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キャンプの恵み

Vol.14 思慮深きノア El Tesoro de la Vida (2)

  • 2012年8月30日
El Tesoro de la Vida
悲しみと向き合う子どもたちは、少なからず「子どもらしくない」部分を抱えているかもしれません。

 El Tesoro de la Vidaでは、毎日1時間だけ、グリーフケアのセッションが設けられており、亡くなった人のことや自分の気持ちを話したり、将来の自分を考えてみたりといったことをグループで行います。キャンプ5日目には、素焼きの植木鉢を使って自分の気持ちとその対処法を表現するということが行われました。そこでセラピストが「素焼きの植木鉢と人間の共通点はなに?」と聞いたとき、真っ先に「壊れることがある(​b​r​e​a​k​a​b​l​e​)」と答えたのがノアくんでした。

 私が8歳や9歳のときに同じ質問をされても、決してそうは答えなかったでしょう。その後の彼の発言もどこか大人びたものに感じられましたし、セッションが終わったあと、みんなで渦を作ってぎゅーっと抱きしめ合うハグにもノアくんは参加せず、少し気になる存在でした。

 彼のことを考えているとき、『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』というスウェーデン映画をふと思い出しました。

 「人間たちに人工衛星に乗せられて宇宙に飛ばされたライカ犬に比べれば、ぼくは幸せだ」

 主人公の12歳の少年、イングマルはこんなふうに考えて、自分の困難な境遇を受け止めようとします。

 
El Tesoro de la Vida
キャンプには楽しい時間がいっぱいあるからこそ、悲しみと向き合うのにふさわし場所になります。

 大きな喪失を体験した子どもは、自分の気持ちの整理をするために、どうしたって思慮深くならざるを得ないのかもしれません。考えて、考えて、イングマルが自分より不幸なものを探し出し、自分はましだと思おうとしたのと同じように、ノアくんも考えて、考えて、少し大人びてしまっているのでしょう。確かにふたりとも「子どもらしく」はないのですが、理不尽な状況を自分なりに受け止めるには、考えるよりほかに方法はありません。

 グリーフキャンプが行われる理由はここにあります。キャンプには楽しい時間がいっぱいあって、どうしたって“子ども”に引き戻されてしまうのですから。ダンスパーティが行われた夜、リーダーといっしょに笑いながらバスケットを楽しむノアくんの姿を見たときには、少しほっとしました。

 映画の中のイングマル少年は、田舎での暮らしになじんでいく中で、少しずつ“子ども”に戻っていきます。ノアくんには、ぜひ来年もこのキャンプに参加してほしいと思います。そして、キャンプを楽しみながら、イングマルのように悲しみと折り合いをつける術を身につけていってほしいものです。

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