恐れ、畏れられるからこそ、ゴジラ。
4月26日公開の『ゴジラ×コング:新たなる帝国』には、日本映画界とハリウッドを象徴する怪獣2体が登場します。しかし、映画のなかではどちらかというとキングコングの活躍の方が目立っている気が…。実は、そこには監督のある思いが込められています。
アダム・ウィンガード監督はio9(米Gizmodoのエンタメ部門)に対し、「この物語は全編を通して、コングがキングコングとして一人前になるための原点となる物語です。ですから、我々も自然とその方向に向かって進みました」。
そして実際、前作『ゴジラVSコング』と同様、『ゴジラ×コング』でもゴジラよりもコングの方にスポットライトがあたっています。ゴジラが脅威的かつ一次元的な存在として描かれている一方、コングは人間性や心のつながりを持つものとして登場しています。
映画監督としてゴジラに抱く敬意とコングへの思いとは、また形が違います。
ゴジラには、コングほど近づくことはできません。彼はもっと得体の知れない相手ですから、ゴジラにはもう少し畏怖の念を抱く必要があります。ある意味、彼は“神”の肩書を背負っているのです。それは間違っていませんよね?
でも、コングの場合は彼の内面に入り込むことができるし、彼の旅はエモーショナルなものです。そしてそれこそが、観客として共感できる部分なのです。
『ゴジラ×コング 新たなる帝国』では、キングコングがホロウ・アースという住処を見つけ、自分が種族最後の生き残りであるという自負と闘う姿が見られます。そんな彼の旅路は、同じような思いを抱く人間のキャラクター、ジアと重なります。
このように、怪獣と人間の共通点が存在することが、コングがこの映画でクローズアップされているもう1つの大きな理由なのです。
(ジアは)世界における自分の居場所を求めています。そして、コングもまた同じです。
今回のような怪獣映画を作るときに大切なのは、怪獣の物語と切り離すことのできない“人間の物語”を見つけることです。
たとえずっと一緒にいなくても、両者が絡み合って共鳴し、常に同じ糸をたどり、同じテーマに沿った道を歩んでいるということです。
Image: Warner Bros. via Gizmodo USゴジラには、こうした「共鳴感」はありません。コングと違って、ゴジラは親会社である東宝がキャラクターを所有し管理していますから、そのキャラクターを使用する際には同社にも協力してもらうことにになります。
東宝では、ゴジラに対してやっていいことと悪いことの間に明確な線引きがあります。それは、ゴジラというキャラクター、そして象徴としてのゴジラを守るためです。ゴジラが登場するや否や曲芸をしたり、バナナの皮で滑ったりすることはご法度なのです。
だからといって、ウィンガード監督がゴジラの限界に挑戦していないわけではありません。今回、何度も東宝と交渉を重ね、OKが出たものもあれば、ボツになったものもあったのだそう。
しかし、こうした制限があることで、キャラクターの力学が本質的に変わってしまいます。
(ゴジラが)新しいことをするのを見たいので、我々は常に限界に挑戦しています。一方コングに関しては、今回の映画に登場する彼は完全に“MonsterVerse”版になっています。ですから、コングに限界はないのです。
なんでもできるキャラクターと、そうでないキャラクターがいれば、片方に愛着が傾くのも無理はないのかもしれません。しかし、そんな2大怪獣が再びスクリーンで共演したらどうなるのでしょうか? 神のように畏れられるゴジラと、人間味が共感できるキングコングが活躍する『ゴジラ×キングコング 新たなる帝国』は必見です!
『ゴジラ×コング 新たなる帝国』の見どころは、怪獣たちの“素顔” アダム・ウィンガード監督の新作映画『ゴジラ×キングコング 新たなる帝国』で彼が挑んだのは、ちょっとリスキーで斬新な試みでした。 https://www.gizmodo.jp/2024/03/godzilla-x-kong-differences-adam-wingard-scar-king-wb.html