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第23回 プロデューサー / 淀野 隆さん
時代の最先端を創造してきたプロデューサーが語る環境観

  • 2010年12月24日

環境ってなに? 人間の心の病が最も怖い環境破壊

大阪万博「東芝IHI館」
大阪万博「東芝IHI館」赤く見えるのは円形型の空中劇場。左から淀野さん、展示ディレクターの鈴木男浪さん、総合Pだった泉真也さん、カメラマン松本明彦さん
1970年大阪万博の入場者
1970年大阪万博の入場者。NHK番組「現代の映像」=1970年10月放送=愛地球博の開幕前にNHK中部放送が再放送の東海アーカイブ版から
アメリカ館に向かって走る人々
開場と同時に、西ゲートから月の石を展示したアメリカ館に向かって走る人々

ところで、淀野さんが考える「環境」って何ですか?

 環境って若いころは意識していない。残念ですけど。最初はやはり「公害」という言葉から入った。東京の環状7号線で「光化学スモッグ」発生というわけです。その頃大阪万博の会場にいました。東芝IHI館の広報担当です。各パビリオンとは仲が良かったから、全部克明に見ているわけです。その当時に公害を全面的に取り上げていたのは「スウェーデン館」だけです。一部展示としては「英国館」だった。
 公害って、公の害ですね。つまり特定できる犯人がいない。誰が加害者で誰が被害者なのかわからない。これはいまでも同じですね。それにCO2の削減を決めた京都会議でも、アメリカと中国は議定書に同意しなかった。犯人はどうやら経済拡大、各産業の拡大で放出する排気ガスらしい、汚染物質らしい。しかし我々市民だって、乗用車に乗る、豊かな生活になればゴミを出す。たばこも吸う・・・だから「公害」だ。ようやく21世紀になって、各国のCO2の排出量が割り当てられるようになった。またその排出量の国家間、企業間で売り買いされるようになった。それでも大気圏の汚染の影響で海流変動、気候変動を起こしている。先進国と発展途上国で責任のなすりあいをしている。私はいまとなって、公害の加害者の一人だった・・・そう思っています。せめて懺悔したい・・・

猛烈時代ですね。拡大路線に乗ると企業の工場だって、生産主義で廃棄物を垂れ流しても製造で頑張る・・・・

 日本がそうだったように「おお猛烈、急成長社会国家」ですね。日本の高度成長時代だって、社会環境、経済環境が「成長・拡大」の経済心理を醸成したわけです。

猛烈成長社会では、経済心理は浪費を歓迎し、無駄な消費を奨励したわけですね。

 そうです。だから、フリーのプランナーとして、その高度成長社会の片棒を担いだ責任を感じています。

日本で「猛烈からビューティフル」に転換した時代がありましたね。

 70年大阪万博が終わったころです。富士ゼロックスが「ビューティフル・キャンペーン」をはじめて、広告環境がガラリと変わった。「ゆっくりイズム」なんていうのも登場したのです。それでも私などは、いそがしくあらゆる業種の企業販売促進企画をつくっていました。ゆっくりなんてしてられなかった。(苦笑)

情報機器はどうだったのですか?

 ワープロが一般庶民が使える小型になるのが、たしか1980年代ですね。私はキャノンを買った。それで物凄くでかいのです。たしか50万くらいしました。卓上型で机のうえにテレビが乗っかった感じです。携帯電話は名古屋デザイン博覧会のプロデューサーだった時に、東海支社第1号で購入した。保証金を払って大変だった。作業をしている現場に置いておくと、他のパビリオンの作業連中まで借りにくる。たしか記憶ではものすごい高額の通話料の請求がきたわけ。片手で持てるけど大きな機械で、長いアンテナがついていた。その後ホテルなどで座っている全員の前に置いてあると壮観だった。ポケットなどには入らないからね。その1号機を使った経験があるから、いまの携帯と比較すると、やはり驚きます。
 中国などは、ワープロ時代も大型携帯時代も飛び越えて、最新鋭の機種でパソコン、携帯電話に巡り合っている。携帯電話7億台、パソコン4億台というから、それこそ、おお!猛烈ですね。

 
「国際花と緑の博覧会」の花桟敷
「国際花と緑の博覧会」の花桟敷

物がひととおり行き渡ると、今度は生活環境というものに関心が移りますよね。

 デパートが物から生活を売る店に・・・西武デパートが先頭を走った。有楽町店では、物販の売り上げを非物販の売り上げを抜いた。東証の株とかチケット販売売り場が登場した。まあ「生活をまるごと売るデパート」ですね。

博覧会などでも、来場者の見方が変わることがあるのですか?

 博覧会で物というかパビリオンの楽しさに加え、会場全体の環境を評価するようになったのは、1990年の大阪「国際花と緑の博覧会」ですね。この博覧会は風景の博覧会だった。私は政府苑という国家のパビリオンを担当しましたが、まん中に庭園をつくり回廊で5つのパビリオンを結んだ。池の広場のそばで、その周辺は花壇で飾られていた。大阪市に「さくやこの花館」は連日長蛇の列で、季節によって花の展示を変えたから、リピーターが多かった。夜間入場者が多く、パビリオンを見るよりも、花のある風景のなかで、心をいやす人がおおかった。1945年の敗戦から45年経過してようやく環境が生活価値として認められた感じがありました。

そういえば、そのころから海外旅行も有名リゾート地とか、風景価値のあるところが選ばれるような傾向がありましたよね。

 南仏のブロバンスの生活を紹介する記事だとか、ギリシャの白の世界とかライフスタイルとしての紹介が多くなったですね。ハワイに行くといった単純な選択ではなく、自分に合った生活、環境探しですね。その後は私などはヘンリー・ソローの『ウオールデン、森の生活』を読みふけったわけです。21世紀型の生活ですよね。

 

 

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