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第34回 鈴木エドワードさん
見えるカタチは見えない大切なコトをつくること

  • 2017年11月10日
  • NPOローハスクラブ

インターフェースで心地よさを追求

建築家として29歳で独立されたのですね。

280 LOHAS34 ゴリラ
1977 ロダンの“考える人” を基に、木村しゅうじ氏が描いたゴリラのイメージと共に歩みだした鈴木エドワード建築設計事務所
 ハーバード大学大学院を卒業後、丹下健三都市建築設計事務所で働いていましたが13ヶ月しかいなかったんです。丹下先生の仕事は世界規模での大きな建築の基本構想やプレゼンテーションが多く、僕は実施設計の勉強があまりできませんでした。そこで、他の事務所に行くか、独立して自分で勉強していくか考えた末に、独立することを決意したんです。
 最初は友人と二人で小さな事務所を借りて、資金も30万円くらいしかありませんでした。当時はエドワード鈴木と名乗っていたので、電話口で毎回のように「江戸川の鈴木さん?」なんて間違えられたりして…。
 独立して初めて手がけた仕事は、母校であるセント・メリーズ・インターナショナル・スクールの同級生の山中湖の別荘です。それがメディアに取り上げられ、その後も運良く口コミで仕事が次から次へと広がっていきました。

「JRさいたま新都心駅」では、「通産省グッドデザイン賞」をはじめ数々の賞を受賞していますが、私たちにもなじみのある場所ですね。

 テレビ番組のトークショーのホストを1年やっていたときの縁で、山形新幹線の赤湯駅、次に秋田新幹線の大曲駅、そしてさいたま新都心駅の駅舎ということになりました。
 当時、さいたま新都心は高層ビルが2〜3本建ち、いずれいろんな建築が並ぶだろうと…。
310 LOHAS34 見下ろした街 
310 LOHAS34 建物 骨
JR東日本 さいたま新都心駅
 この駅舎で狙ったことは形があってないようなもの、雲や空気のように人を包み込み、暖かさと心地よさをもたらすシェルターでありたいと考え、全体的に雲のように柔らかく流れる形態とし、造形的な存在感を主張しないようにしました。
 自由通路には、「約80mの通路に柱を1本も立てず、さらに23mの幅員を確保」という条件があったので、楕円形断面が最も効率がいいと判断し、大きなチューブ型でゆとりある歩行空間を創出しました。屋根は省エネを考慮して全体の約1/3を透明ガラス、残りは断熱材を間に入れた折板を採用して低コスト化を図り、流れるようなラインで一体化した駅舎と自由通路に十分な自然光を取り入れることができ、時間の経過とともに変化する光と影の表情が楽しめる通路となりました。
 さいたま新都心駅は、駅としてのハード機能のみならず、人の心にやさしさを発信できる駅であることを目指しました。

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