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創業76年の〈福田パン〉が盛岡のソウルフードになるまで

  • 2024年2月15日
  • コロカル
地元で愛され続ける理由

直営店のカウンターに並ぶ具材は約50種。シングルでも注文できるが、パンの片側ずつに異なった具材を塗る「ミックス」、上下に異なった具材を塗る「半々」を合わせると、味の組み合わせは2000種にもおよぶといわれる〈福田パン〉は、盛岡市を中心に愛されている岩手県のご当地パンだ。

具材の種類は数あれど、それを挟んでいるパンは1種類。きつね色の、大人の顔の長さほどに大きくふっくら膨らんだコッペパンが福田パンの顔だ。

岩手県内のスーパーやコンビニにも、袋詰めされた福田パンは毎日並び、お盆やゴールデンウィークなど、多いときには1日2万個、平日でも1日約1万個の売り上げを誇っている。

業務用も含めて3サイズあるが、125グラムの生地を膨らませたこのサイズが、おもに直営店と、コンビニ、スーパーなどに流通している。

業務用も含めて3サイズあるが、125グラムの生地を膨らませたこのサイズが、おもに直営店と、コンビニ、スーパーなどに流通している。

創業は、戦後間もない1948年。3代目の現社長 福田潔さんの祖父・留吉さんが、国産イーストの開発に取り組んでいた大手製パン業者・マルキ号製パンの〈マルキイースト菌研究所〉の勤務を経て、パン屋を始めた。

留吉さんは、花巻市生まれ。貫郡立稗貫農学校(現・花巻農業高等学校)に進学し、当時教師だった宮沢賢治の教え子となる。卒業後は、学費が払えなかったため学問を諦めようとしていたが、賢治の紹介で盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)へ。発酵や醸造を専門とする教授の助手となり、働きながら学んでいたという。

開業当初は、パン屋を名乗りながらも、ジャムや乳酸菌飲料をつくって販売するなど、生計を立てるために食に関わる事業にはさまざま挑戦したそうだ。パンに具材を塗るスタイルも、初期の頃からだと潔さんは話す。

3代目社長の福田潔さん。

3代目社長の福田潔さん。

「昔はこのスタイルのパン屋は全国にいっぱいあったそうですよ。デニッシュとかクロワッサンとか、今はいろんな種類のパンをつくることができますが、当時はそれができなかったんでしょうね。だからパンは1〜2種類だけど、中身を変えてレパートリーを増やしていた。世の中にだんだんそういうスタイルがなくなってきたけど、うちはこのかたちが人気で、残ったんですね」

正確な時期は記録に残っていないが、開業してまもなく、留吉さんは、母校・岩手大学でパンの販売を始める。それが現在のコッペパンの原型。当時は砂糖や油脂など、パンを柔らかくする材料が入手できなかったこともあり、生地はソフトフランスパンだったが、福田パンを象徴する大きなパンは、「学生にお腹いっぱい食べてもらいたい」という想いから生まれた。

直営店の注文カウンターの奥に並ぶ具材のペーストは見るだけでワクワクする。

直営店の注文カウンターの奥に並ぶ具材のペーストは見るだけでワクワクする。

また、留吉さんは、岩手の小学校でパン給食が始まった際に創設された、〈岩手県パン工業組合〉の初代メンバーでもあるそう。給食用のパンのレシピは指定されており、福田パンの製法とは異なるものだったが、県内の小学校へ届ける量産ラインを徐々に構築していった。

そうして1970年代に始まったのが、高校での出張販売。潔さんの母校でもある盛岡商業高等学校を皮切りに、市内のほぼすべての高校に福田パンが並ぶようになる。

「すごかったですよ。まだコンビニが普及していない時代でしたからね。だいたいみんな、お弁当は2時間目の後に食べ終わってしまうので、昼休みに福田パンが販売に来ると、人だかりができていました。盛商(盛岡商業高等学校)だけで、1日500個くらい売れていたんです」

出荷用の箱はグレーと決まっている。この箱に見覚えがある盛岡市民も多いのだろう。「福田製パン」は初代、赤い「フクダパン」は先代、黒い「フクダパン」は潔さんの代のもの。「赤字は嫌だな、黒字がいいなと思って黒にしました」と潔さんは笑う。

出荷用の箱はグレーと決まっている。この箱に見覚えがある盛岡市民も多いのだろう。「福田製パン」は初代、赤い「フクダパン」は先代、黒い「フクダパン」は潔さんの代のもの。「赤字は嫌だな、黒字がいいなと思って黒にしました」と潔さんは笑う。

盛岡市で高校時代を過ごした人なら、たぶん一度は食べたことがあると想像できるエピソード。福田パンがソウルフードとして定着してきた大きな理由のひとつは、この高校での出張販売だろう。

「若い頃、お腹を空かせていたときの味って思い出深いですからね」と潔さん。自身も授業を抜け出し、真っ先に買いに行っていたそうだ。

また、同社の製造の98%はコッペパンだが、業務用で食パン、ドックパン、ハンバーガーのバンズ、テーブルロールなどもつくり、盛岡市内を中心とした喫茶店や惣菜店、病院、幼稚園・保育園の給食、老人ホームなどに卸している。形は変わっても、生地はほぼコッペパンというこれらのパンを、知らず知らずに食べ慣れていることも、福田パンをローカルフードにしているゆえんかもしれない。

変わらない製法で、365日パンを届ける

夕方から早朝にかけて稼働するパン工場。1台で1回に180個焼くことができる。

夕方から早朝にかけて稼働するパン工場。1台で1回に180個焼くことができる。

愛され続けている理由が、もうひとつ。同社では、初代からの製法を今でも守り続けている。潔さんによれば、一般的にパン工場では、生地の一部をあらかじめこねて発酵させた「中種(なかだね)」をつくり、本ごねの生地と混ぜもう一度こねる「中種法」によりパンを製造しているが、福田パンの中種のつくり方が独自のものだという。

「私は製菓学校でも学びましたし、ほかのパン屋でも修行しましたが、どこでもこの製法は教わりませんでした。発酵時間や膨らみ具合の見極め方が違うんです。詳細は企業秘密ですよ。この中種のおかげで風味が増して、それが福田パンらしい、お客様に愛されている味を生み出していると思っています」

一度に約500個分の生地を横型ミキサーでこねていく。「こねあげたときの温度が大事」と、季節に合わせて室温や材料の温度管理を行っている。

一度に約500個分の生地を横型ミキサーでこねていく。「こねあげたときの温度が大事」と、季節に合わせて室温や材料の温度管理を行っている。

小麦粉は、初代の頃からおもに岩手町の〈府金製粉〉が製粉した(特)ホームランを使用。

小麦粉は、初代の頃からおもに岩手町の〈府金製粉〉が製粉した(特)ホームランを使用。

この風味を出すため、福田パンは24時間稼働だ。卸先に合わせて、一番早い出荷は朝の4時30分。逆算して、夕方17時に工場が動き出す。

「スーパーなどに流通しているパンは、前日の朝から夕方にかけてつくることが多いと思います。うちパのンはかたくなりやすいので、少しでも配達の時間に近づけるように夜につくっています。賞味期限ややわらかさを長持ちさせるよりは、味わいを出したいという想いから製法を変えていないためです。ちょっとの風味なんですけどね」と潔さん。

材料を準備し、こねて、切って、丸めて、休ませて、成形。そこから1時間発酵させ、窯で焼き始めるのは20時頃だ。最も効率よく窯が回転するように、発酵や成形のタイミングも見極めている。「1種類のパンを効率良く焼くこと」に専念してきたことも、大手の傘下にならず、長く続けて来られた秘訣だと潔さんは話す。

成形はひと通り機械で行われる。取材日も1万個以上の注文が入っていた。

成形はひと通り機械で行われる。取材日も1万個以上の注文が入っていた。

ひとつひとつの生地は、表面を滑らかにするため、成形前に一旦休ませてガスを含ませる。

ひとつひとつの生地は、表面を滑らかにするため、成形前に一旦休ませてガスを含ませる。

成形した生地を鉄板にのせるのは手作業。コッペパン型に焼けた鉄板が歴史を物語る。発酵する前の小さな生地を見ると、大きなパンをペロリと食べてしまっても許されそうだ。

成形した生地を鉄板にのせるのは手作業。コッペパン型に焼けた鉄板が歴史を物語る。発酵する前の小さな生地を見ると、大きなパンをペロリと食べてしまっても許されそうだ。

サウナのような湿度の高い部屋で発酵を進め、生地を膨らませる。この部屋に入れる際の生地の温度も計算してつくられている。

サウナのような湿度の高い部屋で発酵を進め、生地を膨らませる。この部屋に入れる際の生地の温度も計算してつくられている。

焼き上がっても終わりではない。適温まで冷まし、検品をしながら切れ目を入れ、日付が変わった頃に具材を塗って袋に入れる。それから各店からの注文に合わせて仕分けし、トラックに乗って岩手県内各地へ運ばれていくのだ。

これを365日、年中無休で繰り返している福田パン。「毎日」というのも、ローカルフードたらしめている理由かもしれない。

醍醐味を味わうなら直営店へ

岩手に来たら、ぜひ直営店に足を運び、具材塗り立てをほおばってみてほしい。パンのしっとり具合が違うのだ。つくり方は全く同じなのだが、直営店では注文してから具材を塗ってくれるため、パンの水分が具材に吸われてしまう前に食べることができる。また、工場で最後に焼いたパンが、直営店に届いているそうで、焼き立てに一番近いパンというのも格別だ。

注文すると、目の前で具材を塗ってくれる。

注文すると、目の前で具材を塗ってくれる。

自分好みの具材の組み合わせをオーダーできるのも楽しい。一番人気は、言わずと知れた「あんバター」だが、完全放牧で牛を育てる田野畑村〈山地酪農〉の「牛乳クリーム」「キャラメルクリーム」や、紫波町〈じゃじゃめん八番〉の「じゃじゃ味噌」など、地元色を感じる具材もある。

潔さんの最近のお気に入りは、「コンビーフたまご」の辛子多めだそう。※調理系をオーダーすると、辛子の有無を問われ、多め少なめもリクエストできる。

左上:ミックス(コンビーフとたまご)356円、左下:ミックス(じゃじゃ味噌とオリジナル野菜サンド)518円、右上:半々(田野畑山地酪農牛乳クリームと生キャラメルクリーム)188円、右下:ミックス(こしあんとバター)176円。野菜は各店舗で毎朝カットしているため、新鮮でシャキシャキなのもうれしい。

左上:ミックス(コンビーフとたまご)356円、左下:ミックス(じゃじゃ味噌とオリジナル野菜サンド)518円、右上:半々(田野畑山地酪農牛乳クリームと生キャラメルクリーム)188円、右下:ミックス(こしあんとバター)176円。野菜は各店舗で毎朝カットしているため、新鮮でシャキシャキなのもうれしい。

具材は、主に甘い系と調理系に分かれ、甘い系はパンに塗りやすいよう開発してもらった特注品も多いという。手際よく次々と具材がパンに塗られていく様子は見ていても気持ち良いほどスムーズだが、具材にもひと工夫があるというわけだ。

目移りしてしまうおしながき。初めて来店する人は、何を注文しようか迷う人が多く、観光シーズンになると、前のお客と同じ注文が連続することも多いとか。

目移りしてしまうおしながき。初めて来店する人は、何を注文しようか迷う人が多く、観光シーズンになると、前のお客と同じ注文が連続することも多いとか。

2024年2月現在、直営店は、盛岡市内の3店舗と工場に併設する矢巾町の1店舗のみ。潔さんは、「祖父が生まれ、賢治さんに教わった花巻に恩返ししたい」と、代替わりまでに花巻市に出店する夢をもっているが、岩手県外へは進出しないと決めている。

具材のレパートリーを増やしたり、生産ラインの効率化は図ってきたが、「大きな変化はさせない」というのが潔さんのモットーだ。

「父によく言われたのは、大きくするなと。あまり手を広げすぎると大変ということはもちろん、地元の人に楽しんでもらいたいという想いで続けています。商売のためにはお金は必要なんですけど、それが第一ではない。せっかく“地元のもの”とみなさん思ってくださっているので、そういう存在でいたい。岩手に来て、食べてほしいです」

取材で訪れたのは、工場に併設する矢巾店。駐車場が停めやすいと来客数は伸びているそう。盛岡市長田町にある本店が一番人気だが、どの店に行っても同じ体験ができるよう、品揃えは同じだ。

取材で訪れたのは、工場に併設する矢巾店。駐車場が停めやすいと来客数は伸びているそう。盛岡市長田町にある本店が一番人気だが、どの店に行っても同じ体験ができるよう、品揃えは同じだ。

テレビの全国放送で取り上げられ観光客が押し寄せた時期はあったが、創業以来、何かブームがあったから地元に浸透したというわけではなかった。奇をてらわずに、毎日、変わらずに届けているからこそ、着々と盛岡を中心とした岩手の暮らしに根づいてきた福田パン。これからも盛岡のソウルフードとして変わらずに愛されていくだろう。

information

福田パン 矢巾店

住所:岩手県紫波郡矢巾町広宮沢第11地割502-1

TEL:019-697-8400

営業時間:7:00〜17:00

定休日:お盆・年末年始

*価格はすべて税込です。

writer profile

Haruna Sato

佐藤春菜

さとう・はるな●北海道出身。国内外の旅行ガイドブックを編集する都内出版社での勤務を経て、2017年より夫の仕事で拠点を東北に移し、フリーランスに。編集・執筆・アテンドなどを行なう。暮らしを豊かにしてくれる、旅やものづくりについて勉強の日々です。

photographer profile

Takugo Miura

三輪卓護(Otan-Photography)

みわ・たくご●1993年 埼玉県出身。 イギリスの大学を卒業後、母の出身地である秋田に移住、フォトグラファーとして独立。現在は盛岡在住。写真を中心としたクライアントワークの傍ら、映像制作や地域のアートプロジェクトに参加。 https://otan-photography.com/

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