若い世代の大腸がんの発生率が世界的に増えている。最近の研究によると、日本は、大腸がん患者の増えるペースが、年長の世代より50歳未満の若い人のほうが速い国の一つだ。具体的に何が若い患者の急増を引き起こしているのかについては、これまで多くの科学者や医療従事者が頭を悩ませてきた。
しかし、専門家は以前より、大腸菌などの細菌が作る毒素であり、DNAを損傷する「コリバクチン」が関わっている可能性を疑ってきた。そして2025年4月23日付けで学術誌「ネイチャー」に発表された研究により、人生の早い時期からコリバクチンにさらされることが、若い世代の大腸がんの増加に関わっていると示唆する結果が得られた。
この研究はもともと、なぜ国によって大腸がんの発症率に差があるのかについて幅広く探ることを目指して設計されていた。そのため、コリバクチンに関する発見は「ある意味、偶然の産物」だと、米カリフォルニア大学サンディエゴ校の細胞分子医学教授であり、同論文の筆頭著者であるルドミル・アレクサンドロフ氏は述べている。
研究チームは、カナダ、日本、タイ、コロンビアを含む11カ国の約1000人の大腸がん患者から採取した血液と腫瘍組織のサンプルを分析した。細胞のDNA配列を解析し、がんの形成、成長、転移に関わる遺伝子変異を特定した。
「発がん性物質は、それぞれ特徴的な変異のパターンを残します。われわれはこれを『変異シグネチャー』と呼んでいます」と、アレクサンドロフ氏は言う。「わかりやすい例を挙げるなら、タバコを吸った場合、肺の細胞に特定のパターンの変異が現れる、ということです」
アレクサンドロフ氏のチームは、50歳未満で大腸がんの診断を受けた人たちは、コリバクチンに関連する変異が「著しく多く見られる」ことを発見した。
年齢が低い患者ほど、コリバクチンに関わる変異シグネチャーの頻度は平均して高い傾向にあった。40歳未満で大腸がんと診断を受けた人たちは、70歳を過ぎてから診断を受けた人たちと比べて、コリバクチン由来の変異を持っている割合が約3倍だったという。
「がんのDNA配列を解析すると、その人の一生で起こったことすべての“考古学的な記録”が見えてきます」と、アレクサンドロフ氏は言う。つまり、腸内で特定の変異がいつ起こったのか、おおよその時期を突き止められるということだ。
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今回の研究結果は、コリバクチン由来の変異シグネチャーをもつ参加者たちが10歳未満でコリバクチンにさらされていたことを示唆している。幼少期に腸内微生物叢(そう)へ与えられた「打撃」が、大腸がんの発症時期を20〜30年早めているのではないかと、アレクサンドロフ氏は考えている。そのせいで、本来なら60〜70代で発症する病気が30〜40代で起こっているというのだ。
米ジョンズ・ホプキンス大学医学部の腫瘍学教授で、感染症を専門とするシンシア・シアーズ氏は、今回の研究について、「注意深く、丁寧に」行われていると評価する一方、疑問はまだ残されていると指摘する。
「細胞の突然変異が、どのような腸内細菌の生態や状況によって促されるのかについては、まだよくわかっていません」。なお、氏は今回の研究には関わっていない。
アレクサンドロフ氏もこれに同意する。今回の研究は、幼少期におけるコリバクチンへの暴露(ばくろ、さらされること)と大腸がんの早期発症との間の「強い関連性」を示すものだと氏は言う。しかし、コリバクチンが実際に大腸がんを引き起こしていることの証明は「非常に複雑」なものとなるだろう。
コリバクチンは、たとえて言うなら、特定の細菌がほかの微生物から自分を守るために使う武器のようなものだ。専門家によると、一部の人々では、これらの細菌が支配的になり、やがて自身の宿主に害を及ぼし始めるのだという。大腸に定着すると、こうした細菌は健康な組織に取り付き、細胞を攻撃し、DNAに変異を引き起こす可能性がある。
推定では、全体の20〜30%の人々がコリバクチンを作る細菌を保有しているという。ただし、これらの菌を持っている人が、もれなく大腸がんを発症するわけではない。
では、どのような要因のせいで、一部の人々ではコリバクチンを作る細菌が悪さをするのだろうか。「そうした菌がほかの細菌に対して有利になる何かが起こっているのだと、われわれは考えています」とアレクサンドロフ氏は言う。
米国やヨーロッパの一部などの西洋化された国々(特に都市部)の人たちの方が、農村部や工業化されていない地域の人たちと比べて、腸内にコリバクチンを作る菌を保有している割合が高いことは、過去の研究で示されている。「今回の研究は、世界のさまざまな地域における環境の影響に的を絞って調べる絶好の機会になると、私は感じています」と、シアーズ氏は述べている。
特に赤肉(ウシ、ブタ、ヒツジなどの肉)や加工肉、添加された糖分、精製された穀物が多く、果物や野菜が少ない西洋型の食事は、大腸がんのリスクの高さと関連していることが示されている。
一方、西洋型の食事が作り出す腸内環境で、なぜコリバクチンが突然変異の発生率を高めるのかについては「まだ十分な情報がありません」と、シアーズ氏は言う。
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今回の研究では、参加者一人ひとりのがんのリスク分析や、環境や食事の変化の追跡は行っていないため、そうした要素が影響した可能性も否定できない。
アレクサンドロフ氏のチームは、幼少期に個人の免疫系や腸内微生物叢に大きな影響を与える要因が、何らかの役割を果たしていると考えている。たとえば、帝王切開と経膣分娩のどちらで生まれたか、抗生物質を使用したか、母乳か粉ミルクか、加工食品を多く摂取したかといったことが挙げられる。
コリバクチンを作る細菌の中には、細胞をさらに傷つける免疫反応を引き起こすものもある。そうした菌こそが「非常に厄介なのです」とシアーズ氏は言う。しかし、それらが腸内に取り付く位置がなぜ違うのかを解明するのは「極めて困難」だという。
「直腸とS状結腸では違いがあります」と氏は説明する。「それぞれの部位では、生物学的な特徴も、腫瘍ができる傾向も異なるのです」
アレクサンドロフ氏もシアーズ氏も、長期的なデータが必要だという点で一致している。理想的には、幼少期から対象者を追跡し、コリバクチンを作る菌を標的とするよう設計されたプロバイオティクス(腸内微生物叢を改善して健康に良い影響を与える生きた微生物)を摂取させ、その後、関連する遺伝子変異が生じたり、早期に大腸がんを発症したりするかどうかを観察できるといい。
「悪玉菌を減らしてくれる適切なプロバイオティクスを作ることができれば、手軽で人体への害のない予防法になるかもしれません」とシアーズ氏は言う。
アレクサンドロフ氏のチームは、今後そうした可能性を探る研究を進めていきたいと考えている。氏は、コリバクチンに関連する遺伝子変異を特定する便検査の開発も可能だと考えている。もし実現すれば、検査でそうしたDNAの損傷が検出された人には、大腸がん検診をより早い時期から、たとえば通常は40代から始めるところを20代から受けるように助言できるようになる。
ただし、コリバクチンだけに焦点を当てた研究は、若くして発症する大腸がんの増加に対する「究極の解決策」にはならないと、シアーズ氏は述べている。「研究の範囲をあまり狭めるべきではないと私は考えています」
より多くのデータが得られるまでは、自分でコントロールできる生活習慣の改善に取り組むことが重要だ。シアーズ氏は、地中海式の食事、定期的な運動、禁煙、アルコールの摂取量を抑えることなどを勧めている。
大腸がんへの意識を高めることもまた、非常に重要だ。若年成人に限らず、多くの医療従事者も、長く続く腹痛や、原因不明の体重減少、直腸出血といった大腸がんの症状を軽視する傾向にある。
「それが非常に深刻な病気の可能性もあるということを、知っておいてほしいと思います」と、アレクサンドロフ氏は言う。そうした意識が大切なのは、がんは発見が早いほど治療しやすいからだ。