人間は昔から長寿に執着し、死から逃れようとしてきた。この40年で、科学における画期的なブレイクスルーが次々ともたらされた。最近では、永遠の若さを夢見る健康志向の「バイオハッカー」(体や生活習慣や環境を最適化して健康になる手法「バイオハック」を行う人々)たちが自ら志願して実験台になり、免疫抑制剤などとして使われるラパマイシンを服用したり、「若い血」の血漿輸血を受けたりしている。
アンチエイジング産業も活況を呈している。非営利団体グローバル・ウェルネス・インスティテュートによれば、平均的な米国人は、健康維持のために年間6000ドル(約87万円)以上費やしている。
科学者たちが老化の解明に近づいているのは本当だが、巷には誤った情報があふれている。先駆的な心臓専門医で、世界有数の論文被引用回数を誇る科学者でもあるエリック・トポル氏は、こうした誤解を正すために、『Super Agers: An Evidence-Based Approach to Longevity(スーパーエイジャー:エビデンスに基づく長寿へのアプローチ)』を書き上げた。
「科学は私たちに、寿命を延ばすだけでなく、老化を逆転させることも可能だと教えています」と、米スクリプス研究所橋渡し研究機関の創設者兼所長であるトポル氏は言う。「長寿の科学が猛スピードで進歩する一方で、それを食い物にする者たちも集まってきて、効果が証明されていなかったり、潜在的に危険だったり、お金の無駄にしかならないような製品やサービスを売り込んでいます」
ナショナル ジオグラフィックは、加齢に革命を起こすテクノロジーや、この分野に広まっている疑似科学、私たちの健康を一変させるかもしれない強力なバイオハックについてトポル氏に聞いた。
人々の死への恐怖につけ込むニセ医者や健康インフルエンサーがはびこる中、トポル氏は私たちに、より良く老いるためのガイドブックを授けてくれる。
身内にがんや心臓病やアルツハイマー病になった人が複数いると、その遺伝子を受け継いでいる自分も同じ宿命を背負っているように感じられてしまうかもしれない。しかしトポル氏によると、遺伝子は人間の長寿に約20%しか寄与していないことが研究から明らかになっているという。
残りの80%は? 生活習慣の選択と、生活環境と、環境要因だ。
「健康的な加齢にとって、遺伝はあまり関係ありません」とトポル氏。「あなたには大きな力があるのです」
すべては遺伝で決まると思い込んでいるせいで、健康的な生活習慣を取り入れない人が多いとトポル氏は言う。しかし、科学的なデータに裏付けられた生活習慣を身につければ、少なくとも5年から7年は健康寿命を延ばせることが示されている。
次ページ:1分間の運動で健康寿命が5分以上延びるとの推定も
サプリメント療法、クライオセラピー(冷却療法)、全身MRI、NAD+(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)点滴、幹細胞治療など、インフルエンサーや自己啓発本が喧伝するバイオハックはどれもかなり高額だ。
しかし、本当に効果的なアンチエイジング法は高額である必要はない。
トポル氏によると、運動は、加齢に関わる疾患に対する唯一にして最善の防御策だという。いくつかの研究では、1分間の運動で健康寿命が5分延び、高強度インターバルトレーニング(HIIT、負荷の高い運動と短い休憩を繰り返すトレーニング)は7分延びる効果があると推定されている。研究では、1週間に少なくとも150分の早足に相当する強度の運動は、3.4〜4.5年の長生きと関連づけられている。
運動がこれほどまでに効果的なのは、心臓や脳、膵臓、骨格筋、消化管、肝臓、体脂肪、腸内細菌叢(そう)、末梢血管など、全身に良い影響を及ぼすからだとトポル氏は説明する。運動は炎症と生涯の全死因死亡率を低下させることも示されている。
しかし、運動から最大の恩恵を得るためには、有酸素運動のほかに筋力トレーニングも日課に取り入れる必要がある。ウェイトリフティングは、骨量の減少を食い止め、筋肉を維持し、バランスを改善し、炎症を抑え、関節痛を減らすのに有効だ。
トポル氏は、ダンスやヨガのような中強度の運動を週に150分以上(あるいは水泳のような高強度の運動を週に75分以上)と、レジスタンストレーニングを週に2回以上行うことを勧めている。
ジムに通えない場合には、腕立て伏せや、ウォールシット(壁を使った空気椅子)や、ランジ(足を前後や左右に開き、腰を沈めて上げる動作)などの手軽な運動を1日に数回取り入れるとよい。
健康的な加齢に良いという点では、果物、野菜、全粒穀物、豆類、脂質が少ないタンパク源、そして健康的な脂質をたっぷり取る地中海食が他を圧倒している。
地中海食のように、栄養価が高く加工度の低い食品を取ることが、炎症を抑え、コレステロール値を下げ、血圧を改善し、血糖値コントロールを助けることは、2025年3月に学術誌「ネイチャー」に発表された研究をはじめとする数多くの栄養学研究によって示されている。地中海食は、心臓病、がん、糖尿病、アルツハイマー病など、多くの人の命を奪ってきた疾患のリスクを長期にわたって減らす。
必要なタンパク質の量について、トポル氏は体重1キロあたり約1.2グラムを推奨している。
避けるべきは、超加工食品だ。心臓病、2型糖尿病、うつ病や不安症のような精神障害など、30以上の健康問題に関連している。
超加工食品は、私たちの食卓から有益な栄養素をはじき出してしまうだけでなく、炎症、腸内細菌叢の乱れ、血糖値スパイク(急上昇)といった直接的な悪影響を及ぼすおそれもある。家庭で調理をし、加工度の低い食材を使うようにすれば、こうした影響を避けることができる。
間欠的断食や単純なカロリー制限も、主に動物実験では寿命を延ばす可能性が示されている。しかし、ヒトへの効果はまだ科学的に解明されていないため、広く推奨されるには至っていない。
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睡眠は、覚醒時の活動による疲労から脳と体が回復するのを促す。しかし、加齢とともに睡眠の質は低下しがちで、これによる損失は大きい。
一部の専門家は、睡眠の質の低下は老化の生物学的メカニズムを根本的に変化させ、体内の回復と修復を狂わせると指摘している。睡眠時間は長すぎても短すぎても代謝や細胞やホルモンの乱れを引き起こし、早死に、心臓病、がん、2型糖尿病、免疫疾患、肥満、アルツハイマー病、高血圧、脳卒中、精神状態の悪化などのリスクが高まるおそれがある。
私たちが眠っているとき、脳のグリンパティックシステムは毒素や代謝老廃物を除去している。十分に深い休息がないと、有毒な副産物が脳に残って、脳疾患のリスクが急激に高まるおそれがある。
トポル氏は、より良い眠りのためには、睡眠と覚醒のスケジュールを一定に保ち、一晩に7時間の睡眠を目標にするほか、定期的に運動し、就寝間際の食事を控えることを勧めている。
孤独は精神に悪影響を及ぼすだけでなく、寿命を縮めることもある。社会的な孤立は、心血管疾患、認知症、脳卒中、うつ病、不安症、早死にのリスクを高め、1日にタバコを半箱吸うのと同じくらい危険であることを示す証拠も集まってきている。
「人間は社会とのつながりに依存しています」とトポル氏は言う。「けれども私たちは年をとるにつれて、しばしば引きこもり、社会的に孤立してしまうのです」
相手は1人でも2人でもいい。強固な人間関係を維持することは、不健康につながる慢性的なストレスに対抗するのに有効だ。人とのつながりは自尊心と自発性を高め、より健康的な生活習慣につながる。
トポル氏は、アウトドア活動を楽しんだり、趣味を見つけたり、誰かと音楽や芸術を楽しんだりすることを勧めている。こうした活動は社交性を高めるだけでなく、それ自体が長寿にもつながる。
健康的な習慣を増やすだけでなく、喫煙や飲酒のような悪い習慣を断つことも重要だ。
環境中にある、避けるべき最大の脅威は、大気汚染、農薬、マイクロプラスチック、「永遠の化学物質」と呼ばれる有機フッ素化合物のPFAS(ピーファス)などだ。これらは環境に密かに浸透しているので、避けることは不可能に思われるかもしれない。
しかし、小さな変化が大きな効果をもたらす。トポル氏は、台所にあるプラスチック製品をガラスや木でできたものに替えること、空気清浄機や浄水器を使うこと、有機(オーガニック)農産物を食べることを提案している。
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科学的に効果が実証されていない製品やサービスは避けよう。年齢を重ねても若々しく健康でありたいと願う人々は、長寿産業の格好のターゲットになる。米調査会社アライド・マーケット・リサーチによると、2030年までに世界の長寿産業市場は442億ドル(約6兆4000億円)規模に達すると予測されている。
「長寿産業の企業は、宣伝やマーケティングやSNSを駆使して真実や科学的根拠やデータを否定するのが実にうまいのです」とトポル氏は言う。「医学界は人々の信頼を失っています。それを取り戻す手段は、疑似科学を圧倒する説得力のある科学的根拠を持つこと以外にありません」
トポル氏は、ビタミン剤やサプリメントを含め、確かなエビデンスのないものは慎重に評価し、代わりに科学的な裏付けのある新技術や治療法、生活習慣の変化に注目するべきだと呼びかける。
大学の科学者や新興の企業は、AI(人工知能)やビッグデータや数千億円規模の研究資金を武器に、老化の解明に向けて突き進んでいる。
進捗状況はさまざまだが、科学者たちは、症状が現れるずっと前に病気を発見して予防する「臓器時計」などの精密な医療予測技術、炎症を引き起こす「ゾンビ」細胞を洗い流す新薬、病気とよりよく闘えるようにするために免疫機能を調整する免疫療法、年老いた細胞を若返らせるエピジェネティック再プログラミングなどの開発を進めている。
肥満症や2型糖尿病の治療薬GLP−1がいくつかの治療が難しい加齢関連疾患の抑制に役立つことを示す証拠もある。
だからトポル氏は、私たちの健康寿命の将来を「非常に楽観視」している。
「私たちは、加齢関連疾患について、かつて経験したことのないような進歩を遂げようとしています」と氏は言う。「老化を逆戻りさせる必要はありません。リスクのある人を特定し、継続的に観察し、病気に先手を打てばよいのです」
AIの進歩により、あと20年もすればすべての病気がなくなるだろうと予想する人もいる。そこまではいかないかもしれないが、私たちはこれまで以上に健康的に年齢を重ねられるようにはなるだろう。
とはいえ、これらの技術が市場に出てくるのを待つ必要はない。私たちは今、生活習慣を変えれば、健康寿命を延ばすことができる。最も深刻な加齢関連疾患の多くは発症までに20年以上かかる。始めるのに遅すぎるということはない。