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Vol.34 社会の変わり目に、自分が望む社会の姿について考えてみると…

  • 2009年10月22日

 

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回は民主党政権が掲げた「CO2削減目標」について書きましたが、その問題に限らず、政権交代によってこの国ではいろいろな“チェンジ”が進む状況になっています。その先にどういう社会がイメージされているのかということをまずは示してほしいというのが前回の主旨だったわけですが、今回の一連の“チェンジ”はそうした“与えられる環境”について考えるだけでなく、そもそも自分はどういう社会や暮らしを望んでいるのかということを改めて考えてみるいい機会でもあるように思います。

 例えば最近では「国民総幸福量」という概念が話題になったりしていますが、それは暮らしの豊かさを経済活動の状態で計量しようという考え方にはもう無理があるということに多くの人が気づき始めたということだと思います。「国民総生産」云々という話は、時給500円でがんばっている人の1万円も年収5億の人の1万円も同じ価値としてカウントしているわけですが、それはお金を払う、そして対価を受け取るということの当人にとっての大きさとか意義なんてものは集計できるはずがないからですね。でも、本当はそうした人間の実感こそが大事であるわけで、「国民総幸福量」の話題などはそういうことにみんなの気持ちが向き始めているということでしょう。

 いま「預貯金が10年前に比べて100万円増えていたらうれしいですか?」と聞かれれば、ほとんどの人は「はい」と答えるんじゃないでしょうか。でも「では、それは『幸せ』ですか?」ときかれたらどうでしょうか。確かに貯金が100万円増えれば暮らしはかなり楽になるかもしれないけれど、でも不幸からの脱却は幸せとイコールではないですからね。それに、僕はいつも思うんですが、幸せというのは例えば政治や社会が用意してくれるものではなくて、それぞれが自分でみつけるしかないものです。ただし、ここで僕は「お金がなくても豊かだよ」ということを言いたいわけではなくて、お金と幸せの関係について言えば、どういうふうにお金を使うかということが重要なんだと思います。

幸せ  さて、こういうふうに話を進めてくると、きっと話は「どうすれば幸せをみつけられるんですか?」ということに向かうと思いますが、それはみなさんが考えてください(笑)。僕も考えています。ただ、ひとつはっきりしていると思うのは、幸せに敏感な人が幸せなんだということです。
 それから、ある種の“強さ”が必要だと思います。人は、まったく比較対象がなければ幸せでいられるはずだけれど、現実にはそういうわけにはいきません。自分より明らかに楽をして楽しい思いをしていると思える人に出会って、“いいなあ”と思い、自分は不幸だと思ってしまいます。でも、考えてみてください。お金持ちだとか異性にモテるとか、何かのことで人をうらやましいなあと思うとき、人は誰でも自分と相手がそのポイント以外は同じだという前提に立ってるんですよね。でも、実際にはそんなことは有り得ないんです。僕の本業の話で言えば、“この人、歌が上手いなあ”と思う人は、自分より訓練しているから上手いんですよ。つまり、自分以外の人間も自分の価値観や努力に対する自分の意識の範囲の中にすべて収まっていると考えがちだから、その結果として人をうらやんだりすることにもなるわけです。すべてのことに対して興味を持って、理解したいという欲求を持ち、なおかつ自分の利益を超えたものに対してある程度寛容でなければならないというのが理想かなと思うんですが、そこで必要なのが“強さ”です。自分が自分であるという意味で。しかも、それは今の自分を壊し続けられる強さであるべきだろうと思います。強い自分、というと、絶対に壊れない強い芯があるようなイメージを思い浮かべますが、自分を壊しても崩しても結局それは自分であると認められるのがいちばんの強さだと僕は思っているんです。そういう強さを身につけたうえで、“自分の周りのものすべてが環境です”という視点で見渡してみると、全然違う社会が見えてくると思うんです。一人ひとりがそういう“強さ”を持つことが、自分の暮らしを豊かにし、また幸せを連れてくるというふうに思います。


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