写真家のR・J・ラメンドーラ氏(40歳)は2025年3月、米ロサンゼルスの北でサーフィンをしていたとき、ウエットスーツの上からアシカに尻をかまれた。アシカに追われたラメンドーラ氏は、サーフボードで身を守りながら岸に向かって必死にパドリングした。
「あのときの恐怖をどう表現したらいいかわかりません。見たこともないような生きものの顔をしていました。その表情は野性的で、ほとんど悪魔のようで、私がいつもアシカと関連付けていた好奇心や遊び心は感じられませんでした」
それでも、ラメンドーラ氏は幸運だった。かみ傷は深く、痛みもあったが、「動脈や顔、もっと悪いところ」ではなかった。
ラメンドーラ氏はチャンネル諸島海洋野生生物研究所に報告した。その際、有害な藻類ブルームによって、カリフォルニアアシカ(Zalophus californianus)やハセイルカ(Delphinus capensis)を含む何百もの海洋生物が病気になり、永久的な脳障害、さらには死に至っていることを知った。藻類に含まれる神経毒は行動の変化を引き起こすことがあり、そのせいでもともと友好的なアシカが凶暴化した可能性が高い。
「私は何よりも海と海の動物たちを大切に思っています」と、ラメンドーラ氏はナショナル ジオグラフィックのメール取材で断言していた。その後、ソーシャルメディアで次のように述べている。「私は写真を通じて海洋保護を訴えることに人生を費やしてきました。今、私は恐怖を感じています……海とそこに暮らす生きものたちに対して。何かがおかしくなっています」
ラメンドーラ氏の懸念はカリフォルニア州当局の報告と一致している。カリフォルニア州当局には毎日、病気のアシカやイルカに関する問い合わせの電話が最大100件も寄せられている。
そして、3月下旬にはカリフォルニア州ロングビーチで、15歳の少女がアシカにかまれた。この少女は傷を負ったが、現在は快方に向かっている。
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カリフォルニアアシカは、1972年に制定された米海産哺乳類保護法のサクセスストーリーの主人公だ。1920年代後半、カリフォルニア州の海岸で確認されたアシカは1500頭にも満たなかった。
現在は約25万頭のアシカがカリフォルニア州沿岸に生息しており、概して友好的な存在と見なされている。特に、直近の2例のように、挑発されていないアシカによる攻撃は極めてまれだ。
しかし、南カリフォルニアの海岸では現在、珪藻(けいそう)の一種であるプセウドニッチアの有害藻類ブルームが起きている。珪藻は水に浮かぶ小さな単細胞藻類で、海洋生態系において重要な役割を果たしている。食物連鎖の基礎を成し、プランクトンなどの小さな海洋生物に栄養を与え、それを魚などの動物が食べる。
問題は、ドウモイ酸という強力な神経毒を放出することだ。ほかの藻類と同様、プセウドニッチアはどの水中にも存在する。しかし、条件が整うと急成長し、神経毒を放出すると、カリフォルニア州ラホヤにあるスクリップス海洋研究所の生物海洋学者クラリッサ・アンダーソン氏は述べている。
「藻類ブルームに必要なのは湧昇流です」とアンダーソン氏は話す。湧昇流とは、海流や風の動きにより、深層の冷たく栄養豊富な水が表層に上昇する現象だ。「これこそが藻類ブルームのレシピです」
アンダーソン氏によれば、有害な藻類ブルームが起こる理由は「トリッキー」だ。ある仮説は、上昇する深層水の栄養組成と関連している。
深層水はシリカが少なく、窒素が多い。プセウドニッチアは(ガラス状の)殻をつくるのに十分なシリカを持たず、それがストレスとなり、ドウモイ酸を生成するとアンダーソン氏は説明する。「理由は複雑ですが、私たちにとっては、2つの栄養素の比率が決定的な証拠となっています」
科学者たちは湧昇流以外の原因も調査している。カリフォルニア州沿岸部で1月に発生した山火事が海水温を上げ、海が栄養豊富になった可能性もある。
1991年以降、米国西海岸では定期的に有害藻類ブルームが発生しているが、2022年から4年連続で発生しており、常態化の可能性を示唆している。2025年は例年より早く発生し、これまでのところ、サンディエゴ郡からサンタバーバラ郡までの約435キロの沖に広がっている。
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ドウモイ酸の影響を受けたアシカは、頭を上下に振る、けいれんを起こすといった病気の兆候が見られる。1998年からドウモイ酸が海洋哺乳類に与える影響を研究している米海洋大気局(NOAA)海洋漁業局の生物学者カティ・ルフェーブル氏は、ドウモイ酸の毒素が動物の神経を過剰に刺激すると説明する。
ルフェーブル氏によれば、ドウモイ酸はグルタミン酸とよく似た構造を持つ。グルタミン酸は中枢神経系の神経伝達物質だ。ドウモイ酸がグルタミン酸受容体に結合すると、グルタミン酸の邪魔をして動物の問題行動を引き起こす。
神経毒であるドウモイ酸は、食物連鎖を通じて海洋哺乳類の体に入り込む。ろ過摂食を行うカタクチイワシなどの魚類や貝類は、ドウモイ酸を生成するプセウドニッチアを体内に取り込む。アシカやイルカのような大型動物、さらには人間がこれらの汚染された魚や貝を食べると、ドウモイ酸を摂取することになる(人間も大量に摂取すると命を落とすことがある)。
慢性的に少しずつさらされても、動物に影響を及ぼす可能性がある。「長期にわたって少しずつ汚染されているアシカを刺激すると、反応はより強くなり、悪化します」とルフェーブル氏は説明する。
もしアシカがラメンドーラ氏の存在に驚いたのだとしたら、ラメンドーラ氏を襲った理由はこれかもしれない。ドウモイ酸は確かにアシカの過剰な反応を引き起こす。そして、こうした行動のほとんどは、アシカが何かにかみ付きたいからではなく、外部からの刺激によって引き起こされる反応だとルフェーブル氏は指摘する。
サーファーたちがアシカと安全に共存してきたことを考えると、「少し悲しいことですね」とルフェーブル氏は述べている。
ただし、アシカが人にかみ付くことは極めてまれであり、海に行くことを控える必要はないというのが専門家の見解だ。
「(アシカのかみ付きを)追跡する良い方法はありません」とNOAA海洋漁業局の広報担当者マイケル・ミルスタイン氏は話す。アシカがドウモイ酸の影響を受けているとき、かみ付きが増えるかどうかもわかっていない。「この極めてまれな出来事の報告は確かに増えていますが、一貫した傾向を特定できるほど信頼性の高い統計はありません」
3月下旬にかまれた15歳の少女は、ライフガードプログラムの水泳テストを受けていたとき、水中で腕をつかまれたような気がした。実際はアシカにかまれていたが、大きなけがはなかった。