サイト内
ウェブ

「チッソ」 詳細解説

読み:
ちっそ
英名:
Chisso

2010年12月15日、環境省水俣病の原因企業であるチッソ(株)が申請していた事業再編、すなわち分社化の計画を認可した。「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法(水俣病特措法)」に基づくものだ。同省は認可の理由として、チッソが水俣病被害者への一時金支給に同意していること、個別補償協定の履行や公的支援借入金債務の返済に支障が生じないこと、分社化により債務履行の原資が減少しないことなどをあげている。

そもそも水俣病は、化学工業会社のチッソが熊本県の水俣工場で有機水銀を含む排水を水俣湾に流したことにより、地域住民に有機水銀中毒の症状が発生した公害病だ。各地で起こされた訴訟の結果、チッソの責任だけでなく国や熊本県の行政責任も認められ、2009年に水俣病特措法が成立し、2010年から同法に基づく被害者の給付申請が始まっている。かつて水俣病を引き起こしたチッソとは、どのような企業なのだろうか。

1908年(明治41年)に日本窒素肥料(株)として発足したチッソは、戦前戦後を通じてアンモニア肥料や塩化ビニル製造などの分野で実績を上げ、1965年に現在の社名に改称した。しかし、早くも1950年代から水俣地方では猫が踊るように苦しみながら死に至る奇病が発生し、地域住民の中にも同じような症状が見られるようになった。その後、疾病の原因がチッソ水俣工場からの排水であることが判明し、紆余曲折を経て1973年に水俣病患者団体とチッソとの間で補償協定が締結された。そして1988年、最高裁がチッソ元社長らに業務上過失致死傷罪の有罪判決を下し、被害者団体とチッソとの補償交渉が始まった。

チッソによる水俣病認定患者への補償は、1973年以降行われていた。チッソは化学物質の製造事業などを続けていたが、補償金の支払いに耐える体力がないため、1978年から閣議了解に基づく「患者県債方式」による貸付の支援措置が講じられた。しかし、その貸付残高が1999年時点で1442億円に上り、それ以降の債務返済の目途が立たなくなったため同方式は2000年に廃止され、チッソが経常利益の中から補償金を支払った後、債務を可能な範囲で県に返済することとなった。

環境省はチッソ分社化により、公的支援借入金債務の返済と個別補償協定の履行が「相当の余裕を持って可能」になったとしている。チッソは2011年1月、化学品の製造販売事業を手がける子会社の「JNC」を設立し、事業部門を譲渡する予定だ。こうした動きに対して、水俣病被害者などでつくる12団体は「チッソは説明責任を果たしておらず被害者や住民の理解が得られていない」などと抗議する共同声明を公表。水俣病をめぐる関係者間の対立は、発生から半世紀以上経てもなお解消していない。

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。