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【漫画】特攻服に書かれた「天上天下唯我独尊」は、命の尊さを教える言葉だった!?僧侶が描く漫画が深い/ヤンキーと住職

  • 2022年9月27日
  • Walkerplus

仏教やお経と聞くと、なんとなく堅苦しいイメージを抱く人も多いのでは?現役の僧侶(浄土真宗本願寺派)である近藤丸さん(@rinri_y)が描く漫画「ヤンキーと住職」は、仏教が大好きなヤンキーと少々頭でっかちな住職とのやりとりから、仏教の教えをわかりやすく伝える漫画。読者からは「興味深い」「ためになった」「書籍化してほしい」との声が多く寄せられている。

ウォーカープラスではそんな「ヤンキーと住職」の中から特に印象的なエピソードを厳選し、近藤丸さんのインタビューと共にご紹介。今回は、ヤンキーが好んで使うイメージのある言葉「天上天下唯我独尊」の本当の意味について。
お参りする人や壇家の数が減る現状をなんとかしようと、一人奮闘する住職。しかし人付き合いが苦手なため、なかなか上手くいかない。そんなある日お寺の前に、「天上天下唯我独尊」の刺繍が入った特攻服姿の、いかついヤンキーが現れる。「この人は背中の文字が、お釈迦様のありがたい言葉だと知っているのだろうか…?」。気になった住職は、思い切ってヤンキーに聞いてみる。するとヤンキーから、思いも寄らない返答があって…。

■「それ本当?」と思うような伝説が、なぜ長年大切にされてきたのか?そこに込められた意味を考えることが大切
実は以前、仏教の学校(中学・高校)で勤務していたという近藤丸さん。漫画で仏教のことを伝えようと思った背景には教員時代の経験も影響していて、今回の「天上天下唯我独尊」も、実際に行った授業がベースになっているそう。

「仏教の授業でお釈迦様の生涯について学ぶのですが、最初に学ぶのが生まれてすぐに7歩あゆみ、『天上天下唯我独尊』と叫んだというもの。もちろんこれは、歴史的な『事実』ではなく『伝説』です。しかし、仏教を伝えてきた人たちはこうした伝説を大事にしてきました。

生徒たちはこの話を聞くと『あやしい』『胡散臭い』という反応をしてくれます。そこで私は、『そう、どこか胡散臭いよね。でもどうして仏教徒たちは、わざわざこんな歴史的事実とは思えない話を大事にしてきたのか?そこに込められた意味を考えることが大事なんだ。その事をこれから学ぼう』と話していました。そして、仏教の教科書や入門書に書かれている伝説の意味を、生徒たちに伝えます」

あまりにも突拍子のない話なので、なんとなく胡散臭いと思ってしまう生徒の気持ちはわかる気がする。ではこの伝説に、どんな意味が込められているのだろうか?

「まず『7歩』には、六道の迷いを超えるという意味が含まれています。人間は、六道の苦しみの世界を迷いの心で作り出していると考えます。六道については、いずれ漫画『ヤンキーと住職』の中でも触れたいです。お釈迦様は迷いの世界『六道』を、一歩出た人なのですね。これは、何も生まれてすぐに悟りを開いたという意味ではなく、後に悟りを開き大切な事に目覚めたということを、誕生に引き寄せた表現だと解釈されます」

誕生後すぐに言葉を叫んだことと、叫んだ言葉のインパクトがあまりにも強く、7歩あゆんだことは正直あまり印象に残っていなかった。が、6でも8でもなく「7歩」であることにそのような意味が隠されていたとは、驚きだ。

■皆の命が、かけがえのない無上のものだと教えてくれる言葉
「天上天下唯我独尊」と聞くと、真っ先にヤンキーや暴走族が浮かんできて、なんとなく怖そうなイメージがある。また、「自分が一番!」と言っているような、少々傲慢な印象も。本当はどのような意味を持つ言葉なのか、聞いてみた。

「『天上天下唯我独尊』という言葉は、『誕生偈(たんじょうげ)』と呼ばれます。現代では傲慢で尊大な言葉として、ときに揶揄されるような形で一般に広く用いられていますね。しかし、このような理解・用法は『誕生偈』の正しい理解・用法ではありません。『天上天下唯我独尊』という言葉は、いくつかのお経に出てきます。例えば、『修行本起経』には『天上天下唯我独尊、三界皆苦吾当安之』(天上天下唯我独尊 世界は皆苦なり、 吾まさにこれを安ずべし)とあります。つまり、『この世では皆が苦しんでいる。私は必ず悟りを開いて、皆の苦しみを抜くような者に成りたい』という意味ですね。

この言葉は、まずは、お釈迦様が大切な事に目覚めるようなものに成る、そして衆生を救済するようなものに成ろうという、自己の尊さを述べた言葉です。しかし、近・現代になるとこの言葉は、もう少し広い意味を汲んで解釈されるようになり、『あらゆるものから尊いと尊敬される生き方に目覚めたという意味で尊い』という表現であるとか、『天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、この命のままに尊いということの発見』の言葉であると解釈されるようになっていきます」

近藤丸さんのお話を聞くと当初のイメージとは打って変わって、お釈迦様の覚悟を強く感じる言葉に思えた。また、「ただ一人の誰とも代わることのできない人間として命のままに尊い」ということも、自分自身が今生きていることを強く肯定してくれているようで、ハッとさせられた。私の中で、まさに発見だ。作中のヤンキーが「ブッダ超好きです」と話すのも、わかる気がする。なお「天上天下唯我独尊」の言葉にはさまざまな解釈があり、漫画で描かれているのはあくまでその内の一つだという。

「いま、仏教系の学校の教科書の多くや入門書では、『天上天下唯我独尊』は『自己のいのちの尊さの発見』の言葉とされています。また、その自己は他の多くのものとのつながりの上に生かされているため、自己だけではなく、他者の尊さに目覚めることの大切さも教えていると、解釈されます。

念のため注意しておきたいのは『誕生偈』の解釈はさまざまあり、この『ヤンキーと住職』で述べられているのも、解釈のうちの一つだということです。なお、解釈についてはさまざまな議論があります。この辺りのことについては仏教学者である西義人先生が、『「天上天下唯我独尊」をどう説明するかー本願寺派における「いのちは尊い」説の定着に関してー』(龍谷教学会議編『龍谷教学』第51号)や、『近代における「天上天下唯我独尊」の説示』(日本佛教学会編『仏教と日本』第1巻)などの論文に詳しく書いて下さっています。興味のある人は参考にして下さい」

■生徒たちのやりとりから生まれた、「ヤンキー」というキャラクター
観光でお寺に行くことはあっても、今まで仏教に触れる機会も、考える機会もなかった筆者だが、近藤丸さんの話はとても興味深くて引き込まれた。きっと当時の生徒たちにとっても、心に残る授業になったのではないだろうか。

「『天上天下唯我独尊』の話をすると生徒は、仏教の伝承やお釈迦様の言葉を通して、自分自身を見つめることの大切さを少し理解してくれるように思います。そのあと生徒たちに、『暴走族の特攻服にも書かれているのを見たことがありますが、「自分だけが偉い」という風に意味を誤解しているかもしれません。本当はそうではなく、「私の命がかけがえのないものなのだから、あなたの命も、また他の人の命も、かけがえのない尊いものなんだよ」という意味です。…でももしかしたら、暴走族の人たちはそれをきちんと分かったうえで、刺しゅうを入れているのかな?そうだったら感動しますね』と話したところ、生徒たちは笑ったり、反論してくれたりしました。こうした授業でのやり取りから生まれたのが、『ヤンキー』です」

最後に、近藤丸さんから読者に向けて、メッセージをもらった。

「今まで僧侶として仏教の大学で学んできた経験や、中高生に仏教系高校で教えるなかで学んだことを、漫画の中にちりばめています。読むと何か新たな発見や、今まで無かった見方に出合えるかもしれません。ヤンキーと住職の何気ない会話の中から、仏教の深さや楽しさに触れられるような話を描いたつもりです。今後もどんな話が展開されるのか、ぜひ期待して下さい。この漫画をきっかけに、2500年続いてきた深い教えである仏教の言葉に出遇って頂けたら有難いです」

普段の生活の中では、なかなか触れる機会の少ない人が多いであろう仏教。しかし2500年もの間、人間の悲しみや苦悩に寄り添ってきた仏教には、現代人の悩みに応える言葉もたくさん残されているそう。漫画「ヤンキーと住職」を読めば、人生のヒントが見つかるかもしれない。

取材・文=石川知京

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