでもゲームを楽しみますし、余暇というのがそもそも遊び環境ですよね。さきほど話ましたカラオケだって最近は一人でカラオケボックスで練習する人がいる。やはりうまくなって「聞かせたい」という心理も「遊び心」なんでしょうね。我々の文化環境は限りなく環境にシフトしてます。携帯電話に夢中なのは、通信を超えてインターネット、メールは遊びの範疇ですね。

遊んでばっかりいられない時代がやってきている。地球環境汚染、都市空間などの環境循環の乱れ・・・だから次はスーパーサピエンスの市民化ですよね。

 地球循環環境のメカニズムを崩壊させたのは人間のエゴですね。それは個々の人間の「欲望」と関係している。誰もが欲があるから、知らず知らずのうちに環境破壊に作用するような生活行動をしているわけです。企業だって生産向上、利益追求をやめるわけにいかない。すべて小さな人間のエゴと欲の積み重ねで、環境を劣化させている。

 

これは生命体としてDNAに組み込まれている。欲がなければ人類は進化しなかったわけですね。

「ルンビニ」の菩提樹のまえで祈りをささげる淀野さん
ネパール・お釈迦様の生誕地「ルンビニ」の菩提樹のまえで祈りをささげる淀野さん。直径5mほどの大樹の背面がくりぬかれ祭壇になっている
菩提樹の祭壇そばに座る僧侶
菩提樹の祭壇そばに座る僧侶。お線香やローソクを売ってくれる。そしてお釈迦様誕生の物語をしてくれる
 DNAは全生命体が「利己的因子」で形成されていて、自分の種が生き延びるに都合の悪い因子は捨てなさい。エゴイスティックに進化し生き延びる因子を記憶しなさい・・・というメカニズムが働くようにできているらしい。それが実は「適者生存」「弱肉強食」という本来の生命体が生きるための論理だった。人類はほかの生命体との競争に打ち勝った。しかし威張りすぎて地球環境を崩壊させている。やはり強欲なんですね。人間という生物は・・・
 お釈迦様の教えで「人間は欲を捨てるわけにはいかない。だからなるべく欲から離れなさい」と説いておられる。これはすごい考え方ですね。人間というか生命体の本質を現実的にとらえておられる。

欲から遠ざかる・・・よく理解できるし、これならできそうだという気がしますね。

 そうなんです。これを知ってホッとしたわけです。つまり“自己制御”をかければよい。心の中に充満しすぎている欲を心の端に追いやればよい。どうも見ていると最近の若い人は、自動車も欲しくない。なるべく質素に生きようとしている。それはやはり欲望環境の変化と物質的欲望が減退している。精神的な満足を優先させる・・・

それはDNAの退化ですか?

 我々の身体というのは、次の世代に渡すDNAを保護している鎧みたいなものらしいです。人間の素晴らしいのは意識と感情を進化させたことらしいです。これはDNAの世代をつなぐ旅としては誤算だったらしい。人間の意志が強くなるとDNAが発信する身体への指令よりも強くなる。中国では「意念」という言葉があります。これは意志で念ずるとDNAに勝てる・・・ともイメージできます。たとえばがん細胞をつくってしまったDNAの失敗を、自分の個体として意志で念じるわけです。がん細胞が消えた・・・これはDNA指令に反逆できたことになる・・・・。

なにか壮大な精神環境の世界の話のようですね。

 いや私は中学から高校1年で165センチありました。ダントツで背が高かったわけです。ところがDNAに身長の伸びをストップされてしまった。運動もしたし、同じ生活を続けたのに、私のDNAに裏切られ、いまだに165cmです。
 高分子生物学の本を読むと、個々の個体が学び、練習し、働いた生活環境で得た能力というか資質は遺伝しないらしい。だから世代、世代で生きるうえに必要な勉強とか体験を積み、人間としての1代限りの努力をする必要がある。
 高分子生物学で「ミーム」というのが出てきます。著書にも書いていますが、これは「物まね」のことです。あらゆる生物は、生まれたときから親の仕草を真似て育つわけですね。人間社会ではこのミームは広いわけです。野球を始めた少年はイチローの打ち方を真似る。大工の統領などからは、新米はやり方を真似て盗む。我々の人間社会環境とは「真似る環境生物」ともいえるわけです。

意志で念じて、ミームでよいことばかりを真似る・・・そしてスーパーサピエンスになる・・・

 そうありたいものです。それに自分流の「離欲」ですね。これはむずかしいけど・・・そうしないと地球そのものが崩壊してしまう。

 

 

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