緑のgooは2007年より、利用していただいて発生した収益の一部を環境保護を目的とする団体へ寄付してまいりました。
2017年度は、日本自然保護協会へ寄付させていただきます。
日本自然保護協会(NACS-J)の活動や自然環境保護に関する情報をお届けします。
沖縄が梅雨明けして2日後の今年6月24日、私もメンバーである「北限のジュゴン調査チーム・ザン」では、ジュゴンが餌を食む名護市東海岸で親子対象の「ジュゴンの海観察会」を行いました。まぶしい陽射しに海の青さがぐーんと深まり、大潮のこの日、潮が引くにつれて姿を現すリーフが私たちを誘っているようです。
しかし、浅くなった海を歩くたびに水は濁り、次第に水面に現れてきた海草藻場(ジュゴンの餌場)は赤土にまみれています。梅雨の末期に降った大雨で土砂が大量に流出し、この海も真っ赤に染まったことを思い出しました。ジュゴンは赤土の付いた海草は嫌うと聞いたことがあるので心配です。それでも、「あ、食み跡だ!」「こっちにもあるよ!」と声が上がり、子どもたちが興味津々でのぞき込んでいます。
世界の北限に位置し、わずかな数で生存を維持している沖縄のジュゴンたちが命をつなぐ重要な餌場である沿岸の海草藻場は、人間活動の影響をもろに受けます。こんな厳しい状況の中でもしっかり餌を食べ、生きているジュゴンに、思わず「ありがとう!」と手を合わせました。
サンゴ礁に囲まれた琉球の島々に、いつごろから人が住み始めたかは定かではありません。ジュゴンたちはおそらく、人間よりもずっと昔から、この島々の沿岸に豊かに茂る海草を糧としながら、ゆったりと生きていたと思われます。先史時代の遺跡からはジュゴンの骨や骨の加工品(腕輪、蝶型骨器など)が出土しています。人々がここに定住し始めた当初から、ジュゴンと人とは密接なかかわりを持ってきたのでしょう。
海が暮らしの中心であったころ、琉球諸島の沿岸、すなわち人々の生活圏の中にいる身近な存在であったジュゴンの呼び名は、「ザン」「アカングヮイユ」「ヨナタマ(宮古島のみ)」などとさまざまなものがありました。
「ザン」、「ザンノイオ(犀の魚)」の呼び名に当てる『犀』は津波のことを指すと考られ、津波を呼ぶ魚としてこの名が付けられたとも言われています。「アカングヮイユ(赤子魚)」は、ジュゴンの鳴き声が赤ん坊の泣き声に似ていることに由来するとされていて、群れで生活し、互いに鳴き声で交信していたかつての様子を彷彿させます。また宮古島での呼び名である「ヨナタマ」は、柳田国男によると「ヨナ」が海を意味する古語で、「タマ」は神様を意味することから、「海の神」を意味すると言われます。ジュゴンは、海(自然)からのさまざまな情報の伝え手として、また不思議な霊力を持つ生きものとしても人々の暮らしにかかわってきました。
民話や伝説の中のジュゴンは、津波を予言する者(1771年、八重山・宮古を襲った明和の大津波にまつわる)、人間と結婚する者(「人魚女房」)、人間に性の営みを教える者(古宇利島の民話)など、さまざまな様相を持っています。
また、水平線の彼方に理想郷(神々や祖先の魂の居場所)があるというニライカナイ信仰とも相まって、ニライカナイの神々の使者、または神々の乗り物とも言われ、食糧である一方で、畏敬の対象でもあったのです。そこには、自然の恵みをいただきつつ自然を敬うという精神文化が生きていました。
琉球王府時代には、「おもろさうし」や各地域の神歌などにジュゴン漁が唄われ、八重山の新城島から王府に税としてジュゴンが献上されたという記録が残っています。不老不死の妙薬とも言われたジュゴンは、干し肉(燻製)にして王府に献上されていたのです。ジュゴンの骨は島のウタキ※に奉納されました。しかしそれは年間2~3頭で、ジュゴンの捕獲が王府の管理下に置かれていたことを示しています。
※シマ(ムラ)建ての祖先神をまつり、祭祀などを行う場所。聖地とされる。
※掲載している写真やデータは、会報『自然保護』掲載時(2017年)のものです。
出典:日本自然保護協会会報『自然保護』No.559(2017年9・10月号)