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「知床」 詳細解説

読み:
しれとこ
英名:
Shiretoko

知床半島に人が住み始めたのは、数千年前の縄文時代と考えられている。古墳時代から平安時代にかけては、漁労や海獣狩猟を生業にするアムール川やサハリン方面から移住者が住んでいたと思われる。また、アイヌの人々も江戸時代に知床岬などに小舟で立ち寄った形跡が残されている。知床半島の事情が本格的に明らかになるのは、江戸時代に蝦夷地の探検を行った松浦武四郎によって発見されてからだ。松浦は1854年には知床半島を回って沿岸の踏査を行っている。また、1874(明治6)年には米国人技師により鉱物資源の調査などが行われ、次第に知床半島の状況が知られるようになった。

知床周辺の海には、オホーツク海から押し寄せる流氷が豊富な栄養分をもたらし、植物プランクトンが大量に増殖し、これを出発点に海と川、陸を結んだ食物連鎖が形成されている。融氷期の豊富な餌によってサケ、マスが育ち、これを餌にしてシマフクロウ、オオワシ、オジロワシなどの貴重な鳥類、ヒグマなどの動物たちがすむ。こうした豊かな自然は、同地特有の厳しい地理的条件によって守られてきた。遠音別岳(おんねべつだけ)、硫黄山、最高峰の羅臼岳などの山脈が半島を縦走し、東岸と西岸の分水嶺を形成している。半島の最先端である知床岬には陸路はつけられておらず、また険しくそそりたった断崖が海からの人の侵入を阻んでいるため、自然環境が長い間保護されてきたのである。

このような自然環境が評価され、知床は1964年に国立公園に指定された。また、2005年7月には、ユネスコの世界遺産に登録された。海洋生態系と陸上生態系の複合的な生態系の見本であること、シマフクロウ、オオワシなどの絶滅危惧種、シレトコスミレなどの知床固有種の存在、トド、ネズミイルカなどの国際的希少種の存在などが評価された。しかし、世界遺産に登録された際、国際自然保護連合では世界遺産地域内に約50にものぼるダムによって、サケやマスが遡上できない点を指摘し、改善を求めている。

一方、年間200万人以上の観光客が知床半島を訪れており、ゴミ問題、観光客による植生破壊、シマフクロウなどの無秩序な写真撮影による弊害などへの対応が急務となっている。このため、環境省では、特に質の高い自然を有する知床半島先端部を守るための「知床ルール」の策定を進めてきた。2006年には、知床ルール策定に先立ち、同省の北海道地方環境事務所が、知床半島先端部地区の自然環境を保全するため、同地への立ち入り自粛要請を通知した。また、2008年には、「知床国立公園・知床半島先端部地区『利用の心得』」が作成され、海岸トレッキングやシーカヤックなどで知床半島先端部を訪れる人のためのルールが示された。

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