天下の奇祭「むこ投げ」で知られる新潟県十日町市の松之山温泉。前回は「むこ」を雪の中に投げ落とす「むこ投げ」を紹介したが、続いて行われる「すみ塗り」もとびきりの奇祭であることをご存じだろうか? 100人以上の人の顔が一斉に真っ黒になる驚きの祭りの一部始終を取材した。
しんしんと雪が積もる様が、まるで水墨画の世界のような松之山温泉街。しかし小正月の1月15日は、打って変わって世にも珍しいW奇祭で盛り上がる。よく知られているのは「むこ」を約5メートルの高さから雪の上へ投げ落とす「むこ投げ」だが、そのすぐ後に行われる「すみ塗り」も驚きの奇祭なのだ。
「むこ投げ」の会場である薬師堂から、次の「すみ塗り」の会場を目指して人の列ができる。一向に雪は止まず、ますます強く降ってくるが気にする集落の人はいない。山道を5分ほど歩くと、温泉街を見下ろせる開けた場所に出た。
その広場のど真ん中には、神木と藁で作られた高さ6メートルほどの立派な“藁タワー”がそびえ立っている。タワーには達磨や古いお札などが藁の隙間に差し込まれている。これは「塞の神 (さえのかみ)」といって村に悪霊が入らないように守ってくれる神様である。西日本では「どんど焼き」と呼ばれることが多いが、呼び名は違っても小正月には今でも全国各地で見ることができる。
過去に私は各地の「塞の神」の行事を見たことがある。「塞の神」を燃やした火で焼いた餅やスルメを食べると病気にならないとか、火に手をかざすと体が丈夫になるとか、地域によって風儀の内容が少し違うけれど、大抵甘酒を手に歓談しながら燃え尽きるのを待つ、そんなほのぼのとした時間だった。しかし、ここ松之山温泉ではこの神事の後に、顔に炭を塗り合う「すみ塗り」が行われるのだそうだ。
なぜ顔に炭? 不思議に思って、集まっている年配の方に聞いてみると、「すみ塗りはむこ投げよりも歴史が長うて、今から600年前ぐれからみてえよ。他の地域の行事はもっとのどかだって? うーん、たぶん、ふざけてるうちに祭りになったんでねえの? まあ、黒なっても温泉あるすけ、すぐ落ちるし〜」と、温泉地ならではの答えが返ってきた。
人々が集まると、いよいよ一連の神事が始まった。雪で作られたカマクラ形の祭壇の前で、神主さんが集まった人々の無病息災を祈る。
挨拶が終わるや、地元の人たちが各自ポケットからごそごそとビニール袋を取り出し始め、地元の小学生たちも「始まるよ!」とドドドッと前方に押し寄せてきた。
「すみ塗りが始まるんですか?」とそばにいた方に尋ねると、「それは後! 今は福みかん撒き。みかんが飛んでくるよ」と教えてくれた。本日の主役である「むこ」の岡田文朗さんと妻の優美さん、もう一組の佐藤貴紀さんと妻の史織さんに加えて、集落の年男年女も一緒に段ボール箱に入っているみかんを掴み、「それ〜!」「うりゃ〜!」と投げ始めた。
雨あられとみかんが飛んでくるし、目の前のおばあさんがみかんを掴んだままひっくり返って助けを求めるので撮影どころではない。てんやわんやの大騒ぎをしているうちに「福みかん撒き」はあっさり終了した。「福」と書いてあるみかんをとった人は福袋をもらえるらしい。みかんを手に集落の人たちがほくほくして嬉しそうなので、みかんは拾えずとも福は十分、拾えた気がした。
さあ、いよいよ神事もクライマックスへ。「むこ」二人が火のついた松明を「塞の神」に突き刺し点火する。「塞の神」はもうもうと白い煙を吐きながらバチバチと音を立てて真っ赤に燃え始めた。
そして、ブオオオ!! と高らかに吹かれたホラ貝の音を合図に「すみ塗り始め!」と声がかかった。一斉に賽の神に人々が群がり、焼け藁から出た灰と雪を混ぜてこすると手が真っ黒に。
黒い手の町の人々が、新婚夫婦にジリジリと迫る。おお、なんだかホラー映画のワンシーンのようだ。そして顔をこわばらせ目を見開いている“むこ”の岡田さん夫妻や佐藤さん夫妻の顔をガッ! とつかみ「おめでとう〜!!」と炭を塗る。「ぎゃー!」と叫びながらも笑い声を上げる夫妻の白い顔に黒い手の跡がつけられた。
さらに災難……いや祝福は続く。「むこ」の佐藤さんの背後からヒタヒタと近づいてきた友人が佐藤さんをヘッドロック! 「ぶああああ!」と顔にグリグリと猛烈に炭を塗り込む友人! 彼は佐藤さんの大学時代のラグビー部の仲間の一人で、今日は「むこ投げ」で佐藤さんを担いだり投げたりと大活躍だった人だ。
私は「むこ投げ」が終わった後、彼らに「村娘をとられたやっかみから始まったといわれる『むこ投げ』ですが、今日はどんな気持ちで佐藤さんを投げましたか?」と聞いたのだが、その時の言葉を思い出し反芻した。
「佐藤夫妻にやっかみなんて0%です! おめでとう100%、いや300%です!」
そうさわやかに答えていたのだが……だいぶ手荒い「おめでとう300%」である。
ようやく友人の急襲から逃れた佐藤さんは目を光らせ、「今からやり返してこようと思います!」と賽の神に炭を取りに走って行った。
「楽しいなあ」と笑っていた私はこの時まだ何も知らなかった。その場にいれば誰でも炭を塗られることを。ふと、横から地元のおじさんが「おめでとう!」と近づいてきたので振り向くといきなり顔にベーッ! と炭を塗られてしまった。やられた!
「すみ塗りって、新婚夫妻と地元の人だけじゃないの!?」と慌てて周りを見渡せば、テレビ局のカメラマンも観光客っぽい人たちも、すでに真っ黒。先ほど、佐藤さんをヘッドロックしていた友人も、すでに仕返しされたのか黒い顔で走り回っている。
無傷でいる人はもはや見当たらない。はしっこでこの阿鼻叫喚の神事を見守る警察官お三方ですら黒すぎて誰が誰だか分からない。それでも次から次へと地域の人たちが「はい、おめでと!」と警察官に上塗りしていく。警察官もおとなしく顔を差し出している。
誰が誰に塗ってもいい日なのだ。人生で警察官の顔に泥……いや炭を塗りつける機会もなかなかないので、私も取材を忘れて塗ってみたい。しかし勇気がなくて「目線おねがいしまーす!」とシャッターを切っただけで帰ってきたことを今、後悔している。
雪深い温泉地で大人も子供も腹の底から叫び、じゃれ合い、大笑い。入道のような地元のおじさんは、顔どころか頭の後ろまで真っ黒でまるで仮面ライダーに出てくるショッカーのようだ。
「何か一言!」とコメントを求めたら、満面の笑みで「最高〜!! 最高だね!!」と叫んだ。最初に「むこ」を投げ落とし、「炭」を塗ってふざけ合ったこの地の人はまさか何百年後までそれが続いているとは思いもしなかっただろう。大人までこんなナイスな顔にさせる松之山温泉の祭りは、これからも続いていくんだろうなあ。
■旅メモ
「むこ投げ・すみ塗り」 毎年1月15日の午後に新潟県十日町市の松之山温泉郷で開催。見学は可。
白石あづさ
ライター&フォトグラファー。3年にわたる世界放浪後、旅行誌や週刊誌を中心に執筆。著書にノンフィクション「お天道様は見てる 尾畠春夫のことば」「佐々井秀嶺、インドに笑う」(共に文藝春秋)、世界一周旅行エッセイ「世界のへんな肉」(新潮文庫)など。「おとなの週末」(講談社BC)本誌にて「白石あづさの奇天烈ミュージアム」、WEB版にて「世界のへんな夜」を連載中。X(旧Twitter) @Azusa_Shiraishi
文・撮影=白石あづさ