昔、私が住んでいた熊本の家は、見た目は普通の一軒家でしたが、少し古いせいか常に自然を身近に感じられる家でした。
家の屋根が平らで、しかも鉄板のような屋根だったため雨をまともに受けやすく、家の中にいても、雨が降りはじめるとすぐにザー、という音が聞こえていました。便利なのは洗濯物を干している時くらいで、真夜中の雨はうるさくて熟睡できず、大雨の時はまるで外にいるような感じでした。
使用する水は家の井戸から汲んだ地下水でした。夏は冷たく、冬は温かいというのが地下水のいいところ。九州の夏はとても暑く、外から帰ると汗だくです。でも、風呂に溜めた水風呂に入れば、一気にクールダウンできて最高でした。また、料理、洗濯、お風呂、トイレ、飲料水など、全ての生活水を井戸水で賄うことができたので、水道代は一切掛からず、家計にとても優しい家でした。
ただ、良いことばかりではありません。大雨が降ると地下水脈に影響が出て水が濁ってしまい、しばらく水が飲めなくなったり、落雷などで停電になると、水を汲み上げる自動ポンプが止まってしまうため、断水になって困ることも、しばしばありました。
そんな我が家は、常に自然に振り回される、便利さと不便さが同居する家でしたが、私は、この家をとても気に入っていました。それは、自然の恵みと怖さを身近に感じられ、常に学びや発見がある家だったからです。九州は水害の多い地域なので、雨の降り方に注意を払い、早めに備えて行動する必要がありました。天気に影響される地下水だからこそ、無駄にせず大切に使おうという気持ちになり、家族ともそうしたことをよく話していました。
今の私たちの生活にとって、利便性や効率性はとても大切なことですが、そのことが当たり前になり過ぎると、自然に対する感謝や畏敬の念が鈍くなってしまうのではないでしょうか。便利さだけを追求するのではなく、身近な生活の中で、少しでも自然との共生を意識することは、ちょっと不便だけれど、非日常であるキャンプを楽しみたいという、私たちの気持ちにつながる部分があるのではないかと思っています。 (ゼロ)