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海野和男のデジタル昆虫記

ヒメギフチョウ

ヒメギフチョウ
2006年04月15日

 東京から、ぼくも理事をしている日本アンリファーブル会の理事の方が見えた。ファーブル会は子どもたちに昆虫採集を奨励しているが、珍しいチョウをやみくもに採ることを勧めているわけではなく、生息地の保全などを訴えている。
 ヒメギフチョウを見に行った。1匹だけだが現れてくれて、カタクリに舞い降りた。E-330に8mm+EC14といういつもの組み合わせで数センチまで近づいて撮影した。
 早春の広葉樹林を歩くのは楽しい。そんな楽しさに気がつく人たちが増えている。山菜取りにしろチョウの採集にしろ、楽しいのだが、昔と違って人が増え、情報も増え、誰でもが、どこへでも簡単にアクセスできてしまうことがやはり問題だ。末永くそんな自然を楽しむには、採集者も自己規制というのが必要な時期に来ているのだと思う。

 岐阜の谷汲でギフチョウの観察会の指導をされていた方から以下のようなメールを頂いた。
 谷汲周辺は昭和40年ころにあった植樹際でほとんどの森林を伐採し、杉やヒノキを植林しました。私が子供のころ(今から30年程前)は、まだ杉やヒノキが大きくなっていなくて、そこら中の山でカンアオイやカタクリが群生し、ギフチョウもたくさんいました。ちょうどそのころ海野さんも谷汲においでになったのではないでしょうか。あの場所はたまたま養鶏場にする予定で植林されなかった場所です。この雨が上がったらメスもいっせいに羽化するのではないかと思っています。またぜひおいでください。

ぼくはそのメールに次のような返事を書いた。

ギフチョウが見られて幸せでした。
ぼくがはじめて谷汲に行ったのは確か昭和38年、2度目が昭和41年だったと思います。2度目の時は山の木が切られていた場所が多く、カンアオイに日があたりものすごく繁茂していました。それで異常に卵が多かったのを覚えています。それから10年ほどはきっとギフチョウにとって人為的ではあるものの住みやすい環境ができたと思います。
 こうした状況の初期にギフチョウがとても増えると思います。関東では昭和32年頃からギフチョウ見に行っていましたが、ぼくの行った場所は高さ2mぐらいの植林地でした。それが12年後の45年ぐらいには大きくなって林が暗くなり。ギフチョウは消えてしまいました。別の場所では伐採地でギフチョウが数年大発生したこともありました。

その土地は養鶏場の予定地になり、たまたま養鶏が経済的に厳しい時代になり放置されることで今があるのだ。個人の土地だから植林されずにもすんだのだ。
 地主と交渉し、藪を切り開いてギフチョウの生息地を復元したその努力に頭が下がる。でも個人の土地というのは、状況が変われば危ういことになり可能性もある。本来は行政がこういったことをちゃんサポートしければいけないのだと思う。
 人の住みかの近くに住むギフチョウは人がどんな生活をするかで、いつも翻弄されているのだ。ヒメギフチョウも同様なのである。

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