AHの考え方は12の原則にまとめられており、一部を抜粋しました。
AHの原則を書いたパッツィ・ロビンソンと水島さん
「どんな人も、愛をさしのべているか(支えようとしているか)、助けを求めているかのどちらか」という考え方は実用性が高いですね。
米国精神医学会診断基準DSM-5の総責任者Dr. David Kupferと共に国際学会で AHでは、人の本質を「温かいこころ」と考え、不安や怒り、自責などの否定的な感情を「怖れ」ととらえ、これらの感情を手放す。そのために、「評価」も手放す。
「人がムカムカしたり、生きづらかったりするのは、善悪を評価してしまうから。もちろん、仕事に評価は不可欠ですが、人格ではなく、その『行動』自体を客観的に評価すればいいのです」
たとえば、仕事でノルマを達成できない時、「自分はなんてダメな人間なんだ」と“評価”しがちです。しかしAHの考え方では、「達成できなかった」という現実だけを受け止めて、対応策を考えればよい。自分を責める必要はないのです。
今までご自分が感じてきた怒りを思い出してください。「カッとする」という類の怒りは、予定狂いが起こって「こんなはずではなかった」というようなときに感じる強い気持ちです。もう一言踏み込んで言えば、怒りを感じるときは自分が困っているということなのです。それを認識できれば事態の改善に取り組むことができます。
対人関係療法創始者のワイスマン博士と国際学会にて 「イライラ」は怒りが慢性化したものなのですが、それは、「どうしてあの人は私を困らせることばかりするのだろう」「どうしてあの人は人間としてあんな行動をとれるのだろう」という感覚が多いと思います。
これは、「人間とはこうあるべきだ」という「べき」と、実際の相手の姿が異なっているときに抱く感じ方と言えます。ですから、「べき」の感じ方が強い人ほど、他人にイライラを感じやすいものです。つまり、不寛容なのです。
確かに言動面だけを見れば、「とんでもない」「悪い」と思うケースは少なくありません。しかし、その人がそんな言動をとるようになった「事情」は必ずあります。先天的な要因、幼少期の成育環境、今までどんな風に人から扱われてきたか、どんな体験をしてきたかなど、本人にしか分からない「事情」があるのです。
その人の言動はそんな「事情」に基づくもの。「とんでもない」と感じても、そこに至ったストーリーを聞くと、人間として納得できることが多いのです。
イライラはかなりのストレスです。そんな言動をとる人を見たら、「きっと事情があるのだろうな」と思いましょう。「自分だって我慢している」という被害者意識は、「でも自分は社会のためにできることをやっていきたいという美意識を持って生きている」という自己肯定感に昇華できます。