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第32回 精神科医/水島広子さん
心の掃除…不安を手放し自ら「癒やし」を

  • 2015年8月13日
精神科医/水島広子さん

精神科医/水島広子さん

Profile
東京生まれ。慶応義塾大学医学部卒業、同大学院修了(医学博士)。摂食障害、気分障害、トラウマ関連障害、思春期前後の問題や家族の病理などが専門。"対人関係療法"の日本における第一人者。慶応義塾大学医学部精神神経科勤務を経て、2000年~ 2005年まで衆議院議員として児童虐待防止法の改正などに尽力。2005年12月~2006年7月、北カリフォルニアに住み、アティテューディナル・ヒーリング・センター(Center for Attitudinal Healing)でボランティア。
現在は対人関係療法専門クリニック院長、慶応義塾大学医学部非常勤講師(精神神経科)、アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン(AHJ)代表。 ベストセラー『女子の人間関係』、『自分でできる対人関係療法』など著書多数。娘・息子の二児の母。 心の健康のための講演や執筆も多くこなしている。ウェブサイトはhttp://www.hirokom.org

 精神科医として思春期の患者を診る機会が多かった水島広子さん。「親が自分の不安を抑えきれず、子どもをコントロールして病気にしている」その不安をどうにかしたい。「社会が変われば個人も変わるのではないか」と2000年、民主党から出馬し衆院議員になった。
 与野党で児童虐待防止法の修正案を作ったとき、野党ながら主張がほぼ通った理由は「与党の人を脅さなかったから」。対等な人間として共感し合えば物事は変えられると実感した一方で、政治の構造も痛感。「個人が変わらなければ社会は変わらない」という結論だったという。
 「医師と政治家」2つの職種を経験。一貫して人の心にある不安と向き合ってきた水島さんは、現在、診療と並行して、「アティテューディナル・ヒーリング(AH)」…ものの見方を変えることで心のやすらぎを得る考え方の普及に力を入れている。

精神科医への道

いつ頃から医師に、精神科医になろうと思ったのですか?

アジアの女性政治家による国際会議に参加(タイ・バンコク)
アジアの女性政治家による国際会議に参加(タイ・バンコク)
 小2の頃まではただのガキ大将だったんです。小3で学級委員をやっていたとき、ある日、学校で自習の時間があって先生がいなかったんです。そうしたらいじめっ子たちが、クラスでいちばん体の小さい男の子を殴り始めたんですよ。それを見て私、一回やってみたかったので「その子を殴るなら私を殴りなさい」って言ったら顔を本当にげんこつで50発殴られて。私はここは絶対に泣いてはいけないところだと思ったのでそのまま帰って、でも玄関に入った途端にウェーンって泣いて。でも事情を聞いた母が学校に問い合わせると担任は「調べたけどそういう事実はなかった」って。そのときから私、大人は信用ならないなって思うようになって。クラス全員が見ていたのに…。結局、そのあと1ヵ月のうちに自分を殴った子を含めて全員を自分の傘下に収めて。完全に君臨しました。
 おかげで教師不信が大学院までずっと続きました。でも、娘の担任の先生ですばらしいかたに出会えたので、そこからは「いい先生もいる」と思うようになれましたが。

その後、ターニングポイントのようなことはあったのですか?

宮澤喜一元首相と懇談
宮澤喜一元首相と懇談
 これという重要なターニングポイントはないんです。何でも実験みたいな感じで取り組んでは次を考えるという繰り返しだったので。というのも、私は何でもやってみて自分で感触を得て納得しないと次に進めない性格なんですね。そもそも、医師を意識するきっかけも、たまたま理系クラスを選択していて、他に興味の持てる学部が全くなかったという程度。当然、医師になることへの納得が生まれるはずもなく、国家試験を受けないでいようかと思ったほどです。
 科目選択に関してもどこにも興味が持てない。唯一興味が持てたのは漢方でした。産婦人科系など西洋医学では効果がなかったのに漢方がとても効きまして、そんな実体験から興味を持ったんです。そこで、北里大学東洋医学総合研究所に行って研修を受けられるか尋ねたのですが、西洋医学の専門を持っていることが必要だった。そこで改めて科目選択を考えたのですが、ある精神科の先生から言われたことが心に刺さったのです。精神科なんて処方ができるかできないかの違いだけで臨床心理士と変わらないのではという私に「精神科の患者さんは差別されているから体の病気も診てもらえないことも多い。だから、全身の治療ができるような、ジェネラリストでなければできない。そもそもキミはかなり精神科医に向いていると思うよ」と言われました。その言葉に、無医村の医者のようでかっこいいな…と妙な納得感があって、精神科を目指すようになりました。

 専門は対人関係療法ですが、もともとは精神薬理をやろうと思っていたんです。でも、研修1年目に医局でコーヒーを飲んでいたとき、認知療法の第一人者である大野裕先生の研究室に誘われました。『精神分析をやらなくていいのなら』というと『今そういう人が必要なんだ』と。ちょうど慶應精神分析グループを心理研究室に名前を変えたところだったんですね。分析でなく現代的な研究室にしたいとのことで切り込み隊長のような役割を担ったわけですが、そこで「何か頭が忙しくなるような課題をください」と言って託されたのが対人関係療法の書籍の翻訳でした。ちょうど創始者である著者が来日して交流が持てたことなどもあり、夢中になっていくきっかけになったことを覚えています。

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