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第7回 マクロビオティック講師/パトリシオ・ガルシア・デ・パレデスさん
マクロビオティックの神髄。Health & Happiness

  • 2006年12月1日
 

マクロビオティックの貴公子、
パトリシオさんに聞くマクロビオティックの神髄。
Health & Happiness

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第7回 マクロビオティック講師/パトリシオ・ガルシア・デ・パレデスさん

profile
スペイン生まれ。
久司道夫が指導するマクロビオティック食で、母親の腎臓病が完治。
クシ インスティテュートでマクロビオティックを学び、健康、環境、社会、平和の問題を解決するためには食物が重要である事を実感。
卒業後は世界各地でマクロビオティックの指導にあたる。
1995年に来日し、講演、料理教室、シェフトレーニング、著作など全国で活躍中。
クシマクロビオティック アカデミィ、有限責任中間法人KIJ のエデュケーションディレクター
主な著書に「あまくておいしい! 砂糖を使わないお菓子」主婦と生活社

ココロとカラダの健康・環境への意識を学ぶ。 パトリシオ・ガルシア・デ・パレデスさんに2人のLOHASコンシェルジェが直撃インタビュー

母からの最高のプレゼント マクロビオティックへのアプローチ

パトリシオさんが、マクロビオティックを始められたきっかけは何ですか?

 私自身は、母親が自身の病気治療として始めたのがきっかけで、5歳ぐらいのときからマクロビオティック食を与えられるようになりました。

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 私の母親は元々病弱な体質で様々な内臓疾患を患い手術なども受けました。ある時を境に医師達からはもう人工透析を受けるしか治療法はないと宣告され、友人や知人を介しAlternative Medicine(代替医療)に望みを託すようになりました。それから母は、色々な本や雑誌、新聞記事を読みAlternative Medicineについて熱心に学ぶようになり、そんなある日、久司道夫先生のスペイン講演を聴きに行ったのです。

 久司先生からのアドバイスも頂き、それからの母は見る見るうちに元気になり、病気もすっかり治りました。ですから母は私たち家族にもマクロビオティック食のすばらしい恩恵を分け与えたかったのでしょう。

マクロビオティック食に慣れるのは大変ではなかったですか?

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 はじめは大変でした。私はその頃まだ5歳でしたから母の作るマクロビオティック食の味や見栄えの素朴さや、バラエティーの少なさに馴染めずにいました。しかし、母は私たち家族に食べてもらえるようにと、その当時バルセロナに一軒だけあったマクロビオティックのレストランでアルバイトをしながら、色々なメニューを研究し、私たちにも食べられるように工夫をしてくれましたので、やがて私たち家族もマクロビオティックに馴染めるようになりました。

 そしてその後、私たち家族共々「クシ インスティテュート」のあるボストンに移り住み、久司先生から直接、マクロビオティックを学びました。母は現在もクシ インスティテュートでマクロビオティックを教えています。

世界観・人間愛・心とカラダの健康、生きていくすべてを学ぶ

マクロビオティックを始められるきっかけとなった、久司先生とはどのような方ですか?

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久司道夫先生

 久司道夫先生は、東京大学法学部在学中、桜沢如一氏に出会い、食によって世界平和を目指す思想を聞き、最初はどうしても食べ物と平和が結びつかなかったそうです。1949年に渡米し、今では世界平和実現のため、世界各国でマクロビオティックの普及に努められ、世界的権威となられました。現在も欧米やアジア、アフリカなど世界各地でセミナー、講演会など行っています。

 そんなことで久司先生が日本に行かれる時には私も一緒に同行する機会が増え、8年前にクシガーデンのシェフとして来日し住むことになりました。

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パトリシオさんのご一家

 現在は結婚し4人の子供と自然に囲まれた小淵沢に暮らしています。仕事があるので東京と山梨を行ったり来たりの半々の生活です。

 東京から小淵沢に移り住んだのは1年ほど前で、東京でシェフをしていた頃は本当に忙しくて、日本に来た頃、電車の中で眠りこける人を見て、どうしてこの人たちはこんなに疲れきっているのだろうと、理解できなかったのですが、自分も東京に住むようになって理解できるようになりました。ストレスが多いですね。 東京では子どもと道を歩くときも気を遣ったりと、本当、リラックスがなかなかできないのですが、小淵沢のように自然と共生できる場所は本当にいいですね。

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