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第24回 自由人 / 堀之内 健さん
世の中は可能性に満ち溢れている

  • 2011年10月6日

言葉より気持ちが大切

30 ヵ国を旅して、多様な外国語に接したと思いますが会話に不自由はなかったですか?
どのようなコミュニケーション方法が有効でしたか?

カメラが大好きで陽気な子どもたち
カメラが大好きで陽気な子どもたち(インド、バラナシにて)
アマゾンを下る船の上で一緒に遊んだ女の子
アマゾンを下る船の上で一緒に遊んだ女の子(ブラジル、マナウスにて)

 気持ちがあれば、想いは通じます。文法なんか正しくなくても、気持ちを込めて伝えた方が伝わります。楽しい時は言葉なんて必要ありません。みんなでお酒を飲んで、踊って楽しむ。これは万国共通です。
 また、私は憤りを感じたときは、日本語でメチャクチャに相手を罵倒しました。変に英語で言葉を並べるよりその方が伝わるからです。当初は頭をフル回転させて、英語で文句を言っていましたが、それほど伝わらず、ある時、試しに日本語でやってみたところ、効果的だったのです。

 子どもはどこの国でも愛らしく、屈託のない笑顔を浮かべ、純粋なココロを持っていました。なかでも印象的だったのは、ウガンダのカクトという街で、日本人がウガンダ人孤児のために作った孤児院学校「NEW TOPIA」でボランティアしたときのことです。そこでの子どもたちの生活は朝6時前に起床し、体操、掃除、朝食の準備をしてから夕方まで学校、その後も手伝いや宿題などで拘束時間は夜9時ぐらいまで。すごいのが、体操も掃除も誰にも言われずに、時間になると子どもたちが集まってきて、自主的にやりだすことです。また、ウガンダはガンダ語という言葉があるにもかかわらず、国際的な人を育てるため、この孤児院の公用語は英語でした。また、朝礼では「幸せなら手をたたこう」や日本人のあるボランティアが作った校歌などを体を動かしながら日本語で歌っていました。その姿をみて、その声を聞いて、とても感動したのを覚えています。

 

一人旅はひとりの旅ではない

半年間も一人で旅をして、さみしくなったことはありませんでしたか? 旅は人を鍛えると言われますが・・・

野外ライブ会場で出逢った仲間と
素晴らしい武術を披露してくれた少年たちと
上:野外ライブ会場で出逢った仲間と。下:素晴らしい武術を披露してくれた少年たちと(上下ともにマラウイ、マンゴチにて)
一人旅とはひとりの旅ではありません。その理由は2つあります。
 まず1つ目は、一人では旅ができないということです。宿に泊めてもらったり、レストランでご飯を作ってもらったり、迷った時に道を教えてもらったり。実際、ジンバブエのハラレという町では、安宿がなく困っていた時、現地の人のお家に泊めてもらいました。世界各地のたくさんの方々に親切にしてもらい、私は世界一周することが出来たのだと思います。
 2つ目は、いろんな街でいろんな人と出逢い、一緒に食事をしたり、観光に行ったり、他の人と行動を共にすることがよくあるからです。旅中に出逢った方とは、旅が好きという共通項があるためか、すぐ仲良くなり、旧知の友達のようになれることも少なくありません。私は、国籍関係なく、日本人、韓国人、ドイツ人、現地人、いろんな人と行動を共にしました。私の経験則ですが、こちらから話しかけた人は基本的にはいい人が多く、旅行者だと言うといろんなことを教えてくれます。「俺の国はこんないいとこがある。こんなに素敵な場所がある」と言った具合に。そして、最後に必ずと言っていいほど、「もうこの街を去って行ってしまうのか?」と言われました。

 ただ、やはり1人は1人なので、孤独を感じることもありました。特に私は、高速バックパッカーと言われ、一つの街に長い間留まることをほとんどせず、滞在しても一泊か二泊、早い時は一泊もせずに街を出たため、一緒のタイミングで行動できる旅行者はほとんど居ませんでした。私が逢った旅人は、一つの街に3〜4日は滞在して次を目指す旅行者が多かったです。

 また、日本人は良くも悪くもどこの国へ行ってもだいたい甘く見られます。少なくとも私が行った国ではそうでした。それは、日本人がNoと言えない人種だと思われているからだと思います。物を買うときでも本当の値段の何倍も高い値段を提示されるのは日常茶飯事。ちょっとタチの悪い人にあたると、予約済みのホテルの場所を聞いても「あそこはつぶれたから行っても仕方ないぞ。俺が代わりにいいところを案内してやる」と、本当はそのホテルは存在するのに無くなったとウソをつき、自分の得意先のホテルへ連れて行こうとしたりします。

宿の優しいおばあちゃん
宿の優しいおばあちゃん(ラオス、ルアンババーンにて)
 海外に出れば、お米が主食でない国がたくさんあることに、ご飯と味噌汁が出てくるのが当たり前でないことに気付きます。パンやナンが主食の国があり、東アフリカではとうもろこしの粉を水で溶いて捏ねたウガリ(ウガリは、ケニアでの呼び方)などを主食としています。慣れてしまえば、あまり大したことではないですが、食べ物が口に合わないときはとても辛かったです。
 旅をし始めて5ヶ月が過ぎた頃、それまで行こうともしなかった日本食レストランへ初めて行きました。そこで、お魚定食を食べた時に日本食の美味しさに感動しました。特に味噌汁がとても美味しく、その時に「私は日本人なのだ」と肌身で感じました。それに気づいた時、なんか心が温まり、少し日本が恋しくなりました。

 旅を振り返ってみても、旅中に日本が恋しくなったことはそれほどありませんでした。ただ、日本語はとても恋しくなりました。何回も。日常で日本語を使わないし、日本語の文字をみかけないからだと思います。英語が上達していくのは楽しかったし、自分にとってとても良いことでしたが、それに躓いた時に一番強く「日本語で話がしたい」と思いました。

ホエールウィッチングツアー
ホエールウィッチングツアー(モザンビーク、トーフにて)
 実際、ベトナムのハロン湾で1泊2日(船上泊)のツアーに行った時、自分以外はみんな欧米人で、もちろん英語で会話していました。でも、欧米人はアジアやアフリカの人と違い、流暢に英語を話すため、出逢った当初からなかなか聞き取りづらかったですが、お酒が入ると、余計に何を言っているのか分からなくなり、みんな楽しそうに話しているのに、自分一人だけ会話に参加できませんでした。彼らに悪気はないですが、私は一人でやりきれない気持ちになり、甲板の端っこに寝転がり、iPodで日本語の歌を聴いて夜を過ごしました。とても辛かったです。なんで英語をもっと真剣に勉強してこなかったのかと思いました。
 日本を出て、3ヶ月ほど経過した頃に行ったザンビアでは、酔っ払いの現地人に宗教のことでからまれた時に、英語で相手を論破することが出来ました。これはとても爽快で、英語でも相手を説き伏せることができるようになったのかと自分でもちょっと感動したことを覚えています。  旅中は、日本語に飢えていたせいか、日本語の歌詞がとても自分に浸透した気がします。特にMr.childrenの曲はよく聴きました。日本人にとって、日本語の歌は、旅に欠かせない持ち物の一つであると思います。

 

 

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