サイト内
ウェブ

「グローバル・シチズンシップ(地球志民)とは〜私たちは未来に何をGiFTするのか〜」第32回エコ×エネ・カフェ(前編)

  • 2019年12月20日
  • 緑のgoo編集部

自分のストーリーを語ろう

辰野:
皆さんにシートを書いていただく前に、今のわたしにつながるストーリーをストーリーシェアリングとして、GiFTのGiFTカーブシートを使って共有させていただきます。

32-pic3

これは、私の人生のアップ・ダウン表です。結構激しいですね(笑)。神戸で生まれ、5歳で東京に出てきました。関西弁だったので「まどかちゃんへんな言葉しゃべってる」って言われたり、お蕎麦の出汁も関東は関西に比べて濃い。それが人生最初のカルチャーショックだったのですが、それからはしばらくはいたって普通に生きてたんです。ただ、うっかり帰国子女が多い中学校に入学したんですね。

英語の授業の時に、帰国子女のクラスメイトが手をあげて「先生、その発音間違ってます」って、めちゃめちゃ綺麗な発音で直したりするのを見て「私、絶対叶わないじゃん」って。反抗期もあいまって高校2年まで、英語の勉強を一切放棄しちゃったんです。「日本人たるもの日本語がしゃべれればいいではないか」というのと、世界にも全然興味がなかったんですね。で、とにかく勉強しなくて、やばいと思いながら高校2年生になっちゃったんです。

ただ、この17歳の誕生日にとんでもないことが起こったんですね。朝起きたら母がすごいテンションで私の部屋に入ってきて「まどか、17歳おめでとう!すごい誕生プレゼント用意したからね!」って満面の笑みで言ってきたんです。突然「この夏休みに一人で3週間、スイスの国際会議に参加する権利をプレゼントします」って言うんですよ。

6月生まれなので夏休みってすぐでしたし、母には「この会議は大人の人たちが出るNGOの国際会議なんだけれど、ボランティア枠なら参加できるので応募しておいたの。誰かの子どものふりをしていればいいわ」なんて言われて。「え、何言ってるの?わけわからない」という感じだったのですが、なんだか知らないけれど、スイスの国際会議にひとりぼっちで行かされちゃったんです。

32-11

山の上の方にあるお城が会場で、翌年にはダライ・ラマ法王が参加されるような、世界からNGOのリーダーとか政府の人が300人くらい出入りするような立派な会議で、正装が民族衣装なのでめちゃくちゃカラフル。いろんな国の人たちがいるのが入った瞬間にわかって、「おおーっ!」って感動して。そしたら、子どもが突然入ってきたのに大人たちが気づいて、わーってよってきてすごい勢いで話しかけてくれたんですね。慌てて「I can’t speak English」っていったら、「じゃあフランス語が話せるのね」みたいな感じで今度はフランス語で話しかけられたりして。「やばい、帰りたいけど帰れないし!」みたいな感じで。

実はその会議は、戦後50周年を記念する国際会議だったんです。今思うと、SDGsの17の目標そのものを大人たちが毎日話し合ってたんですね。英語がわからないので、私は端っこで辞書を引きながら、「Environmentって環境っていう意味か」なんていう感じで話を聞いていました。

ある日「今日はパーティーがあるよ」と言われました。パーティーは大好きだったので、浴衣を着てウキウキしながら会場に行ったら、入り口で、会場でできた友だちに「入らない方がいいよ」と止められたんです。「今日は日本に戦争に勝ったことをお祝いするパーティーだから君は入れない」って。ちょうど終戦記念日前後だったんですね。私たちが終戦記念日と呼んでいる日は、一部の人たちにとっては戦争に勝った日だった…。一人ですごすごと誰もいない部屋に戻りながら思ったんです。「私は英語ができないだけじゃなく、世界史も知らないんだ…」と。当時の日本は「エコノミック・アニマル」と言われるほど景気もよかった。戦時中の映画を会場で見た時も「日本人は普通の心を持ってないんじゃないかって」思われているんだと感じるような経験もしました。

ボランティアとしていろんなことをして3週間を過ごしていたら、帰る時に「あれっ、まどかって、ずっと会場にいたよね、みんなの前で感想を言ったら」と声をかけられたんです。それで、15人くらいの小グループの前で、学んだこと、日本に持って帰りたいことを発表させていただきました。

その時、本当に心の底からから思ったことを、想いを込めて伝えました。「いろんな国の人たちが世界をよりよくするために話し合うこの場は本当に素晴らしいと思います。これからもずっと続いて欲しいと思います」って言ったんです。それを言い終わった瞬間のことです。歳をとったよぼよぼのおばあちゃんがものすごいはやさで震え始めちゃったんです。そしたら、そのおばあちゃんが、ものすごい大きな声で「何言ってるのー!」って怒鳴ってきたんです。あっけにとられていたら、もう一回大きな声で、」「何言ってるの!続いて欲しいじゃなくて、あなたが続けていくんでしょ!」って、怒られたんですね。

実はこれが私にとってものすごく人生の大きなターニングポイントでした。この瞬間まで、私はそういう大人たちがいるから今の社会が平和なんだなって思っていました。誰かがつくってくれたから平和があるんだ。だったら、自分も平和をつくる人にならなくてはならないと。17歳ってピュアだったので、帰国してから寝込んでしまって。

後から知ったのですけれど、そのおばあちゃんは実はすごい人で「難民を助ける会 (ARR Japan)」という日本の歴史のなかで一番最初にできたNGOをつくった相馬雪香さんという方でした。帰国してから彼女の伝記を読みましたが彼女こそ世界の平和のためにあきらめずに命を捧げて頑張ってきた方で…。私の人生に大きな影響を与えています。

それからの私は、世界を知りたいと、大学を休学して世界中を飛び回ってボランティア活動をしたり、東南アジア青年の船に参加したり、西アフリカを舞台に参加型開発をテーマにしたスタディツアーのスタッフをしました。こうやって世界をまわってきて、自分の夢は結構かなったなと30歳くらいに思ったのですが、その頃父が亡くなって、突然それまで家族で暮らしていた家に住めなくなってしまったんですね。その時は、仕事でもプライベートでもどん底と喪失感を味わいました。

でもそんな時にも「まどかはずっと、グローバル教育をやってたじゃん。あきらめるな、応援するから!」って覚えてくれていた仲間がいたんです。それで3年くらい財団で働いた後に、仲間と一緒にGiFTを「平和は誰かがつくるものではなく、自分たちがつくるもの。そう思ってる仲間たちを増やして一緒におもしろい未来をつくっていきたい」と活動を始めました。

これが私のライフストーリーです。皆さんはどんなことを感じましたか?テーブルが同じ人たちと受け取ったことをシェアしてみてください。そして、自分のストーリーについても是非考えていただけたらと思うんです…。


32-12

32-1

第32回エコ×エネ・カフェの前編はゲストの辰野さんから「グローバル・シチズンシップ(地球志民)とは〜私たちは未来に何をGiFTするのか〜」について触れていきました。後編では全員参加のワークショップ&ワールドカフェの様子をレポートしていきますのでご期待ください。

あわせて読みたい

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。

記事の無断転用は禁止です。必ず該当記事のURLをクリックできる状態でリンク掲載ください。